日本人選手はラ・リーガで活躍できるようになったのか?「戦術」と、その外側にあるもの。
戦術の重要性は、重々、承知している。
そう、それは分かっている。まったくもって、否定しない。
私自身、戦術の解説や分析を仕事の一部にしている。しかしーー、一方で、思うのだ。これは本当に本質的な問題なのか、と。その外側にあるものを、果たして無視することはできない。
日本の選手の技術は、高いと言われている。
戦術や戦術眼に関しても同様で、私は日本人のそれは高いとみている。では、なぜ、技術や戦術眼に長けた選手が、海外で試合に出られなくなるのか。そこが、問題だ。
■戦術のない中で
皆さんは、「戦術のない中でのプレー」というのを、想像してみたことがあるだろうか?
私は、ある。というより、その経験があるのだ。よりによって、その経験は、スペインでプレーしている時に訪れた。
スペイン下部リーグ、そこはサッカーというよりラグビーのようであった。下に行けば行くほど、その色は濃くなる。分かりやすく言えば、中盤を省略したサッカーで、ボールが宙に浮く時間が非常に長い展開だ。
「センジュツ?ナニソレ?」の世界観である。
そのような状況で求められるのは、蹴って、止めて、走れて、ぶつかれて、耐えられて、判断ができる選手だ。要は「戦える選手」ということなのだが、我々はいつからかこの「戦える」という認識を間違ってしまったように思う。それは時代のどこかで精神論にすり替えられ、そして精神論を嫌がる人々が戦術論に走るようになったのだ。
蹴る。止める。走る。ぶつかる。耐える。判断する。そういった基本的なことができていない選手は、試合で使われなくなっていく。日本の代表に選ばれるような選手でも、スペインに行けば、その基本能力値は低いのである。
その点を戦術でカバーしようとしても、厳しい。
例えば、「クボ・システム」や「シバサキ・システム」があれば、趣は異なる。
だがスペインに、とりわけラ・リーガ1部に、日本の選手を中心にチームビルディングを行うようなところはないだろう。それは差別意識の問題ではない。基本値が低い選手に合わせて組織を作るのは困難である、という話だ。
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■乾の成功例
ここで、少し、視点を変えよう。乾貴士のケースを挙げたい。
久保建英、柴崎岳、武藤嘉紀、清武弘嗣、中村俊輔…。フットボールの近代史において、多くの日本人選手が挑戦の舞台にスペインを選んだ。だが、やはり1部で成功したと言えるのは、現時点で乾だけだ。
乾が成功した要因は、端的に一つである。「思考のチェンジ」を行ったからだ。幼い頃からスペイン・フットボールに憧れていた乾だが、ラ・リーガに来て技術や戦術のイメージに囚われることはなかった。むしろ、彼はスペインでレベルの高さを感じて、自らのテクニックを「捨てた」のだ。
スペインに技術と戦術のイメージを強く持っていたままであれば、乾はエイバルでドリブラーとして勝負していたはずである。しかし、実際はホセ・ルイス・メンディリバル監督の指示をきちんと聞いて、積極的に守備を行うプレーヤーとしてチャンスを掴んでいった。
乾はエイバルで【4−4−2】の左MFに入り、ハーフポジションからプレッシングを掛けて...という戦術的な解説はできる。また、攻撃の戦術と守備の戦術――日本では概して攻撃的な戦術がポピュラーになる傾向があるーーという議論は別にある。ただ、それ以上に、乾にはシンプルに監督が要求するタスクを忠実にこなすという姿勢があった。そして、レギュラーポジションを奪取したのだ。
無論、第一にスペインのサッカーと日本のサッカーは異なる。日本の選手がスペインに到着して苦しむのは、この前提に「ズレ」があるだという気がしている。
理論上の戦術を守っていれば、うまく行く。それが日本のサッカーだ。ここで、もうひとつ、例を挙げる。久保の守備に関するもので、「パスコースを切るプレスをしている」というのは、よく見かける指摘だ。
だが、これは間違っている。特に、マジョルカのような1部残留を争うチームで、パスコースを切る守備など、求められていない。久保には、というよりマジョルカの選手には、自分のゾーンで、自分の守備範囲で、ボールホルダーにアタックして、刈り取る力が要求される。少なくとも、そこにチャレンジする姿勢が必要なのだ。
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