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ボランティアも動き出した能登町 地震・津波の深い傷跡残るも「珠洲・輪島よりは…」と耐える町民の思い

関口威人ジャーナリスト
石川県能登町布浦地区の民家で片付け作業に励む町民ボランティア=2月4日、筆者撮影

 能登半島地震の発生から1カ月が過ぎ、私が通っている石川県能登町でもボランティアが正式に動き出した。とはいえ2月6日時点ではまだ町内限定で、町外からの受け入れは8日からの予定。被災の傷跡は通うたびに深く見えてくる。町民は先の見通せない状況の中で、少しずつ前に進み出していた。

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「津波が来るぞ!」近所の人の声で96歳の母と避難

 能登町の東端、布浦地区。海に面する集落の一画に住んでいた滝田敦夫さん(69)は4日朝、自宅前でボランティアの到着を待ち構えていた。

布浦地区の自宅前でボランティアの到着を待つ滝田敦夫さん=2月4日、筆者撮影
布浦地区の自宅前でボランティアの到着を待つ滝田敦夫さん=2月4日、筆者撮影

 「津波で1階はグチャグチャ。今日はボランティアが11人くらい来てくれるらしいが、物を搬出するところまでやってもらえるか…」

 地区の公民館長を務める滝田さんは96歳になる母と2人で暮らしていた。1月1日、母がデイサービスから車で帰ってくる頃に大きな地震。しばらくして「津波が来るぞ!」という近所の人の声を聞き、帰宅したばかりの母と車に乗って高台の集会所へ逃げた。

布浦地区の漁港に押し寄せた津波。滝田さんが車で逃げる途中にスマートフォンで撮影したという=滝田さん提供
布浦地区の漁港に押し寄せた津波。滝田さんが車で逃げる途中にスマートフォンで撮影したという=滝田さん提供

 高台から海を見ていると海面がスーッと上がり、防潮堤やテトラポットも海の下に隠れた。海沿いの集落一帯が津波にのみこまれ、一部の家は完全に崩れ落ちた。

 滝田さんの家にも漁船が玄関先まで流れ着いていた。ただ、家自体は構造を保っているため、津波をかぶった1階を片付け、2階で生活ができるか様子を見たいという。

津波で大きな被害を受けた布浦地区の漁港。奥に並ぶ建物の右端が滝田さんの自宅=2月4日、筆者撮影
津波で大きな被害を受けた布浦地区の漁港。奥に並ぶ建物の右端が滝田さんの自宅=2月4日、筆者撮影

 マイクロバスで到着したボランティアは滝田さんに状況を聞き、まず玄関の周辺を片付け始めた。ほとんどが町内の住民や消防団員で、滝田さんの顔見知りも少なくない。「うちも被害はあるけれど、お互いさま」と作業を進めた。

 1時間もしないうちに1階の畳やタンスが運び出され、板張りの床が現れてすっきりとした。「意外なほど、はかどった」と滝田さんも安心した様子だった。

 津波をかぶった1階の家財道具を運び出すボランティアと滝田さん=2月4日、夏目健司撮影
津波をかぶった1階の家財道具を運び出すボランティアと滝田さん=2月4日、夏目健司撮影

2週間は町民限定、8日から町外ボラも受け入れへ

 現場を見に来ていた能登町社会福祉協議会の少路(しょうじ)芳宏事務局長によれば、同町の災害ボランティアセンターは1月26日に開設され、町民限定でボランティアの受け付けを始めた。

 津波被害の規模が大きい白丸地区などはボランティアが関われる状態でないため、その他の地区で要望(ニーズ)のあるところから社協職員らが現地を確認した上で金・土・日にボランティアを派遣。3日時点で130件ほどのニーズがあり、今後も増えていく見通しだという。

能登町松波地区を中心とした位置関係図(筆者作成) 沿岸の赤い部分は日本地理学会の調査報告を参考に筆者が取材で確認した津波浸水被害の激しい地域
能登町松波地区を中心とした位置関係図(筆者作成) 沿岸の赤い部分は日本地理学会の調査報告を参考に筆者が取材で確認した津波浸水被害の激しい地域

 「実際に作業を始めると近所の人が見たり、口コミで広がったりして『うちもやってもらおうかな』という声が出てくる。それに合わせてボランティアも増やしていきたいが、スピードを加速していくということではなく、1日1日できる範囲内でやっていきたい。長丁場ですから」と話す。

 県外のボランティアは石川県県民ボランティアセンターを通して受け入れ、町社協本部のある松波地区のほか宇出津地区、柳田地区にサテライトセンターを設けて金沢からバスで直行してもらう予定だという。

ボランティアと作業の段取りについて話し合う滝田さん(右)=2月4日、夏目健司撮影
ボランティアと作業の段取りについて話し合う滝田さん(右)=2月4日、夏目健司撮影

 滝田さんは母を親類宅に預け、自身は町内で車中泊を続けている。「避難所でみんなで寝るのは好きじゃない。車中泊は慣れているから」と心配の声は意に介さない。

 「5年後10年後、この町がどうなるかは分からない。でも、今日もこんなに人が来てくれた。今はその日のことを考えるしかないよ」

 そう言って、滝田さんはまた作業に戻っていった。

中学校には依然68人の町民、避難生活長期化に不安

 地震発生直後から避難所となっている松波中学校は、先月中旬に80人ほどだった避難者が、4日時点で68人になっていた。段ボールで仕切られていたスペースにも空きが見られるようになった。

 しかし、逆に言うと1カ月経っても体育館での避難生活を抜けられない人がそれだけいる状況だ。

段ボールで仕切られたスペースに空きも見られるようになってきた松波中学校体育館の避難所=2月4日、筆者撮影
段ボールで仕切られたスペースに空きも見られるようになってきた松波中学校体育館の避難所=2月4日、筆者撮影

 運営を担っている町職員の道下康郎さんは「町内でも断水が少しずつ解消され、家に帰る人たちが出始めている。ただ、それも頭打ちという感じはあります」と話す。

 残る町民の避難生活の長期化によるリスクを少しでも減らそうと、1週間前に土足を禁止にし、全員が上履きを使うようになった。

 犬のペットがいる家族もそのまま体育館に残っていた。「ペットと一緒だと他の避難先を見つけるのが難しい」と悩む。

 町によると、5日時点で応急仮設住宅の建設は鵜川地区以外ではまだ調整中(白丸地区では場所のみ決定)。ホームページでは場所や戸数などの情報は発表されていない。

 町内を回ると、液状化と見られる地面の損壊やマンホールの浮き出しが激しい地域も見られる。被害の傷跡は深いが「もっとひどい珠洲や輪島に比べれば…」と町民は口をそろえる。多様な被災実態に合わせた支援が届くよう、私もできる限りきめ細かく報じていけるようにしたい。

松波地区には液状化と見られる道路の損壊やマンホールの浮き出しが激しい地域もあり、少しずつ復旧が進められている=2月4日、筆者撮影
松波地区には液状化と見られる道路の損壊やマンホールの浮き出しが激しい地域もあり、少しずつ復旧が進められている=2月4日、筆者撮影

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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