英国の民主主義を前進させたジョージ5世を思い出させる「天皇のお言葉」
フーテン老人世直し録(241)
葉月某日
「天皇のお言葉」を聞いて「人間天皇の叫び」と「象徴天皇制を継続させる強い意志」を感じさせられた。
天皇は象徴天皇制について、憲法に定められた国事行為だけではなく「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切」と考え、そのため皇后とともにほぼ全国を旅し「国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなしえた」ことに幸せを感じておられる。
しかし天皇も人間である。高齢化とともに体力は衰え、将来に不安を感ずるようになった。だが象徴としての行為を縮小していくことに天皇は反対である。行為を代行する摂政を置くことにも反対である。務めを果たせぬまま天皇であり続けることに許されない思いを抱いておられる。
そして天皇は人間であるから家族もおられる。昭和天皇が亡くなられた時に「自粛ムード」が社会を覆い、国民生活に支障が出たようなことは避けたいと考え、葬儀と並行して新時代に向けた行事が同時進行するのは残された家族に厳しい負担を負わせることを経験上知っている。それらを避ける方法はないものだろうか。
日本国の長い天皇の歴史を見れば、「国民と共に、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが途切れることなく、安定的に続いていく」方法があるのではないか。そのように天皇は訴えられたのである。
日本は立憲君主制の国である。戦前の大日本帝国憲法は天皇を国家元首とし「神聖にして侵すべからず」と規定したが、しかし憲法を起草した伊藤博文は天皇を絶対君主と考えたわけではない。天皇は直接政治にかかわらず、天皇の権威を利用して官僚が政治の実権を握る体制が作られた。例えば日清・日露の両戦争とも天皇は反対だったが日本は戦争に突入する。
ただし戦前は皇室の在り方を定めた皇室典範が憲法と同等の地位を占めたが、戦後は大日本帝国憲法に代わる国民主権の憲法が皇室典範より上位となり、天皇は国家元首ではなく国民統合の「象徴」と位置付けられた。同じ立憲君主制でも戦前はドイツ型で、戦後は「君臨すれども統治せず」というイギリス型になった。
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