靖国参拝に見る「姫君」と「下女」の役割分担
フーテン老人世直し録(243)
葉月某日
戦後71年目の終戦記念日、安倍内閣で靖国神社を参拝したのは高市早苗、丸川珠代の女性2閣僚であった。萩生田官房副長官は衆議院議員の肩書で参拝したが、2人はいずれも大臣の肩書を記帳して参拝した。そして例年参拝を続けてきた稲田朋美防衛大臣は公務出張を理由に参拝を見送った。
フーテンが組閣人事の際に予想した通り、安倍内閣における女性閣僚は靖国参拝をアピールする役割を負わされている。そしてそこには「姫君」と「下女」との役割分担があり、将来を嘱望される「姫君」は主君アメリカへの配慮から参拝を見送るが、代わりに「下女」が参拝することで露払いの役割を演じている。
安倍総理本人は第一次政権で中国に対する配慮から参拝を見送り、第二次政権になって13年12月にようやく念願の参拝を果たしたが、主君アメリカから「失望」を表明され、そこから一転してアメリカの「調教」に甘んずるようになった。
日本人の多くは靖国問題を中国、韓国との関係だけで捉えるが、同盟国アメリカも主要閣僚の靖国参拝を望ましくないと考えている。そのため安倍総理は後継者に選んだ「姫君」を参拝させない仕組みに取り込み、一方で右派勢力の批判をかわすため「下女」に防波堤の役割を負わせた。だから改造人事は靖国参拝が女性閣僚起用の条件だったのである。
それにしても靖国参拝をこれほどまでにセンシティブにさせたのは1985年8月15日の中曽根総理による公式参拝である。それまで歴代総理は靖国参拝を恒例にしてきたが、どこからも批判の声は上がらず、A級戦犯合祀が公表された後でも大平、鈴木、中曽根と三代にわたり総理は参拝を続けてきた。
ところが85年の終戦記念日に中曽根総理は公用車を使用し、内閣総理大臣の肩書を記帳し、玉串料を公費から支出する公式参拝に踏み切る。しかも後継と目される竹下、安倍の両大臣を左右に従えての堂々たる参拝であった。これに中国共産党が初めて非難の声をあげ、中曽根総理は翌年から靖国参拝を取りやめた。以来、小泉総理が参拝するまで靖国参拝はタブー視され、とりわけ公式参拝はその後一度も行われることがない。
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