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ネコバスそっくりに笑った宮崎駿 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(10)

榎本幹朗作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント
ジョン・ラセター監督と宮崎駿監督(写真:Shutterstock/アフロ)

「ルパン三世 カリオストロの城」に衝撃を受けたラセターだったが、念願の来日が叶い、「トトロ」を制作中だった宮崎駿監督に会う。興奮冷めやらぬなか今度は横浜で、窮地にあったジョブズとピクサー社を救うことになる「トイ・ストーリー」のアイデアを彼は着想する───。

音楽産業、エンタメ産業そして人類の生活を変えたスティーブ・ジョブズの没後十周年を記念した集中連載、第二十弾。

■ネコバスそっくりに笑った宮崎駿

 一九八七年。武蔵野はアカシデの森に秋風が舞う頃、三十歳になったジョン・ラセターは中央線に乗っていた。宮崎アニメに衝撃を受けてからもう六年が経ち、ディズニーを解雇された彼はピクサー社に転職していた。

 来日できたのには理由があった。

 オーナーのジョブズを驚かせ、じぶんの首を繋いでくれた世界初の短編CGアニメ、「ルクソーJr.」は日本のアニメ業界にも衝撃を与え、東京のカンファレンスに招待を受けたのだ。カンファレンスで『ルパン三世 カリオストロの城』が大好きだと話したら、じゃあジブリへ行ってみないかとある人が言ってくれた。

 中央線で吉祥寺へ向かっているのはそういう訳だった。

 その頃、ラセターはある女性に一目惚れした。悩んだ彼は、アパートで「カリオストロ」を見せてみた。僕の目標の作品を見てどう感じるだろうか、と思ったのだ。彼女はラセターと全く同じ風に感動した。それでプロポーズし、結婚した。すでに宮崎アニメは彼の人生に影響を与えつつあった。

 吉祥寺駅を降り、三鷹に引っ越す前のジブリに着くと、宮﨑監督が待っていた。

「トトロ」の製作で忙しい中、御大みずからスタジオの案内を買って出てくれるというのだ。ラセターの「ルクソーJr.」の出来は、頑固なCG嫌いで鳴らす宮崎をも唸らせていた。たった二分の作品に、若きストーリー・テリングの才が輝いていたという。

 スタジオジブリを宮崎と歩くラセターは、「トトロ」の製作現場に圧倒された。壁にはずらりと、ストーリー・ボードが貼ってある。どれも宮崎の筆致だ。

「ぜんぶひとりで考えるのですか?」

 ラセターが尋ねると、さも当然のように宮崎は頷いた。天才だ、とラセターは思った。ディズニーではおとぎ話を元に、脚本家のチームが話し合ってストーリーを練り上げていくのがふつうだった。いちばん驚いたのは、宮崎がネコバスの絵コンテを見せたときだった。

「猫がバス?バスが猫? どうしたらこんな発想が出てくるのか!?」

 眼を白黒させる若きラセターに宮崎がにやりと笑った。その笑顔はネコバスそっくりだったという[1]。

 この日ふたりの友情が始まる。それが十五年後、宮崎作品のディズニー配給へ連なり、宮崎を映画界最高のレッドカーペットに導くとはふたりは知る由もない。

 日本では、もうひとつ大切な出会いが待っていた。

 横浜元町に、アメリカ山という小高い丘がある。幕末、ペリー提督と共に来て日米和親条約を起草したポートマン書記が住んでいた場所だ。それでその名がついた。

 東横線でやってきたラセターはそのアメリカ山を登った。たどり着いたのが白木の壁に緑の屋根の、おもちゃ博物館だった。海と港を愛する館長の北原照久は、ブリキのおもちゃの世界的なコレクターだった。

 ラセターはむかしからタカラ・トミーのぜんまいじかけのおもちゃを集めていた。空想好きの彼には時々おもちゃたちの会話が聞こえたが、そのうち気づいた。これで作品ができるのではないか…。

 資料を集めだすと、日本のブリキのおもちゃを集めた写真集に強く惹かれた。とてもレトロでいい。それが北原のコレクションだった。どうしてもこの眼で見たいと思っていた。それが日本に来たかったもう一つの理由だった。

 おもちゃ博物館で、ブリキのおもちゃに囲まれたラセターはため息をついた。そして振り返り、柔和に微笑む北原館長に言った[2]。

「おもちゃがまるで生きているみたいだ…」

 そのときだった。「トイ・ストーリー」の原型となる短編のイメージが、彼のなかで蠢き出したのである。

 ピクサーに帰った彼は、さっそく同僚を集めてブレストを繰り返し、ストーリーを練り上げていった。

 このアイデアが天から降ってこなかったのなら、ジョブズの復活はあったか。iPhoneの登場はあったか。そしてiPhoneなくば、スポティファイやApple Musicのような音楽産業の再生につながるビジネスモデルの誕生は一〇年遅れていたかもしれない。

 だがその頃ジョブズは、ラセターを解雇しようと考えていた。(続く)

■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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[1] ジブリのせかい『ジョン・ラセターが語るクールジャパン【前編】』2015年8月18日

http://ghibli.jpn.org/report/tiff-lassetr-1/

[2] 北原照久 Facebook 投稿 2004年3月6日 https://www.facebook.com/toys.kitahara/photos/a.184441771723818.1073741828.184070518427610/267671296734198/

作家・音楽業界誌Musicman編集長・コンサルタント

著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DUBOOKS)。寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。2024年からMusicman編集長

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