英チャールズ国王夫妻の初外遊でフランス訪問延期――理由は「治安が悪い」
- イギリスのチャールズ国王夫妻のフランス訪問が延期されたことは、極めて異例のことだ。
- 延期はフランスのマクロン大統領の要請で決まった。
- フランスでは現役世代の不満を背景に、かつてないレベルの抗議デモが拡大し、警官の負傷者も続出している。
イギリスのチャールズ国王夫妻の外遊で、予定されていたフランス訪問が「治安」を理由に延期された。
異例の延期
チャールズ国王夫妻は今月26日からフランス、続けて29日からドイツを訪問することになっていた。この歴訪はチャールズ国王にとって即位後初で、特別なものといえる。
王室は政治に直接関わらないが、国王訪問はイギリス政府にとって外交関係を強化する手段だ。今回の歴訪の大きな目的は、ウクライナ侵攻などをめぐり、ヨーロッパ各国の協力を深めることにあった。
ところが、予定されていたフランス訪問は延期になった。
外交関係が悪化した国同士を除けば、国賓の訪問が延期されることは極めて異例だ。
延期の決定は、マクロン大統領からの要請によるものだった。フランスでは抗議デモが拡大し、過去数年で最悪といわれるほど「花の都」パリが荒れているからだ。
国王夫妻のドイツ訪問は予定通り行われ、フランス訪問は初夏にリスケされる見込みだが、国賓訪問を延期させるほどの抗議デモとは、どんなものなのか。
年金改革反対のデモが過激化
フランスでは1月から抗議デモが拡大してきた。自発的な参加者だけでなく、労働組合が呼びかけたこともあり、3月中旬にはその規模が128万人以上に膨れあがったとも推計される。
フランスは「革命とデモの国」とも呼べるほどデモが頻繁に発生する国だが、この規模のものは滅多にない。
そのきっかけは年金改革にあった。マクロン政権は財政赤字削減の一環として、年金支給開始年齢を62歳から64歳に引き上げようとしているのだ。
現状の62歳はヨーロッパでも最も若い部類に入る。しかし、もともとフランスでは労働者の権利意識が強く、そのうえコロナ禍とウクライナ侵攻による物価高騰など悪条件のそろったタイミングであることも手伝って反発は強い。
3月初旬の世論調査では改革賛成が32%にとどまった。
こうしたなか、マクロンとボルヌ首相は3月16日、憲法49条の発動を決定した。この条項は大統領が必要と判断した場合に議会の承認なしに法案を成立できると定めている。
この強硬策が裏目に出て、デモはさらにエスカレートしたのだ。暴徒化した一部の参加者と、催涙弾や閃光弾を用いてでもこれを鎮圧しようとする警察の間の衝突も急増した。
フランス内務省によると、3月24日までに903カ所で火の手が上がり、457人が逮捕された。また、441人の警察官・憲兵が負傷したとも報じられている。
こうしたなかでチャールズ国王夫妻の訪問延期は決まった。
イギリス政府には、仮に国王夫妻の安全が脅かされなかったとしても、フランスで不人気絶頂のマクロンとツーショットに収まれば、イギリス王室のイメージまで悪化しかねないという判断があったと見られる。
これまでにあった導火線
もっとも、今回の抗議デモの爆発的な広がりには伏線もあった。
マクロン政権は2017年に成立したが、翌2018年11月には約30万人のデモ隊がパリを覆い、大統領府(エリゼ宮)周辺を焼き討ちにする騒ぎにまで拡大した。
この抗議活動のきっかけは、燃料税引き上げにあった。マクロン政権は地球温暖化対策としてエコカー普及を推奨し、これと税収確保を結びつけたのだが、これが右派、左派を超えた批判を呼んだのだ。
おまけに、企業家出身のマクロンは就職活動に苦労している大学生に「仕事ならいくらでもあるはずだ」と言い放つなど、エリート的、富裕層的発言が目立ったことも反感に拍車をかけた。
この抗議デモはイエローベスト運動とも呼ばれた。参加者の多くが道路工事の現場などで作業員の着る黄色い安全ベストを着用し、「普通のフランス人」をアピールしたことに由来する。
この時は、マクロン政権が燃料税引き上げ提案を取り下げた。
しかし、翌2019年12月、今度は業種ごとに分断されている年金制度を一本化させる方針が打ち出され、これによってくすぶっていた反マクロンの抗議活動が再びエスカレートしたのだ。
フランスのGDPに占める年金の割合は14%で、先進国でも屈指の水準にある(ちなみに日本は10%未満)。制度の無駄をなくすことで、財政負担を軽減しようとしたわけだが、これによって年金が削減される業種も多いとみられた。
その結果、高速鉄道TGVやエールフランスもストップし、学校も閉鎖されるほどのストが発生した。100万人前後が参加したこの抗議活動は、数十年に一度の規模といわれた。
現役世代の不満はどこへ行く
こうした背景のもと、これまでになく広がる抗議活動は、マクロンがいずれ大統領を退いた後、フランスで極右政権が誕生する布石になる可能性もある。
昨年4月の大統領選挙決選投票でマクロンは野党・国民連合のマリーヌ・ルペン党首を破り、再選を果たした。
国民連合はヨーロッパ極右の草分けともいえる政党で、反EUの主張でも知られる。ルペンはかつて移民や同性愛者に厳しいプーチン大統領を称賛し、ロシア政府から選挙資金を借り入れた経緯がある。ウクライナ侵攻後、「ロシアへの見方は変わった」と釈明しているが、制裁には消極的なままだ。
これを嫌う左派系の相乗りでマクロンは勝利したわけだが、ルペンの得票率は41.45%で、過去最高を記録した。
ルペンの得票率を押し上げた一因は、現状に対する現役世代の不満にあった。
有権者の年齢ごとの内訳でみると、マクロンに投票したのは70歳以上で71%、18~24歳で61%、60~69歳で59%だったが、25~34歳では51%、35~49歳では53%、50~59歳では49%にとどまった。
つまり、極右のヘイトメッセージに敏感な若者と「一抜け」の高齢者にはマクロン支持が目立ったが、現役世代の投票は拮抗していたといえる。
選挙戦でマクロンは国内問題を避け、ウクライナ侵攻への対策に重点を置いたキャンペーンを展開したが、マクロン改革への反感がルペン支持を増やす一因になったとみられる。
マクロンの任期は2027年に終了する予定だ。チャールズ国王夫妻の訪問延期という異例の事態を招いた今回の抗議デモは、後の時代から振り返った時、フランス政治やヨーロッパの方向性の分岐点になるかもしれないのである。