誰もが憲法9条に対してクリーンハンドではない、ということ ~今後の熟議のために(下の1)
5 従来の政府解釈の妥当性が長年、批判を受けてきた、という問題
「憲法上許されるのは個別的自衛権の行使だけで、集団的自衛権の行使は一切認められない」とする政府の憲法解釈は、安倍内閣が昨年7月1日に変更するまで、歴代政府に継承されてきた(以下「旧解釈」という)。この安保法案の国会審議中、反対派メディアには憲法学者だけでなく元内閣法制局長官も次々と登場し、この解釈変更がいかに不当かを語ってきた。他方で、この内閣法制局が編み出した旧解釈が冷戦終結後四半世紀にわたり、有力な保守系政治家や学者などから批判されてきたという事実は、ほとんど指摘されなかった。
1991年、湾岸戦争からまもなく、海部政権下で自民党の小沢一郎幹事長(当時)を会長とする「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(通称「小沢調査会」)が設置された。小林節・慶大教授はその講演で旧解釈を痛烈に批判し、集団的自衛権行使を可能とする解釈変更を提唱した。後年、小林教授は解釈変更のために人事権を使用すればよいと提案したことも明かしている。(*1)
小沢調査会は1992年の答申で、集団的自衛権の解禁には言及しなかったものの、国連を中心とする集団安全保障の武力行使は現行憲法下でも可能であり、旧見解は「もはや妥当性を失っている」と断じた。(*2) 同じ年、自民党が設置した有識者の「安全保障問題懇談会」も、「積極的平和主義」への転換を提唱し、旧解釈の見直しに言及。(*3) その後、小沢一郎氏は自民党を離党し、内閣法制局の憲法解釈批判の急先鋒となる。旧解釈を「間違っている」と断じ、憲法上、集団的自衛権に基づく多国籍軍参加も可能だと主張してきた。(*4) 1994年には、羽田内閣(非自民の連立内閣)の柿沢弘治外相が「個別的自衛権と集団安全保障の中間点にある集団的自衛権がすっぽり抜けているのは、憲法解釈として不自然だ」と疑問を呈したこともあった。(*5) 中曽根康弘元首相(1982〜87年)も、「内閣法制局は集団的自衛権はあるが、使えないと言っている。しかし、こんないんちきな解釈はない。個別的自衛権と集団的自衛権は同根一体だ」などと公然と批判。(*5) メディアから「ハト派」と扱われてきた宮澤喜一元首相(1991〜93年)でさえ異議を唱えていた。
「集団的自衛権」と「海外派兵」は重なり合う概念だが、同じではない。「集団的自衛権」は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義される国際法の概念であるのに対し、「海外派兵」は「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣すること」と定義されている日本独自の概念である。(*7) いずれも1970年代に確立した定義が、理論家でありPKO国会の質疑を乗り切った宮澤首相の念頭になかったとは考えにくい。憲法上武力行使が許される基準を「個別的自衛権か集団的自衛権か」ではなく「海外派兵かどうか」で画すると、「海外派兵の禁止に抵触しない限度での集団的自衛権の行使」(たとえば公海上での集団的自衛権の行使)を認める余地が出てくる。宮澤元首相は2001年の講演で「私の遺書」として、集団的自衛権の一部行使を可能とする解釈変更を提唱し、この世を去っている。(*8)
先に紹介した、集団的自衛権行使に政策論として反対している法哲学者、井上達夫教授はこう指摘する。では、なぜ内閣法制局は「個別的自衛権か集団的自衛権か」という基準で線引きし、このいわば「古い解釈改憲」を守ってきたのか。公式には、憲法が基本原則とする「平和主義」によって国家固有の自衛権が制約されるとし、国民の生命、自由、幸福追求権を根底から覆す事態を排除するための必要最小限度の範囲にとどまるのは「わが国への急迫、不正の侵害に対処する場合」(自国への武力攻撃の発生)に限られる、という説明だった。(*9)
これに対しては、上述の小林教授の批判のほか、憲法の基本原則「平和主義」には国連中心主義などさまざまなバリエーションがあり得るなどの疑問も出され、「集団的自衛権が認められないとする根拠は、必ずしも明らかでない」と指摘されていた。(*10) 自衛隊合憲論の立場から集団的自衛権行使は違憲と指摘する長谷部恭男・早大教授も、線引きの合理的理由を詰めて問うことはしていなかった。
旧解釈の線引きの背景には、集団的自衛権に対する一つの価値判断が垣間みえる。阪田雅裕元長官は退任後、政府の憲法解釈を整理した著書で、「他国防衛権」である集団的自衛権は「個別的自衛権とは決定的にその性格を異にする」と指摘し(*11) 、インタビューでは「ベトナム戦争も、旧ソ連のハンガリーやチェコへの侵攻も、戦後の大国の戦争はみんな集団的自衛権の行使のもとに行われてきました」とあえて濫用事例に言及している。(*12) 内閣法制局を取材してきた中村明・元共同通信編集委員は「集団的自衛権という概念は、自衛権概念の濫用」という疑念が内閣法制局にある、と指摘している。中村氏が入手した高辻正己元内閣法制局長官(在任1964〜72年)の遺稿には、集団的自衛権は「他国と第三国との間の武力衝突に因む国際紛争を解決する手段につかえるもの以外の何ものでもない」との見解を示し、これを変えるには憲法改正が不可欠で、解釈変更は「なんとしても防止しなければならない」と書かれていた。(*13)
この遺稿が書かれた1997年の前年、日米安保共同宣言を契機として学界や論壇で集団的自衛権の論議が急速に高まり、当時から政府解釈批判をリードしていた佐瀬昌盛・防衛大教授や元外交官の岡崎久彦氏は、のちに安倍内閣の有識者会議で憲法解釈の変更を提言することになる。(*14)
自民党だけでなく民主党内にも従来の政府解釈に疑念をもち、集団的自衛権行使を容認すべきとの声が広がっていた。(*15) しかし、2009年に政権獲得後、枝野幸男・法令解釈担当相は解釈変更を行わなかった。(*16) 自民党が政権に復帰後、民主党の玄葉光一郎元外相はこう述べていた。
(続く)
【注釈】
(*1) 小林節教授は2001年の講演で次のように述べていた。
(*2)小沢調査会の提言の要旨ー答申原案(毎日新聞、日本財団図書館)
(*3) 読売新聞1992年12月23日付朝刊3面「自民安保懇『集団的自衛権』見直し提言 積極的平和主義を前面に」
(*4) 朝日新聞1996年6月7日付朝刊7面「小沢一郎新進党党首に聞く 多国籍軍参加は憲法の精神」。
(*5) 産経新聞1997年3月9日付朝刊「国家安保制定法を強調 中曽根氏」
(*6) 産経新聞1994年4月30日付朝刊「【主要閣僚に聞く】柿沢弘治外相 有事立法の検討必要」
(*7) 政府の国会提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」(1972年10月14日)、衆議院議員稲葉誠一君提出自衛隊の海外派兵・日米安保条約等の問題に関する質問に対する答弁書(1980年10月28日)など。
(*8) 読売新聞2001年9月9日付朝刊2面「講和条約記念シンポ閉幕 集団的自衛権行使を提唱 宮沢氏『私の遺書』」
(*9) 政府の国会提出資料「集団的自衛権と憲法との関係」(1972年10月14日)
(*10) 大石眞「日本国憲法と集団的自衛権」『ジュリスト』2007年10月15日号、大石眞「憲法講義1」有斐閣
(*11) 阪田雅裕「政府の憲法解釈」有斐閣、2013年、58頁
(*12) 阪田雅裕(聞き手・川口創弁護士)「『法の番人』内閣法制局の矜持ー解釈改憲が許されない理由」大月書店、2014年、157頁
(*13) 中村明「戦後政治にゆれた憲法九条 −内閣法制局の自信と強さ−」西海出版、2009年
(*14) 石破茂元防衛相は佐瀬昌盛・防衛大教授の著書を何十回も読み、多大な影響を受けたと語っている。(石破茂・小川和久「日本の戦争と平和」ビジネス社、2009年、269頁)
(*15) たとえば、2000年10月15日、民主党の鳩山由紀夫代表(当時)はテレビ番組で、集団的自衛権について「一切認めないという発想だと、国際貢献を十分に行えないことになりかねない。できる時とできない時とを国会の議論の中で結論を出すべきだ」と政府解釈の見直しに言及していた。(読売新聞2000年10月16日付朝刊1面「集団的自衛権、憲法明記を 民主・鳩山代表 9条改正、「国軍に」)
(*16)枝野幸男・前法令解釈担当相インタビュー「間違った憲法解釈の是正はありうる」(朝日新聞GLOBE 2010年6月14日)