(下の2)編
6 日米安保体制を選択して集団的自衛権と無縁でいられるのか、という問題
7 9条と実態の乖離を固定化することが「立憲主義」に合致する態度なのか、という問題
安倍政権はなぜ、今回の集団的自衛権行使の解禁にあたって解釈変更ではなく、憲法改正手続きを踏まなかったのか。ハードルの高い道を避けて安易な方法で、憲法上の制約を解くのは立憲主義に反するのではないかー。こういった疑問の声は、行使容認論者である山崎拓・元自民党副総裁など改憲派からも、聞かれた。(*1) これに対し、安保法案に関する与党協議で中心的役割を果たしてきた高村正彦・自民党副総裁は、憲法改正について問われ、こう語っている。
世界各国で国民投票の実態を調査し、個人の信条は「9条原理主義者」だというジャーナリストの今井一氏は、12年前の著書で、こうした解釈改憲派の本音を言い当て、今日の事態を見事に予測していた。
では、「護憲派」が多くを占めるとされる憲法学者は、いかにして9条と現実の乖離を容認してきたのか。「立憲主義」の歴史や理念に詳しい樋口陽一・東大名誉教授は、条文と現実の運用との緊張関係を作り出してきた歴史的意義を踏まえると、まだ全面的な「空洞化」には至っていないとする。また、長谷部恭男・早大教授は、立憲主義と安全保障上の現実に照らした帰結主義的論理から、「自衛のための実力の保持」を合憲とする立場だが、9条をあくまで「準則(rule)」ではなく「原理(principle)」に過ぎないものと理解している。
このように「立憲主義」を深く研究し、啓蒙してきた(自衛隊については立場がやや異なる)2人の憲法学者はともに、「9条の文理と現実の乖離」と「立憲主義」を矛盾のないものと理解し、9条を変えるべきでないとの立場を貫いている。
一方、9条と現実の乖離の固定化を容認する護憲派に対して「立憲民主主義」の原理から批判しているのが、法哲学者の井上達夫・東大教授である。井上教授は、「正しい安全保障体制」が何かは通常の民主的政治過程で争われる政策課題であるとの考えから「九条削除」論を提起してきた。同様に、解釈改憲を「大人の知恵」として容認し、9条の本旨に向き合ってこなかった護憲派の欺瞞を突いてきた今井氏は、立憲主義を立て直すためには、国民が戦争や軍隊について徹底的に議論して国民投票で結論を出すしかないと主張している。
このように安保法案に対して反対であり、同じ「立憲主義」を語る論者も、問題のとらえ方が大きく異なっているのである。
いずれにせよ、自衛隊を合憲とする従来の政府の憲法解釈が、決して、憲法の論理から自然に出てきたものではなかったという歴史的事実は、改めて共有しておく必要があると思われる。これまでも紹介してきた高辻正己元内閣法制局長官の証言である。
阪田雅裕元長官は安倍政権の解釈変更を「立憲主義」の危機だとして批判し続けてきたが、9条と現実の乖離を是正してこなかった責任は政治よりむしろ国民の方が大きいとも指摘していた。また、安保法案に反対の立場で衆議院の参考人質疑(7月1日)に出席した伊勢崎賢治・東京外国語大教授も、野党の対応に失望感を表し、9条を空洞化させてきた談合の歴史こそが根本的な問題であると訴えていた。
こうした指摘は、今回の安保法案をめぐる「報道の二極化」現象のもとで、ほとんど注目されることはなかった。しかし、立場がどうであれ「9条と現実の乖離」とどう向き合っていくのかという問いは、憲法と安全保障のあり方を少しでも真剣に考えるのであれば、誰一人として避けて通れないはずである。
(了)