Yahoo!ニュース

李登輝元総統の死が思い出させるデジタル化に遅れた日本の分岐点

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(529)

葉月某日

 7月30日に死去した台湾の李登輝元総統の遺体は14日に台北市内のキリスト教会に運ばれ、遺族や関係者による礼拝の後で火葬された。李登輝元総統の死去は日本でも大きく報道され、「親日」で武士道精神の持ち主だったことが強調されたが、それとは異なる側面でフーテンにも格別の思い出がある。

 台湾は新型コロナウイルスの感染防止に成功した国として評価が高い。それは中国で感染が始まると政府がすぐに「検疫体制」を強化し、官民が協力してマスクの自国生産に乗り出したこともあるが、そのマスクを国民に配布するシステムを「天才プログラマー」と呼ばれるデジタル担当大臣が開発したことによる。

 台湾にはデジタル担当大臣がいることも驚きだったが、その大臣が38歳という若さの性的マイノリティで、独学でコンピューターを学び、19歳で米国のシリコンバレーで起業した経験を持つという情報も驚きだった。台湾政府はその特異な才能を見抜いてこの人物が35歳の時にデジタル担当大臣に抜擢した。

 先日CNNテレビを見ていたら、モルガン・スタンレー銀行の経済アナリストが、コロナ後に成功する国としてドイツと台湾の名前を挙げていた。他の先進国に比べてドイツは政府の債務が少なく財政が健全であること、台湾はデジタル技術で優位に立っていることが理由だった。

 デジタル技術を巡っては現在米中が激しく覇権を争っており、それが「戦争前夜」と呼ばれるほど先鋭化した状況を作り出している。しかしその経済アナリストは米国でも中国でもなく台湾の優位性を評価していた。

 台湾がそれほど評価されるデジタル技術の地ならしをしたのは李登輝元総統だったとフーテンは思っている。李登輝氏が主導した台湾の民主化運動は、実はケーブルテレビの普及促進と連動している。それがデジタル先進化への地ならしだった。

 李登輝氏が初めて選挙で台湾総統に選ばれた1996年、それが台湾独立の動きにつながると怒った中国は台湾海峡でミサイル演習を行い、台湾にミサイルが撃ち込まれるかもしれない緊急事態となった。フーテンはその危機のさ中に台湾を訪れ、台湾のケーブルテレビ事情を視察した。冒頭に書いた「思い出」はその時のことだ。

 当時のケーブルテレビ先進国は米国で、米国の世帯の7割はケーブルテレビに加入していた。ところが何でも米国の真似をする日本でなぜかケーブルテレビの導入が進まない。旧郵政省の動きを見るとむしろ普及させないようにしている。一方でケーブルテレビの普及促進に積極的だったのは台湾だった。

 それには国民党の独裁体制から脱却しようとする民主化運動の側面がある。日本の植民地支配が終わると台湾は国共内戦に敗れた中国国民党に支配される。国民党政府は独裁体制を敷き、言論の自由を認めなかった。テレビも国民党が経営する局しかなかった。

 1980年代に米国にケーブルテレビが登場するとテレビの世界は激変する。電波のテレビは1つの局がニュースもドラマもお天気も何でもやるデパート方式だが、ケーブルテレビは専門店方式で、映画専門、医療専門、政治専門、事件専門、歴史専門、子供専門など数多くのチャンネルから見たいものを選んで見る。多チャンネル放送という。

 台湾では国民党の支配に不満な民衆が秘かにケーブルを引いて独自に放送を始めた。言論の自由を認めない国民党政府はこれを取り締まる。警察が昼間ケーブルを切断すると民衆は夜にまたケーブルをつなぐ。そのいたちごっこが続いた。つまりケーブルテレビは民主化運動の一環だった。

 李登輝氏が蒋経国国民党総統の死去に伴い総統に就任すると、ケーブルテレビを合法化し、むしろ米国に倣って積極的に多チャンネル放送を促進する。そして台湾内にとどまらずアジア一円に向けて発信する放送に力を入れた。デジタル技術も積極的に取り入れ、米国と遜色のないレベルになったと聞き、フーテンはその実情を見に行った。

 フーテンがなぜケーブルテレビにこだわったかというと、政治記者になってからNHKの「国会中継」が国民の政治理解を阻害していることを痛感し、政治の実像を国民に知らせるにはケーブルテレビの多チャンネル放送が必要と考えたからだ。

 フーテンも政治記者になる前までは、日本の政治を与党の自民党と野党の社会党や共産党が戦う構図と理解していた。先輩記者からは野党が非力なのでジャーナリズムは野党を応援すべきと教えられた。ところが現実の政治を取材して、それがウソであることを知る。

 与党と野党は戦っていない。NHKの「国会中継」の中では戦っている姿を国民に見せるが、見えないところで裏取引をし、収まるところに収めている。妥協点を探るのが政治だから、収まるところに収まれば、問題がないと言えば言える。しかし国民は騙されている。

 このウソをいつまで続けるのか。国民の理解と政治の実像の違いはいつか必ず破綻を招く。その思いから世界の議会とテレビの関係を調べた。すると英国も米国も議会のテレビ中継を禁止してきた歴史を知る。テレビ中継すると国民の人気取り(ポピュリズム)に走る政治家が出てくるからだ。ポピュリズムがナチスを生んだ経験がそうさせていた。

この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2020年8月

税込550(記事5本)

※すでに購入済みの方はログインしてください。

購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。
ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

田中良紹の最近の記事