ドラマ『燕は戻ってこない』が描いた平凡なひとびとの「極端な営み」──「生きづらさ」に光をあてるNHK
7月2日にNHKドラマ『燕は戻ってこない』が最終回(全10話)を迎えた。桐野夏生の小説を原作とするこの作品の出来は、上半期の地上波ドラマで頭ふたつ抜け出るほどの圧倒的な水準だった。
そこでモチーフとされていたのは、代理出産だ。
描かれるのは、経済的困窮のために代理出産を請け負う女性と、彼女に代理出産を依頼する子を授からなかった夫婦だ。
この作品は代理出産をめぐる彼女たちを克明に描くことで、現代日本のさまざまな問題をあぶり出す大傑作となった。
代理出産をめぐる物語
主人公は、北海道・北見出身の大石理紀(石橋静河)。東京の病院で派遣社員として働く彼女は、貧しい生活を余儀なくされている。ある日、彼女は同僚から代理出産の紹介をされる。過去に望まぬ妊娠で堕胎したこともあって逡巡したものの、理紀はその仲介会社に赴く。
一方、元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻の草桶悠子(内田有紀)は子を授からず、基の母・千味子(黒木瞳)の後押しもあって代理出産の可能性に足を踏み出す。
そして理紀と草桶夫妻は出会い、代理出産の契約を交わす──。
平凡なひとびとの多面性
このドラマは理紀が妊娠し、出産するまでを描く。その過程で、物語の中心にいる3人の生々しい人間性が伝わってくる。
理紀は進学のような明確な目的がなく上京して貧困に喘ぎ、多額の報酬と引き替えに代理母の契約を結ぶ。過去の恋愛や一時的な帰郷における行動、そして代理出産まで、計画性のない行動ばかりしているように見える。
だがこのドラマは、なぜ彼女がそうした行動をせざるを得ないかをしっかりと伝える。理紀は単に若者特有の刹那さから不用意な行動に走るのではなく、そうした選択しかできない状況に置かれていることが、彼女を取り巻く環境やその内面性までしっかりと描かれて伝えられる。
一方、代理出産を望む元バレエダンサーの基は、ひとあたりは良く穏やかだが、理紀にも妻に対してもとても無神経で独善的な一面をしばしば見せる。また妻の悠子も、理紀に同情して彼女を支えるものの、やはり最後には無神経な側面を見せる。
他にも、跡取りを残すことに執着する基の母はつわりがひどい理紀の世話をし、理紀の元不倫相手(戸次重幸)は性的な欲求ばかりを持つものの自分の子どもをとてもかわいがっている。女性用風俗で働く元教師のダイキ(森崎ウィン)は、優しく理紀に接するものの不意に故郷の沖縄に戻っていく。
多面的に描写されるそうした登場人物は、おしなべて生々しい。利己的で計画性がなく、しかし悪人とは言い切れない。
そこで描かれ続けたのは、平凡なひとびとによる「極端な営み」だ。
「生きづらさ」を描くNHKドラマ
100%ではないにしろ、その登場人物は視聴者の共感可能性を十分に持っていた。彼女/彼らに不快感を抱いたとしても、それは自己嫌悪につながる類のものだ。エグい顔と優しい顔──人間はおしなべてその両面を持っている。
そこでは代理出産に翻弄される人々を通して、日本社会のさまざまな問題も浮かび上がる。ミクロの描写が、マクロである社会につながっていく。しかも搾取する男性と搾取される女性といった単純な構図にとどまらず、複雑な構造を照射する。
もちろん、火曜日22時に多くのひとに届けられる地上波テレビのドラマとしては、この作品はハードルが高かったのかもしれない。しかし、その意義は大きい。民放ではなかなか見られない丁寧な脚本と演出には、視聴者におもねるような妥協はまったく見えなかった。それは受信料で経営されているNHKだからこそ可能だった内容だろう。
そして最近の『虎に翼』や『VRおじさんの初恋』もそうだが、NHKのドラマはここにきて二段階ほどギアを上げた印象がある。そのクオリティは動画配信で十分に韓国や欧米のドラマに比肩する水準だ。
しかも本作も含むそれらの作品で描かれてきたのは、これまでなかなか注目されてこなかった生きづらさを抱えるひとびとだ。
「極端な営み」の根源に複雑な生きづらさがあること──『燕は戻ってこない』はそれを丁寧に描いた傑作である。
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