8月に不戦を誓うより7月に戦争の必要性を考える
フーテン老人世直し録(93)
文月某日
フーテンは年の初めに「今年は嫌でも戦争を意識せざるを得ない」と書いた。今年が日清戦争勃発から120年、第一次世界大戦勃発から100年目に当たるからである。日本人はこの二つの戦争を今一度考え直す必要があるとフーテンは書いたが、今回はそれに加えて「7月は戦争の始まる月」という話を書く。
朝鮮半島で起きた農民の反乱を巡り、日清両国が宣戦布告して戦争が始まったのは1894年の7月25日、また皇太子をセルビアの青年に暗殺されたオーストリアがセルビア政府に宣戦布告し第一次世界大戦が始まったのが1914年7月28日である。さらに泥沼となる日中戦争の導火線である盧溝橋事件も1932年の7月7日に起きた。7月はきな臭いのである。
今年の7月1日には安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、戦争放棄を謳った日本国憲法の解釈を180度転換させたが、その日は憲法で軍備を放棄したはずの日本が事実上の再軍備をして自衛隊を発足させた60年目の記念日でもあった。7月は戦争と無縁でない。
戦後の日本人は8月15日を終戦記念日として戦争を思い起こし、不戦の誓いを立てるが、それは情緒的な色彩が強いとフーテンは思う。戦争犠牲者を悼み、戦争の悲惨さを確認し、「だから戦争は良くない」と言う一方で、現実は自衛のための戦争を着々と準備し、準備の規模も拡大されている。
戦争は悲惨で愚かである。そのことに異を唱える者はいない。しかし「戦争は良くない」と何万回叫んでも、おそらく地球上から戦争はなくならない。なくならないのは、それを必要とする人間がいるからである。なぜ戦争は必要とされるのか、それを解明しない限り戦争をなくすことは出来ないとフーテンは考える。
戦争が終わった8月に不戦の誓いを立てるより、戦争が始まった7月になぜそれが始まったのかを考え、必要とされる要因を一つずつ取り除く方策を考える方がよほど効果的ではないかと思うのである。
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