レミー・キルミスター(モーターヘッド)没後3年。聖地巡礼の旅
2015年12月28日にイアン“レミー”キルミスターが亡くなって、早くも3年が経つ。
モーターヘッドのヴォーカリスト兼ベーシストとしてカリスマ的な人気を誇ったレミーは、 世界的に絶大な支持を得てきた。日本においても映画『モーターヘッド/クリーン・ユア・クロック』が劇場公開され、書籍『レミー・キルミスター自伝 ホワイト・ライン・フィーヴァー』が重版されるなど、彼の存在はファンの中で生き続けている。
世界中のファンがレミーに所縁のある“聖地”を訪れ、その人生へのセレブレーションを行ってきた。ロサンゼルス近郊ハリウッド・ヒルズのフォレスト・ローン・メモリアル・パーク墓地にある彼の墓には巡礼者が絶えず、常に花が供えられている。
なお、墓参記はこちら。
ロック墓参記 第1回/ロサンゼルス編:レミー、ロニー・ジェイムズ・ディオ、キャリー・フィッシャー他
そしてもうひとつの“聖地”とされているのが、ロサンゼルスのサンセット・ストリップにある“レインボー・バー&グリル”だ。レミーはこの酒場の常連で、ツアーに出ていないときは毎日のように訪れ、ジャック・ダニエルズのコーラ割りを飲みながらビデオ・ポーカーに興じていたという。
かつて“ヴィラ・ノヴァ”という名前の酒場で、マリリン・モンローがジョー・ディマジオと出会った場所としても知られた“レインボー”は1972年に現在の名前となり、ロック・ミュージシャンがツアーでロサンゼルスを訪れると必ず立ち寄る名所となった。レッド・ツェッペリンやザ・フー、ジョン・レノン、モトリー・クルー、ガンズ&ローゼズなど錚々たる顔ぶれが常連だった“レインボー”はディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアが新バンドの名前に使ったことでも有名だ。
日本からも数多くのロック・ファンが訪れた“レインボー”だが、遭遇率が高いのがレミーだった。彼は気さくにファンと接し、サインや写真にも応じていた。レミーは“レインボー”を愛し、“レインボー”はレミーを愛した。
レミーの没後、“レインボー”で彼が常駐していた一角は“レミーズ・ラウンジ”と命名され、世界中のモーターヘッド・ファンが集う憩いの場所となっている。モーターヘッドの写真があちこちに飾られ、生前のレミーがお気に入りだったカウンターの席でビデオ・ポーカーをプレイしたり、レミーの銅像と記念写真を撮ることも可能だ。そして何よりも、かつてレミーが過ごした空間を共有できる喜びを感じられるのが、“レミーズ・ラウンジ”なのだ。
世界各国のモーターヘッド・ファンや地元の常連客で賑やかだが、過剰に騒がしくもなく、ジャック&コークを片手にくつろぐことが出来る空間となっている。
レミーは“レインボー”に近いから、という理由で、サンセット・ストリップを横断して数分歩いたところにあるマンションに住んでいた。個人宅のため、あえて場所は特定しないが、レミーが歩いたであろう道筋を辿っていくと、モーターヘッドの音楽と共に過ごしたさまざまな思い出が湧き上がってくる。途中には通学路の標識があり、近所の小中学生はレミーを見てどう感じただろう?...と想いを馳せてしまう。
レミーを題材にしたドキュメンタリー映画『極悪レミー』(2010)でも彼が住んでいたマンションの様子を見ることが出来るが、とにかくレコードや本、グッズやメモラビリアなどが所狭しと置かれていた。そのため彼は2014年にすぐ近くのマンションを購入、亡くなったのも新居だったという。
レミーが最後に日本のステージに立ったのは2015年7月24日、フジ・ロック・フェスティバルだった。死期の迫っていたことを知っていたのだろうか、彼は生命のありったけを絞り出すようなライヴを見せて5ヶ月後、我々の前から旅立っていった。
●映画『モーターヘッド/クリーン・ユア・クロック』日本公式サイト
2018/12/28までシネマート新宿にて極悪公開、ほか全国順次公開中
2016年作品/DCP
出演:レミー・キルミスター、フィル・キャンベル、ミッキー・ディー
提供:キングレコード 配給:ビーズインターナショナル 配給協力:アンプラグド
●Lemmy's Lounge公式サイト
●【ライヴ・レビュー/後編】フジ・ロック・フェスティバル’15/2015年7月24日(金)〜26日(日)新潟県・苗場スキー場 〜 モーターヘッド編
https://www.yamaha.com/ja/journalist/news.php?no=15303
●【追悼】レミー・キルミスター(1945- 2015)/ モーターヘッドの総帥 ロックの巨星墜つ
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20151229-00052940/