Yahoo!ニュース

【追悼】レミー・キルミスター(1945 - 2015)/ モーターヘッドの総帥 ロックの巨星墜つ

山崎智之音楽ライター
Lemmy of Motorhead(写真:REX FEATURES/アフロ)

2015年12月28日、イアン・フレイザー・“レミー”・キルミスターがロサンゼルスの自宅で亡くなった。

24日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。癌が発覚して、わずか2日後の死だった。

ホークウィンドを経て、1975年にモーターヘッドを結成。

『エース・オブ・スペイズ』(1980)、『極悪ライヴ』(1981)などがヒット、その極悪ロックンロール魂は崇拝の対象となってきた。

近年では高齢、そして糖尿や血腫と闘病しながらツアーを続け、フジ・ロック・フェスティバル15で日本のステージに立っている。

また、最新アルバム『バッド・マジック』も発表したところだった。

奇しくも1ヶ月半前、11月11日には初期モーターヘッドのドラマーだったフィルシー・“アニマル”・テイラーが亡くなったばかり。

世界中のロックンロール・ファンがそうであるように、筆者(山崎)もまた、彼の死をまだ受け入れられずにいる。

そのため、ここでは2010年、彼を題材にしたドキュメンタリー映画『極悪レミー』公開時に書いた文章を再掲載したい。

もちろん当時レミーは存命だが、彼の人生へのセレブレーションという性質の記事だ。

誰よりも速く、激しく、汚いロックンロールで我々に勇気を与えてくれたモーターヘッドに感謝しよう。

●我々が知らなかったレミー

『極悪レミー』で最初に驚かされるのは映画の冒頭、TVゲームに興ずるレミーである。さらに続いて、自炊する彼の姿が映し出される。

モーターヘッドの“49%マザーファッカー、51%サノバビッチ”という荒くれ暴走パブリック・イメージとは相反するシーンは、導入部として完璧である。映画館を訪れる観客の多くは、レミー・キルミスターが何者であるかを知っている。そんな彼らの固定観念を覆す、秀逸なイントロダクションである。

さらにこの映画では、レミーが糖尿を患っており、投薬を受けている事実が明らかになる。2010年のクリスマスの日に65歳を迎える彼の年齢、そしてツアーの不規則な生活を考えると、さほど意外なことではないかも知れない。だが、非日常を売り物とするロック・ミュージシャンが生活習慣病をカミングアウトするのは、きわめて異例のことである。ちなみにポイズンのブレット・マイケルズも糖尿病であることを明らかにしているが、彼の場合は膵臓の不全による1型糖尿病であり、食べ過ぎや運動不足によるものではない。

もうひとつ、レミーの日常生活で驚かされるのが、彼の住むマンションの家賃が月800ドルだという事実。約6万7千円である(2015年注:2010年当時)。間取りは明らかになっていないが推定2DKぐらい、しかもロサンゼルスのサンセット・ストリップ近くでこの家賃というのは、意外なほどに安い。むしろ破格であると言ってしまえるだろう。東京23区だったら、ワンルームでもどうかという家賃である。ところで彼が住んでいるのは有名な『レインボー・バー&グリル』から2ブロック裏手にあり、オフの時はほぼ毎日訪れているという。これは映画の中だけの誇張ではなく、ロサンゼルスで『レインボー』に行くと本当にレミーと遭遇することが多いらしい。実際に彼と会った経験者は多く、話の邪魔をしたり失礼がない限りは、気軽にサインや写真などにも応じてくれるそうだ。

このようにいくつか例を挙げるだけでも、『極悪レミー』は多くのモーターヘッド・ファンが知らなかった事実が明らかになる映画だ。最近初めてモーターヘッドの音楽に殺られたリスナーはもちろん20年、あるいは30年以上彼らのことを追ってきた年季の入ったファンであっても、まったく新しいレミー像が見えてくるに違いない。

ただそれは、我々ファンがこれまでいかにレミーのことを知らなかったかを如実に表している。レミーの生きざまに共鳴する、憧れるなどと言う人もいるが、それは多分にモーターヘッドのライヴで酒焼け声で吼え、ギターのようにベースをかき鳴らすレミー、長髪にイボ、ガンベルトを巻いたカウンター・カルチャーのアイコンであるレミーのことである。イアン・フレイザー・キルミスターは、多くの謎に包まれた存在であり続ける。

筆者にしても90年代後半から5回、トータル約5時間のあいだインタビューを通じてレミーに触れただけであり、私生活の彼についてはまったく知らないのだが、長い人生において一瞬と言っていいその遭遇は、彼に対する尊敬と畏怖の念を強めさせるものだった。とりあえずレミーの神話について知っていることをいくつか書き綴り、考察を加えてみたい。

●ジャック&コークに彩られた人生

レミー自伝へのサイン(筆者所蔵)
レミー自伝へのサイン(筆者所蔵)

まず最初にレミーの飲酒についてだが、彼はジャック・ダニエルズのコーラ割り、通称ジャック&コークがお気に入りで、インタビュー中でも飲んでいる。複数回インタビューした時、どちらでも飲んでいたし、インタビューをしていない時も飲んでいるらしい。何年(何十年?)ものあいだ、よく飽きないものだと思うが、イメージ作りでも何でもなく、本当に大好きなのだ。前述の『レインボー』でも、やはり飲むのはジャック&コークだ。ジャック・ダニエルズはコーラ割りを缶で市販しているが、レミーの場合は自分で割っている。なお、ホテルのルームサービスでこの消費量だと高くつくため、レコード会社やプロモーターの関係者が格安酒店でボトルを買って持ち込むこともある。そういえば一度、筆者とのインタビューがその来日時の最後の取材だったことがあり、半分ぐらい空けたボトル(その日何本目だったのかは不明)を「いる?」と言って、残りをくれたことがある。サインしてもらったジャック・ダニエルズのボトルは、現在も家宝である。

ただ、レミーが取材の席で酔って乱れる姿は、少なくとも筆者は見たことがない。確かオジー・オズボーンだったか、「レミーはいくら飲んでも酔わない。羨ましい」と語っていたが、呂律が回らなくなることも、暴れることもない。長年飲み続けたせいか、ドラッグのせいもあるのか、声は見事に酒焼けしているが、アルコール中毒という印象も受けない。レミーが血液検査に行ったら、あまりに有害物質だらけで、それが身体に馴染んでいるため、きれいな血液を輸血したら肉体が耐えられないと医者に言われたというのも、あながちジョークとは言えない。全身をアルコールが流れているのが、レミーにとって普通の状態なのだ。

ただ、レミーの談話からは、たまに泥酔したときの逸話が出てくるため、必ずしも酔っぱらうことがないわけではないようだ。彼は友人のポルノ映画監督兼男優ロン・ジェレミーの映画に出演しているが(男優としてではなく)、それは泥酔しているときに頼まれて、訳もわからず承諾したらしい。

(2015年注:レミーは2015年8月に「健康のためにジャック&コークは止めて、ウォッカ&オレンジジュースにした」と宣言した)

●レミーの知性とギャグ・センス

レミーと話してみて毎回驚かされるのが、その頭の回転の速さだ。彼に質問をすると、ヒネリとウィットの効いた、”レミー節”としか言いようのない答えが返ってくる。決して事前に考えたものではなく、その場で脊髄反射でしたような思いつきの答えであっても、切り返しの巧さは一流である。しかも彼はサービス精神も旺盛で、こちらが突っ込めば突っ込んだだけ話してくれる。レミーが単に音楽性だけでなく、その人柄によって多くのミュージシャンから敬愛されているのも、その話の面白さによるものが大きいだろう。

ただ残念なことに、彼のそんな魅力が現在日本のファンにどれだけ伝わっているかというと、ちょっと疑問符を付けざるを得ない。日本の雑誌インタビューだと通訳が間に入ることが少なくなく、インタビュアー→通訳→アーティストとワンクッションを置くため、その場での脊髄反射的な切り返しには一切期待できないし、会話のキャッチボールを行うことも不可能だ。さらにレミーのトーク内容は映画やテレビ、歴史や戦記、文化や宗教など多岐にわたるため、それに付いていく知識のないインタビュアーだと、もう壊滅状態だ。時に日本の雑誌のインタビューで口数少ない印象を与えるのは、レミーのせいではなく、インタビュアーのせいである。

とはいっても、レミー独特の話し方を文章、特に日本語にするのが難しいことも確かだ。筆者は幸い通訳ナシでレミーに取材しているが、そのトークのヒネリや唐突感を記事に移し替えられているかというと、それも疑わしい。「キルド・バイ・デス」の「お前が俺のトカゲになってくれたら、俺はヘビになってやる。俺はロマンチックなアドベンチャ−。爬虫類でもある」というようなセンスは文章にしようがないし、そのまま日本語に置き換えてもどうもピンとこない。「女は馬鹿だから、くだらないロマンス映画やファッションに騙される。男はもっと馬鹿だから、そんな女に騙される」と言われて、筆者などは膝をハタと叩いたものだが、それを文章にしても、何故あのときそんなに感動したのか判らない。

特異のトークを聞かせるレミーがモンティ・パイソンのようなオールドスクールの英国コメディ、しかもドツキ系でなくトークで笑わせるタイプのマイケル・ペイリンが好きというのは、きわめて納得がいくことだ。彼のフェイヴァリットは、「結婚カウンセラー」のコントなのだそうだ。モーターヘッドのアルバム『ロックンロール』(87)にはペイリンが”説教”でゲスト参加している。

まったく関係ないが、現在裏流通しているラトルズのアウトテイク音源の一部は、ペイリンがレミーにあげたテープをレミーがダビングして友達に渡し、それがネットで広がったという説がある。ペイリン自身はラトルズのメンバーではないが、アウトテイクを持っていてもおかしくはないし、いずれ真相を究明したいところである。

話を戻すと、レミーのトークのコクを文章にするのは難しい、ということである。それは日本語だけでなく、英語であっても、あの言い回しを文章にして面白いわけではない。2002年に刊行されたレミー自伝『White Line Fever』(2015年注:『レミー・キルミスター自伝』として日本語版が刊行された)はモーターヘッドのファンだったら死んでも読まねばならない聖書であり、レミーの話し言葉をそのまま文章にしたのに近いが、それでも若干のズレがある。この本を最もレミーの意図に近い形で楽しむには、レミーの声色を真似しながら音読するのがオススメである。

さらにレミーのユーモアのセンスは、国によっても判りづらいようだ。これも自伝にあったのだが、彼は身体障害者をネタにしたブラック・ジョークのせいで、アメリカに引っ越してわずか2週間で友人をすべてなくしかけたそうだ。レミーはキレ気味に「×××って笑えるだろ?それは俺のせいじゃない!」と書いている。そんなユーモアの意識のズレは地域的なものより世代的な要素もあるのではないだろうか。おそらく現代の”政治的に正しい”世の中では、イギリスでも障害者を笑いのネタにするのは忌避されるかも知れない。

●第二次世界大戦コレクターとしての横顔

差別ネタと同時にレミーがアメリカで非難されたのは、ナチ・グッズのコレクションだった。『極悪レミー』にも出てくるが、レミーの部屋は第二次世界大戦中のメモラビリアや50年代ロックンロールのレコード、人骨コレクションであふれんばかりだ。おそらく来日時にかっぱらってきた、日本の道路標識までが飾られているが、彼の自宅を訪れたアメリカ人の知人は、ナチ関連の軍服や旗、刀剣などを見て、微妙な顔をするのだという。モーターヘッドのマスコットであるスナグルトゥース(またの名をウォー・ピッグともいう)が鉄十字をぶら下げていることもあり、レミーがナチ・シンパだという説が流れたこともあった。実際のところ、彼はナチの思想に知識的な興味は持っていても、それに共鳴しているわけではない。特に選民思想には同意しないようで、「俺は白人のガールフレンドもいるし黒人のガールフレンド、日本人のガールフレンドもいる。差別なんかしない。どんな人種でも歓迎だ」と語っていた。

ナチ・グッズを蒐集することに批判もあるが、それに対してレミーは「無視すれば、そのものが存在した事実が消えると思うのは大きな間違いだ。そもそも第一次大戦後、ヨーロッパはヒトラーの台頭を無視していたから、あれほど権力を持ってしまったんだ」と、実にもっともなことを自伝に書いている。「ヒトラーはタバコも吸わず、酒も飲まず、ベジタリアンで、小綺麗な服を着て、短髪で、身なりが良かった。アメリカのレストランだったら、良いもてなしを受けるタイプだ」

第二次大戦のメモラビリア蒐集に関しては、業者から送られてくる目録をチェックしたり、なじみの業者から掘り出し物があると連絡があるのだそうだ。2002年12月、『ビースト・フィースト』出演時に来日したときに話を訊いた際には、イーベイなどのネット・オークションは使わないと語っていた(「普通のオークションだけで金がいくらあっても足りない状態だから、ネット・オークションまでやったら何回破産してもキリがない!」とのこと)が、さらにネットが普及した今は、どうなのだろうか。イーベイは1999年以来ナチ関連のグッズの出品を禁じているため、やっているとしたら他の小規模なオークション・サイトだろうが、これ以上彼のマンションが狭くなったら引っ越しも検討しなければならない。

そんなコレクターをやっているだけあり、レミーの戦争や軍事に関する知識はそうとうなものらしい。らしい、というのは、筆者がそのあたりよく判らないからだ。だが、『極悪レミー』で戦車について延々とウンチクを語る姿を見るだけでも、その知識が半端でないということが窺える。なお、レミーがそこいらの軍事ヲタと違うのは、相手がそのことについて無知、あるいは興味がないと気づくや、その話題をピタッと止めること。結婚を一度もしたことのないレミーだが、常に女性にモテるのも、無理はないだろう。

もちろん彼のそんな知識は、学校で学んだものではない。彼は15歳のときに学校をサボって遊びにいったのがバレて放校処分になり、それ以来勉学とは距離を置いてきたため、学校のお勉強とは縁遠い。『モータライザー』(08)のCDブックレットで書かれている小ネタで”騎士 knight”を”night”と綴っていたり、いわゆる学歴社会からすると学力レベルは高くなさそうなのだが、レミーは学歴なんぞ超えた神なので、そんなことはどうでも良いのであった。

●レミーみたいに英語を話したい

ところで『極悪レミー』で気になったのは、レミーが自動車に乗り込むシーンである。かつて彼は車社会のロサンゼルスについて「運転なんて1966年以来一度もしてない!いつもツアーしてるし、オフの時は家と酒場を徒歩で往復するだけだし」と語っていた。女の子を口説くにも車があった方が便利なのでは?という問いに対しては、「車がないから家においでよ!と言った方が、連れ込めるチャンスがある」とのこと。こういう返事が瞬時に返ってくるから、レミーは凄いのである。

ちょっと笑ってしまったのが、映画中のレミーのセリフに、英語字幕が付けられていたこと。英語圏の人にとっても、レミーのトークはヒアリングが難しいらしい。それはまあ、あの声質なので、注意して聞き取らないと判らないことは事実なのだが、レミーとコミュニケーションをとることは、さほど難易度は高くない。ストーク・オン・トレント生まれ、ウェールズ育ちのレミーはさほど変な訛りはないし、パンクチュアルで判りやすい話し方をする。しかも気配りの行き届いた人なので、こちらが英語が流暢でないと知ると、ちゃんと言葉を選び、スピードも下げて話してくれる。先日の『ラウド・パーク10』出演時のステージMCも、思いのほか判りやすかったのが記憶に新しいだろう。

モーターヘッド信者たるもの、レミーのしゃべり方を英語の基準にして、自らもレミーっぽく話せるようになりたいものだ。そのためにも『極悪レミー』は気合いを入れて何度も何度も見返して、重要なセリフは暗記するぐらいになって欲しいところである。

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

山崎智之の最近の記事