立憲民主党代表選が護憲か改憲かの論争になるようなことがあれば自民党万年与党時代に逆戻りだ
フーテン老人世直し録(618)
霜月某日
先週12日に行われた立憲民主党代表の辞任会見で、枝野幸男前代表がネットメディアの記者の質問への回答を拒否し、排除発言から生まれた立憲民主党がネット記者を排除するのかと批判された記事を読んだ。
記事によれば、インディペンデント・ウェブ・ジャーナル社の記者が3分を超える長い質問を行った。内容を要約すると、「今回の選挙の争点は意図的に隠されてはいたが、緊急事態条項を核とする自民党4項目の改憲か、その改憲案に反対かであった。来年夏の参議院選挙はその一大決戦になる。
立憲民主党は野党第一党としてこの国の市民、国民に対し、改憲反対派として重大な責任を負っている。内閣の独裁を半永久化する緊急事態条項により、民主制自体が否定されることは明白である。そうした状況下で立憲民主党の代表に誰が就くかは一党内の問題ではなく、国民的重大事である。
この代表人事を誤れば国の未来が危うくなる。代表選にご自身が出馬なさるか、ご自身が相応しいと思う人物を指名するか、緊急事態条項を絶対に許さないと闘うことを後継者の条件に提示するか、それについてのお考えをお聞きしたい」というものだった。
これに対し枝野前代表は、「申し訳ありませんが(質問ではなく)あなた様のご意見だと思います。記者会見というのは中立的な立場の報道機関の皆様に対し、説明する場だと思っております。中立的な立場の報道機関に対する会見と、そうでない意見にコメントとしろという話とを一緒にするのは避けなければなりません。次の執行部にそこのところの見直しを引き継ぎたいと思うので、お答えを申し上げません」と回答を拒否した。
これに対し他の記者から「ネットメディアやフリーランスの質問を排除する発言ではないか」、「排除発言から生まれた立憲民主党の代表とは思えない暴言」という批判が起こったという。
フーテンはその場にいたわけではないし、インディペンデント・ウエッブ・ジャーナル社と枝野前代表との間でこれまでどのようなことがあったのかを知らないので、やりとりについてコメントはできない。
ただ質問者の「野党第一党は国民に対し改憲反対を主張する重大な責任を負っている」という考えに、東西冷戦下で生まれた日本の政治構造が、冷戦終焉から30年経った今も、いまだに尾を引いている現実を見せられ、暗澹たる思いがした。
これまでも繰り返し説明してきたように、東西冷戦下で日本人は野党ではない政党を野党と思わされてきた。フーテンも政治記者となって政治の現実を知るまでは社会党や共産党が野党だと思っていた。
社会党や共産党は野党の立場から自民党を批判したが、批判するならば、そして野党であるならば、自民党から権力を奪うのが使命である。しかし1955年から38年間、日本では自民党の一党支配が続いた。
フーテンがまだ駆け出しのころ、社の先輩から「我々マスコミは弱い野党を勝たせるよう報道しなければならない。憲法9条を護り、日本を軍国主義に戻すようなことがあってはならない」と繰り返し教えられた。
ところが政治部記者となり、政治の現実を見るうち、そうした考えが間違いであることを思い知る。決定的だったのは、田中角栄と竹下登から政治の実像を教えられたことだ。角栄はフーテンに「日本に野党はない」と言った。なぜなら野党第一党の社会党は政権を獲得するに足る候補者を選挙で立てない。全員当選しても政権交代は起きない。
一方、共産党は全選挙区に候補者を立て、野党第一党社会党の足を引っ張る。野党は常にバラバラで対立し合う。つまり自民党を「万年与党」にしてきた「補完勢力」は実は社会党と共産党だった。
何のために。それを教えてくれたのが竹下登だ。戦争で日本に勝った米国は日本が米国に楯突かぬよう憲法9条によって軍隊を放棄させた。それを逆手に取って「軽武装、経済重視」の国家戦略を敷いたのが吉田茂だ。
日米安保条約を結んで安全保障を米国に委ね、日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも出兵せず、後方支援で莫大な戦争特需を得た。それが戦後復興と高度経済成長を生み出す。米国はそれに気付いて再軍備を要求するが、それをさせないための政治構図が作られた。
野党を憲法9条を護る護憲運動の先頭に立たせ、一方で国民にもそれを支持する構図を作り、広汎な護憲勢力によってあたかも政権交代が起こるかのような錯覚を米国に与えた。
ソ連に近い政権が日本に誕生することは東西冷戦下の米国にとって悪夢である。米国は自民党政権の永続を望んで無理な要求をしなくなる。しかし野党は政権交代を狙わず、自民党政権を継続させることに協力しているのだから、米国はまんまと騙された訳だ。
そして我々マスコミも護憲を掲げる野党を応援し、国民に護憲思想の大切さを説くことを使命とした。竹下登はこれを「狡猾な外交術」と言ったが、東西冷戦下の日本は与党も野党もマスコミもみんな「狡猾な外交術」に協力した。
そして竹下はフーテンに国会の裏舞台も教えてくれた。自民党と社会党が法案成立を巡り裏取引をする実態である。社会党は事前に自民党と示し合わせたシナリオ通りに審議拒否を行う。するとマスコミは「与野党激突」と報道する。しかし実は激突などしていない。審議拒否の裏側で議論もないまま法案の帰趨が取り引きされていた。
自民党を「万年与党」にし、護憲運動で米国の軍事的要求をけん制し、日本は経済に専念して利益を得る。それが「55年体制」の実像だった。しかし東西冷戦の終焉と共に「狡猾な外交術」は効力を失う。
日本は「軽武装、経済重視」の次の新たな国家戦略を作る時を迎えた。その生みの苦しみが東西冷戦終焉の30年前に始まる「政治改革」である。それは政権交代可能な政治体制を作ることから生み出されるはずだった。
「政治改革」の目的は、護憲を叫んできた野党を政権交代を狙う野党に変えることだ。何しろ東西冷戦の終焉で、再軍備を要求してきた米国が、逆に憲法9条を日本に護らせることを国家利益と考えるようになった。
憲法9条がある限り日本は軍事的に自立できず、安全保障問題で米国を頼りにするしかない。日米同盟強化は軍事面で日本を従属させるだけでなく、経済面でも日本を従属的地位に置くことができる。
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