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静岡の台風15号水害、半年を迎える被災地で続く支援と長引く影響(上)

関口威人ジャーナリスト
静岡市清水区にできたボランティア拠点の張り紙(2023年2月21日、筆者撮影)

 静岡県で2022年9月、台風15号による大規模な水害が発生してから今月で半年を迎える。一時、静岡市清水区で6万戸以上が断水して全国的に大きく報道されたが、断水以外にも広範囲での浸水や土砂崩れがあり、影響は今も長引いている。その現状や今後の教訓を2回にわたって伝えたい。

被災店舗が昨年12月からボランティア拠点に

 清水市の高架になっている国道1号線「静清バイパス」沿いの三差路の角。もともと菓子店だった店舗の1階に「みんなの居場所 ふらっと」の文字が掲げられている。昨年12月18日にオープンしたボランティア拠点だ。

昨年9月の豪雨で浸水被害を受けた菓子店を利用して12月18日にオープンした「みんなの居場所 ふらっと」(2023年2月21日、筆者撮影)
昨年9月の豪雨で浸水被害を受けた菓子店を利用して12月18日にオープンした「みんなの居場所 ふらっと」(2023年2月21日、筆者撮影)

 「今日はまだ時間ある? 足湯してみない?」

 ボランティアの宮崎節子さんが、「ふらっと」の中で軽い体操を終えた年配の男性に声を掛けた。足湯とは、災害時の避難所などで被災者の疲れを癒やすため、バケツ一杯のお湯に足を浸けながらリラックスしてもらう「足湯ボランティア」活動のことだ。

 男性と向かい合った宮崎さんは、手のひらや腕を軽くマッサージしながら何気なく会話を交わす。男性が足湯マッサージを受けるのは今回初めてで、この日は世間話で終わったが、宮崎さんは「足湯をしながらだと、皆さんだんだん本当のことをしゃべってくれる。『まだ床が濡れてるから冷たい布団で寝ている』なんてことも」と明かす。

「ふらっと」を訪れた地元の男性に足湯マッサージを施す宮崎節子さん(2023年2月21日、筆者撮影)
「ふらっと」を訪れた地元の男性に足湯マッサージを施す宮崎節子さん(2023年2月21日、筆者撮影)

 宮崎さんは今年から静岡市社会福祉協議会内の「静岡市地域支え合いセンター」スタッフも掛け持ち、困りごとのある住民がいれば市や保健師などに相談をつないでいる。

 「ふらっと」は県内のボランティア団体をまとめる静岡県ボランティア協会をはじめ、宮崎さんが長年かかわる「清水災害ボランティアネットワーク」、今回の台風災害をきっかけに立ち上がった「しぞ〜か・まめっ隊」などのボランティア・NPO団体で運営する。

 被災した住民らが気軽に立ち寄れる交流スペースであり、いまだに片付けの必要な家や事業所にボランティアが手伝いに行くための拠点、そして大学生が子どもたちの学習支援をする「無料学習ひろば」でもある。地域の人が交わるとても大事な場所になっていた。

輪になって軽い体操をする「ふらっと」の利用者たち。オレンジのTシャツ姿の2人は今回の災害支援をきっかけにできたボランティア団体「しぞ〜か・まめっ隊」のメンバー(2023年2月21日、筆者撮影)
輪になって軽い体操をする「ふらっと」の利用者たち。オレンジのTシャツ姿の2人は今回の災害支援をきっかけにできたボランティア団体「しぞ〜か・まめっ隊」のメンバー(2023年2月21日、筆者撮影)

清水区の被災家屋で床下の片付けをする「しぞ〜か・まめっ隊」のボランティア(2023年2月13日、しぞ〜か・まめっ隊提供)
清水区の被災家屋で床下の片付けをする「しぞ〜か・まめっ隊」のボランティア(2023年2月13日、しぞ〜か・まめっ隊提供)

山あいの土砂崩れで住宅地が泥まみれに

 台風15号は昨年9月23日の夕方から24日の明け方にかけて、静岡市に時間雨量110ミリを超える記録的短時間大雨情報が8回出される猛烈な雨をもたらした。

 清水区では中心部を流れる巴川が氾濫。「ふらっと」のある天王町周辺も氾濫の影響で多くの家屋が浸水した。

 一方、宮崎さんたちの住む高部地区はなだらかな山すそを含み、今回の豪雨によって山側で崩れた土砂や田んぼの泥が支流の川を伝って住宅地になだれ込んで来たとみられる。宮崎さんの自宅も50〜60センチ浸水したが「まだ被害は少なかった方」で、周辺にはさらに泥だらけの家が点々と広がっていた。

高部地区は清水区西部の山すそに広がる住宅地。今回の災害では山あいの土砂崩れと巴川の氾濫の影響を受けた(筆者作成)
高部地区は清水区西部の山すそに広がる住宅地。今回の災害では山あいの土砂崩れと巴川の氾濫の影響を受けた(筆者作成)

 2004年の新潟県中越地震以来、各地の災害被災地で活動をしてきた宮崎さんは自身が当事者となり、「これは長くかかる」と感じた。しかし行政は下流の断水の対応に追われており、高部地区までは来てくれない。宮崎さんは「自分たちでやらなければ」と思い、自治会の役員たちとも相談。泥かきなどの力仕事は土建業の人たちが担う一方、宮崎さんたちは地域で支援の必要な人たちの見回りや、住民に必要なものの手配などに走り回った。

 そして被災から約2週間後には「無料ミニ相談会」として弁護士らが住民に生活再建支援制度を説明する場を開くことができた。

被災から約2週間後に地元住民向けの無料生活相談会の開催にこぎつけた宮崎さん(2022年10月9日、筆者撮影)
被災から約2週間後に地元住民向けの無料生活相談会の開催にこぎつけた宮崎さん(2022年10月9日、筆者撮影)

 私もそのタイミングで取材ができ、以下のような記事にした。はじめは疲れ切り、不安そうな表情だった住民たちが徐々に安心していく様子を目にできた。

・静岡豪雨、2週間以上も「報道されない」山間部の被害と今後の生活不安

 宮崎さんたちはその後も相談会の開催を続けるとともに、市や内外の支援団体との連携を強め、「ふらっと」の開設にもつなげた。

 「災害があった後、できるだけ早く状況が把握できれば片付けが進み、生活支援にもすぐに移れる。最終的には一人ひとりが元の生活に戻れることを目指したい」。宮崎さんはそう振り返り、前を向いた。

葵区の温泉旅館「元湯館」で片付け作業をする「しぞ〜か・まめっ隊」のメンバー(2023年2月11日、しぞ〜か・まめっ隊提供)
葵区の温泉旅館「元湯館」で片付け作業をする「しぞ〜か・まめっ隊」のメンバー(2023年2月11日、しぞ〜か・まめっ隊提供)

井戸水に影響? 給水車に頼る地域も

 私が被災2週目に取材したもう一つの地域が、葵区の清沢地区だ。東海道新幹線の静岡駅からは、高部地区と反対の北西方向へ。藁科(わらしな)川沿いを車で30分ほど山側に向かう。

 昨年10月当時、豪雨の影響で2車線が約50メートルにわたり崩落していた国道362号。コンクリートブロックや大型土のうで応急復旧がされていたが、いまだに片側交互通行だ。その奥の道路でも、まだ路肩を直す工事が複数箇所で行われていた。

葵区清沢地区で崩落した国道362号は、応急復旧して片側交互通行になっていた(2023年2月21日、筆者撮影)
葵区清沢地区で崩落した国道362号は、応急復旧して片側交互通行になっていた(2023年2月21日、筆者撮影)

 民家周辺の土砂や落石はほとんどが撤去され、見た目は元の穏やかな生活が戻ってきているようにも見える。

 しかし、国道の崩落箇所に近い昼居渡(ひるいど)地区では災害後、30世帯ほどが共有する簡易水道の井戸からたびたび水が汲み上げられなくなり、市の給水車が出動する事態になっているという。市上下水道局は「地元の簡易水道組合が管理するものなので、市としては依頼に応じて給水車で支援をしてきたが、ここ1カ月ほどは頻度が多い」とする。

 市の管理でない以上、公式な原因究明は難しそうだが、地元の住民は「豪雨の影響で水みちが変わり、井戸が枯れてきてしまっているのではないか。非常に困っているし、不安だ」と訴える。

 災害の影響は思わぬ形で長引くことを、我々一人ひとりが意識せざるを得ないだろう。

 次回は、静岡市がまとめた災害対応の中間報告と地元弁護士の見解を紹介したい。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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