日本に再び核を投下する国があるとすれば米国だと「ゴジラ」は教えてくれる
フーテン老人世直し録(242)
葉月某日
8月9日の長崎原爆記念日、被爆者代表の井原東洋一さんは、オバマ大統領が5月の広島訪問で「雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」と述べたことに対し、原爆は落ちてきたのではなくアメリカが落としたもので、広島のウラン型原爆に対し長崎にはプルトニウム型原爆が投下され、二種類の原爆による実験ではなかったかと怒りをぶつけた。
至極当然の怒りである。しかし日本人の中にはオバマ大統領の広島演説を高く評価し、感動を覚えたという人も少なくない。フーテンは大統領の広島訪問を評価はするが、当たり前のことを遅まきながらやった話で、また米国民を代表する立場から「謝罪」できないことも理解するが、しかしアメリカによる原爆投下の極悪非道を消し去るものではないと考えている。
オバマのいう「核なき世界」もあくまでもアメリカの優位を維持するための主張であり、オバマは核の威力を高める近代化計画に110兆円という莫大な資金を投入する人間であることを忘れてはならない。もし日本に再び核攻撃を仕掛けてくる国があるとすれば、それは周辺諸国ではなく間違いなくアメリカだとフーテンは考えている。
ルーズベルト大統領の下で1942年に原爆開発(マンハッタン計画)に着手したアメリカは、44年9月に日本への原爆投下を決め、実行部隊が編成されて秘密訓練を開始した。一方で核開発に関わった科学者たちは都市への原爆投下に反対し、ルーズベルトも駐日大使を務めたジョセフ・グルーを国務省極東局長に任命して和平工作を模索する。
ところが45年4月にルーズベルトが急死し副大統領トルーマンが大統領に昇格することになる。トルーマンは原爆開発について何も知らされていなかったが、原爆投下目的地の選定作業が彼の仕事として残されていた。5月末に京都、広島、横浜、小倉が候補地に選ばれ、6月中旬にはそれが小倉、広島、新潟に変更される。
45年3月から米軍は東京、名古屋、大阪など大都市への焼夷弾爆撃を続けていたが、原爆投下目的地への爆撃は、原爆の威力を測定する目的を損なうとして禁止された。例えば横浜は候補地であった時には空襲されなかったが、候補地から外れると翌日に空襲された。7月16日、アメリカは世界初の原爆実験に成功する。
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