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「いま居る処が最後の砦」 20年間守り続けた愚直な豚骨ラーメン

山路力也フードジャーナリスト
20年間変わらない『麺の坊 砦』の看板メニュー「のりと半熟玉子」。

東京神泉の人気豚骨ラーメン店が創業20周年

創業20周年を迎えた『麺の坊 砦』(渋谷区神泉町)。
創業20周年を迎えた『麺の坊 砦』(渋谷区神泉町)。

 東京神泉、山手通りと旧山手通りが分岐する街道沿いに一軒のラーメン店がある。店の名前は『麺の坊 砦』(東京都渋谷区神泉町20-23)。臭みのない豚骨ラーメンときめ細やかな接客で、地元の家族連れやラーメン好きはもちろん、外国人観光客や芸能人、著名人などにもファンが多い人気店が、10月11日に創業20周年を迎えた。

 店主の中坪正勝さんは、1987年に19歳で豚骨ラーメンの人気店『博多一風堂』の門を叩いてラーメンの世界へ。1994年には『新横浜ラーメン博物館』のオープンと共に出店した『博多一風堂』の店長として、初めて県外への出店を任された。今や国内外に多くの店舗を展開する『博多一風堂』の黎明期を支えた「一番弟子」でもある。

 2001年に独立。10年後の2011年には、古巣の『新横浜ラーメン博物館』から声がかかり、『麺の坊 砦』として2015年まで出店していた時期はあるが、多店舗展開することなく創業店舗の一軒を20年間守り続けてきた。3年以内の廃業率が70%と言われる厳しい飲食業界の中でも、ラーメン業界は入れ替わりが激しい業界。その中で20年もの間、人気を保ち続けているのは稀有なことだ。

臭みのない豚骨スープと歯切れ良い自家製麺

ラーメンはもちろん、注文を受けてから握る「おむすび」や作り置きしない「一口餃子」も人気だ。
ラーメンはもちろん、注文を受けてから握る「おむすび」や作り置きしない「一口餃子」も人気だ。

 『麺の坊 砦』のラーメンは豚骨ラーメン。博多ラーメンとは謳っていないものの、基本的な設計は修業先の『博多一風堂』同様に、白濁した豚骨スープに加水率の低い細ストレート麺を合わせた、博多豚骨ラーメンのスタイルを踏襲している。

 豚頭だけを長時間炊き出したスープは、臭みがなく旨味だけを抽出したもの。麺は太さ1mmの細麺が基本となるが、太さ2mmの太麺も選べるようになっている。替え玉で麺の太さを変えて楽しむ人も少なくない。

 「手間ひまを惜しまずに一から自分で作る」というのが、中坪さんが創業時に決めた方針。だから『麺の坊 砦』では効率化よりも手間と美味しさを優先させる。チャーシューは切り立てを出す、おにぎりは炊きたて握り立てを出す、餃子も出来るだけ包み立てで冷凍はしないし、麺も自分の手で作る。さらに接客にも気配り心配りを徹底させる。

 ラーメン店は薄利多売のビジネスゆえに、人件費を減らすためにも作業の効率化が求められる。しかし中坪さんは他店よりも多くのスタッフを店に入れて、全てを手作業で自分たちでやるようにしている。さらにスタッフが多いことでお客さんへの目が行き届き、きめの細かな接客も出来るようになる。

 そして、多くのスタッフを店に入れていながら、中坪さん自身も20年間現場に立ち続けている。幅広い客層から長い間支持され続けているのは、当たり前のことを愚直にやり続けてきた結果だ。

 「店は子供と同じだと思っているんです。ほったらかしでは育ってくれません。今回やっと二十歳になったけれど、お店に立つという基本的なスタンスは変わらないと思います」(中坪さん)

「僕の理想の店を中坪がやってくれている」

ラーメン職人歴35年。多くの後輩を育ててきた中坪さんを慕うラーメン職人も多い。
ラーメン職人歴35年。多くの後輩を育ててきた中坪さんを慕うラーメン職人も多い。

 『麺の坊 砦』という店名は、中坪さんの師匠でもある『博多一風堂』創業者、河原成美さんの言葉から拝借したという。店の看板の文字も河原さんの手によるものだ。

 「河原が毎年一風堂の年頭挨拶で話す『いま居る処が最後の砦。そしてすべての始まりなんだ。がんばろうぜ』という言葉が印象に残っていて。それで河原に『あの言葉を書にして貰えませんか?お店に飾りますから』ってお願いしたんです。

 そうしたら真剣に百枚くらい書いて下さって。そのうちの一枚を『いいのが書けた!』って下さって。その書を見て良い字だなと思って『砦』という一文字を店名に下さいってお願いしました」(中坪さん)

 中坪さんにとって河原さんの存在はとてつもなく大きい。そして河原さんもことあるごとに中坪さんの店へ今でも顔を出す。『麺の坊 砦』20周年の記念日にも駆けつけた。

 「中坪は僕の『一番弟子』。教えたことを20年間守ってやってくれているのが素直に嬉しいですね。一つのことをずっとブレずにやり続けている中坪を、僕は尊敬するし憧れる。砦に来ると一風堂ももっと出来るんじゃないか?と反省するし、勉強にもなっています。

 今日も次から次へと常連さんが来てお祝いして下さっている光景を見て、地元のお客様を裏切っていない20年なのだなと感じました。一風堂は店も増えて大きくなってしまったけれど、親父がこうして一軒の店を守っているのってやっぱり格好良いよね。僕がやりたい理想の店を中坪がやってくれている気がして嬉しいです」(博多一風堂 創業者 河原成美さん)

何歳になっても厨房に立っていたい

『麺の坊 砦』20周年の日に駆けつけた師匠の河原成美さんと中坪さん(写真:麺の坊 砦)。
『麺の坊 砦』20周年の日に駆けつけた師匠の河原成美さんと中坪さん(写真:麺の坊 砦)。

 「僕はとにかく河原のことが大好きなんですよ。子供が親に喜んで欲しいのと同じで、河原を絶対に悲しませるようなことはしてはいけないと思ってるんです。僕は一応河原の一番弟子というか、一風堂から最初に独立した人間だと思うんですね。

 世の中の人が食べて、河原の弟子として恥ずかしくない豚骨ラーメンを作らなければいけないと、一風堂の味や思いをちゃんと継承した味を出さなければならないと思ってやって来ました。それが後輩たちにも繋がっていくと思いましたし」(中坪さん)

 河原さんが中坪さんを育てたように、中坪さんも多くの後輩たちを育ててきた。『麺の坊 砦』で学んだ人の多くが独立して人気ラーメン店を営み、中坪さんの教えを継承している。

 「砦だけではなくて一風堂時代の後輩たちも、今も店に来てくれたり連絡をくれたりします。20周年の当日にも朝から仕込みして営業も手伝ってくれた弟子もいたり、今もずっと繋がっていられるのが嬉しいですね」(中坪さん)

 『いま居る処が最後の砦』『そしてすべての始まり』この言葉を大切に、中坪さんは20年間厨房に立ち続け、愚直なまでに味と思いを守り続けてきた。

 「河原から『最低でも3店舗はやれ』と開業の時から言われているんです。でも僕のスタイルは一店舗をしっかりと守っていくことだなと思って、20年やってきましたが、気がつけば53歳になって体力的な問題も出てきますよね。一緒に働く仲間たちの活躍の場を広げるという意味でも、これから先は支店を出すことも考えています。僕としては60になっても70になっても変わらずに厨房に立っていたいですけれどね」(中坪さん)

「いま居る処が最後の砦」中坪さんはこれからも変わらずに厨房に立ち続ける。
「いま居る処が最後の砦」中坪さんはこれからも変わらずに厨房に立ち続ける。

※写真は筆者によるものです(出典のあるものを除く)。

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フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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