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首里城のためならカシの大木の伐採OK? いや反対?

田中淳夫森林ジャーナリスト
オキナワウラジロガシの大木が眠る石垣島屋良部岳。(会田昌平撮影)

 また考えさせられる事案が登場した。

 2年前に焼けてしまった沖縄の首里城の再建に関わる大木の調達である。今のところ、国産のヒノキで再建することが決まっていて、全国から大径木のヒノキがかき集められている。

 その点について私は

「首里城復元」のための木材は国産ヒノキに?

首里城再建。文化か森林か……とモヤる

という記事を書いた。

 そこに今度は、沖縄県内のオキナワウラジロガシの大木を伐採することになったという情報が寄せられた。

 カシの木は腐朽しやすいので柱材にはあまり使わないのだが、首里城正殿の小屋丸太梁には昔から使っていた。そこで今回も用いるため、直径約47センチ、長さ7mの材が取れるオキナワウラジロガシが6本必要となったのである。

 オキナワウラジロガシは、長径4~5センチにもなる日本最大のドングリをつけることで知られているが、奄美諸島以南にしか分布していない。

 そこで調査を行って、沖縄本島の北端・国頭村から1本、石垣島の屋良部岳山麓から5本のオキナワウラジロガシの大木を伐採することになったのだ。

 ちなみに両地区とも国立公園内だが、国頭村のものは世界自然遺産ではない第2種・第3種特別地域内、 石垣市では第3種特別地域内の樹木だから法的に問題はない。なお石垣市は首里城の復元に使われるのなら名誉なこと」として伐採に同意している。

伐採予定のオキナワウラジロガシ群。すでに足場も組まれている。(吉盛のん撮影)
伐採予定のオキナワウラジロガシ群。すでに足場も組まれている。(吉盛のん撮影)

 しかし地元に十分説明しないまま伐採することを決めたことから、住民から反対の声が上がっている。これだけの大木は石垣島にも数少ないからだ。(胸高直径50センチ以上の大木で確認されたのは19本のみ。)

 それに屋良部岳山麓の森は、八重山の豊かな自然の生態系が残された地域で、「聖地」として地元民が大切に守ってきたという。とくにカシの大木群は、貴重であるだけでなく自慢の存在だった。そのため反対のネット署名も始まった。

 さらに複雑なのは、住民には歴史的感情も横たわっている点だ。

 石垣島を始めとする八重山諸島は、かつて琉球王朝時代に征服され、過酷な人頭税をかけられていた。さらに強制移住なども経験している。一般に琉球王国は薩摩藩に従属して重圧を受けてきたことで知られるが、それと同じことを、琉球が八重山諸島にしていたことはほとんど知られていない。しかし石垣島住民の中には、「収奪された屈辱の歴史」として沖縄本島に複雑な感情を持っている。

 いわば江戸幕府-薩摩藩-琉球王国-八重山諸島という幾重もの支配・被支配構造があった。(琉球は、これに加えて中国・清朝にも朝貢していた。)

 しかも明治になると薩摩の琉球への税はなくなったのに、八重山諸島には人頭税を残して明治36年まで廃止しなかったという経緯がある。それだけに沖縄本島や国に搾取されてきたという意識は根強い。

 そこに今回の、カシ大木の伐採事案が国から、そして本島から下りてきたのだ。収奪されてきた歴史を思い出したのか反感が広がっている。

 伐採は、11月には行う予定らしい。県は、環境に配慮して鳥類の営巣時期(3~6月)の伐採を止めたほか、伐採後は、跡地に後継木となるオキナワウラジロガシの苗木を植栽する、植栽後も10年間程度は施肥や下刈り、除伐・間伐を行う……と説明している。

 ただ地元への説明や住民感情への配慮は十分だったとは言えないだろう。

根周りは2m近くあり、板根も発達している。(会田昌平撮影)
根周りは2m近くあり、板根も発達している。(会田昌平撮影)

 私自身は、現地の生態系や歴史的な感情について詳しく知らず、今回の伐採の是非はなんとも言えない。大木は一切伐るなとも思わない。必要性があって、環境への負荷が少ない形なら納得しなくてはいけない場合もあるだろう。

 しかし、この手の話でいつも思うのは、「なぜ大木を使うのか」という点だ。とくに復元建築物に、今や世界的に貴重になっている大木を使いたがることに疑問を持つ。ヒノキにしろカシにしろ、無垢で大規模建築の素材にできるような大木は非常に少なくなってきた。それを根こそぎ集めるような必要はあるのか。

 これを本物の文化財の修復などに少しずつ使うというなら、まだ理解もできるのだが、完全に新築となる復元建築物(文化財にならない)に無垢の大木を何がなんでも使わねばならない理由がわからない。

 とくに今回の使用箇所である梁は、人の目にさらされる場所ではないはずだ。

 たとえば法隆寺の修復に300年生のヒノキが必要となれば、選りすぐりの大木を伐って使うのも価値があるだろう。その場合も、大量には必要ないはずだ。

 実際、古社寺では修復用の木材が足りずに困っていて、林野庁もそのために木を400年間育てるよう決めた「古事の森」づくりを推進していた。今から植えて間に合うのか、という疑問はあるが……。(現在国有林内に24ヶ所選定)

 しかし、新たに過去の時代の建物を模した建築物、たとえば平城宮大極殿や名古屋城など各地の城郭天守閣に無垢材を使わなくても……そのために全国からかき集めなくても……と思うのだ。そこに歴史的な住民感情もある場合は、より慎重になるべきだろう。

 あるいは、まだ十分に(大木の)蓄積のあるスギを使うことも考えられる。

首里城復元に使うべき木材はスギだ。琉球の歴史をひもとけば見えてくる木材事情

 何より、集成材をなぜ使わないのか。細い木材を集めて太くするのは木材加工と建築技術の見せ場ではないか。

 現実に国宝・松江城の柱は、集成材とは言わないが寄木だ。十分な大木が手に入らなかったからだろう。江戸時代に再建された東大寺大仏殿の柱も、寄木で作られている。また明治の修復時に、梁は鉄骨で支えるようにした。法隆寺なども修復を行った時代ごとに当時の最新技術を取り入れているため、すべてが1300年前の構造ではない。

 そもそも首里城も、5回の再建ごとに違った素材と構造になっている。焼失した首里城にも、実は一部鉄筋コンクリートを使っていたと聞く。

 今後、火災対策も重要となるだろうから、より最新技術の粋を集めて、現代ならではの首里城を復元してはどうか。集成材だけでなく薬剤を注入するなどした難燃木材を使うという手もある。鉄骨やコンクリート、そして免震構造用のゴムも必要なら適時使えばよい。

 オキナワウラジロガシも、細い木はたくさんあるのだから、寄木にして使おうという発想はないのか。(国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」で集成材の使用を検討した形跡はあるが、採用されなかったようだ。)

 そこに「古い形ほど価値がある」「文化のためなら自然が少々犠牲になっても」という無意識の発想があるように感じられてしまうのである。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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