新型コロナウイルス対策とイスラーム過激派
中国発の新型コロナウイルスが世界的に蔓延すると、中東での政治・軍事・社会情勢、国際関係にも影響が現れてきた。去る3月には、「イスラーム国」対策を名目にイラクに部隊を派遣していたイギリス、フランス、チェコが部隊の一部、あるいは全部の撤退を決定した。新型コロナウイルスについて直接触れてはいないが、アメリカもイラク領内の駐留拠点を整理し、一部をイラク側に引き渡した。その結果、各国による「イスラーム国」に対する軍事作戦の停滞や、イラクの治安部隊の育成の遅れが生じ、「イスラーム国」が勢力を盛り返す契機になるとの懸念が生じるかもしれない。
しかし、現実の問題として、アメリカをはじめとする西側諸国による「イスラーム国」対策の軍事作戦は費用対効果の悪い非効率なもので、2014年以来、最盛期でも1日あたりの爆撃回数は20件を大きく上回らなかった。また、アメリカ軍の作戦は、確かに「イスラーム国」の自称カリフのアブー・バクル・バグダーディーをはじめとするイスラーム過激派の主要活動家を殺害する戦果を上げたが、政治・社会現象としてのイスラーム過激派を流行に終止符を打つに至らないばかりか、個別の組織に致命的な打撃を与えたとも言い難かった。その上、現場で使用された武器弾薬の製造・流通過程の調査により、2017年の段階で「イスラーム国」に武器・弾薬を供給したのは欧米諸国やサウジだということも明らかになっている。さらに悪いことに、2019年10月にイラクで反政府抗議行動が始まると、NATO軍によって育成されているはずのイラクの治安部隊により、最初の数カ月間で500人近くの抗議行動参加者が殺害された。「ふつう」、このような事態が生じれば欧米諸国はたちどころにイラクやその要人に制裁措置を科すところだが、現在までそのような事態にはなっていない。イラクが2003年以来極めて「異常」な状態にあることに、常に留意したい。要するに、欧米諸国の「イスラーム国」対策はそんなに褒められたものではない、ということだ。
官憲が「人民の敵」となることは、イスラーム過激派対策にとどまらず、治安や社会の安定の面で好ましいことではない。それに加えて、イスラーム過激派は個別の紛争や戦争を、発生地だけの問題ではなく「イスラーム共同体全体」の問題とみなし、国家や国境を無視・超越してヒト・モノ・カネのような資源を動員して紛争に参加しようとする。つまり、イスラーム過激派が流行している所への資源の供給を止めることが、イスラーム過激派対策の中核となるべき行動なのだ。
以上に鑑みると、新型コロナウイルス禍により各国がヒトの移動を規制したり、航空各社が国際便を運休したりしていることは、イスラーム過激派に甚大な影響、しかも負の影響を与える可能性が高い。「イスラーム国」への人員供給は、世界の100カ国以上から4万人とも言われたが、今日有力な人員供給国の多くは新型コロナウイルス対策として厳しい移動制限を導入している国々でもある。イスラーム過激派の人員勧誘ではSNSなどが大きな役割を果たしていると信じられているが、現実には特定の組織に構成員として合流する前の段階のいずれかで、組織の活動家や勧誘・教化担当者と直接接触している。現在の局面では、イスラーム過激派が資源を調達しようにも、その諸局面で必要不可欠の直接の対面という過程が著しく阻害されている。「イスラーム過激派の脅威」としては、イラクやシリアのような紛争地で経験を積んだり、「密命」を与えられたりした者たちが欧米諸国などへ「帰還・拡散」することも懸念されている。これについても、そうした者たちの行き先や経由地となる諸国で出入国規制や隔離が導入されている。つまり、新型コロナウイルスの拡大防止のための隔離と、旅程・立ち回り先の検証に真剣に取り組めば、イスラーム過激派の活動家らが用いる偽造旅券や彼らの旅程の偽装もある程度抑えることができるようになるはずだ。
イスラーム過激派は、近年人類が享受するようになったヒト・モノ・カネの移動の自由という、「不信仰者ども」の社会の潮流に寄生・便乗して勢力を拡大した。世界規模で各国が足並みをそろえて移動を規制する状況が長期化するならば、イスラーム過激派による資源の調達にも間違いなく打撃を与えることができる。新型コロナウイルスにまつわる様々な規制やそれを呼びかけるお説教は、不自由で、時に不愉快ですらあるが、イスラーム過激派の根絶に役に立つ、というのならば多少穏やかな気持ちで聞くことができるはずだ。