【194キロ死亡事故】異例の訴因変更 弟亡くした姉が筆者に語ったこと
すでにニュースで報じられている通り、昨日(2022年12月1日)、大分地検は一般道で時速194キロを出し死亡事故を起こした当時19歳の男性の罪名を、過失運転致死罪(最高刑懲役7年)から、より刑の重い危険運転致死罪(最高刑懲役20年)に変更しました。
この事故の詳細についてはすでに以下の記事で報じた通りです。
今年7月、「過失運転致死罪」で起訴されたことを知った遺族がその判断に納得できず緊急の記者会見を行ったのは、8月14日のことでした。
その後、危険運転致死罪の適用を求める署名活動を開始し、遺族は全国から集まった2万8406人分の署名を大分地検に提出していたのです。
また、10月にはこの事故が国会でも取り上げられ、危険運転致死罪の適用のあり方を巡って議論が起こっていたところでした。
今回、遺族の訴えを受けた検察は、再検証の結果、異例の訴因変更を行い、この先は罪名を「危険運転致死罪」と変更したうえで、刑事裁判が行われることになります。
それにしても、なぜこのスタートラインに立つまでに、事故から1年10カ月という長い時間がかかったのでしょうか。もし、遺族が訴因変更を求めて署名活動をしていなければどうなっていたのか……。
この事故で亡くなった被害者・小柳憲さん(当時50)のお姉さん(県外在住)に、訴因変更の知らせを受けた直後のお気持ちを伺いました。
以下にご紹介します。
■12月1日、検察から訴因変更の知らせを受けて……
12月1日の昼前に検察官から電話の着信があったのですが、仕事中でしたので、お昼休みにこちらからかけなおしました。そのとき、「危険運転に訴因変更します」という報告を受けました。
それを聞いたときは、生まれてきてから「一番嬉しい!」というくらいの気持ちになりました。これまで、多くのみなさんに支援をしていただいてきただけに、もしダメだったらどうしようと不安でした。万一のときは、私たちだけでなく、サポートしてくださった方々、署名をしてくださった方、多くの方が無念な思いをする……、それを思うと辛かったんです。
でも、こうして目標のひとつが達成でき本当によかったと、心からそう思いました。
■「訴因変更」の詳細を知って
今回は、「自動車運転死傷行為処罰法」第2条第2号(その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為)に、第2条第4号(人または車の進行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人または車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為)が訴因に加えられ、自動車運転過失致死罪は予備的訴因となったようです。
「194キロという高速度でも、まっすぐに進行できていれば危険運転には当たらない」
検察官からはそのような説明を何度も受けていましたし、先日(10月28日)の国会でも法務省が同じ内容の答弁をしていたので、『この事故はもう、第4号の「妨害運転」でしか裁く道しかないのでは?』私たちはそう思っていたのです。
それだけに、今回、第2号の「その進行を制御することが困難な高速度…」が訴因に入れられたことは驚きでした。
「制御」とは、まっすぐ走れることだけを指すのではないはずです。歩行者や横から進入する車、対向の右左折車などは関係ないのでしょうか?
「何キロ出るか試してみたかった……」と供述している加害者は、結果的に弟の車を避けられず衝突しました。そうした危険を避けることができなければ、それは「制御できていた」とは言えないのではないでしょうか。
この法律を作ったときは、時速194キロでの事故など想定していなかったのかもしれませんが、弟の事故が真っ当な判例になることを願うばかりです。
(*以下は、小柳さんの支援を行う『ピアサポート大分絆の会』が作成した速度比較のシミュレーション動画です)
■なぜ遺族がここまでしなければならないのか?
今回、検察は異例の訴因変更を決断しましたが、正直言って、なぜ遺族がここまで動かなければいけないのか、という疑問は感じています。
私たちがここまでしなければ、間違いなく罪名は「危険運転」にはならず、「過失」のまま裁判が始まっていたでしょう。でも、すべての被害者や遺族がこうした活動ができるというわけではないのです。
たとえば、被害者と遺族が近くに住んでいるとは限りません。事故現場が離れている場合もあるでしょう。
私自身も、弟が事故に遭った大分市から遠く離れた場所に住んでいます。現場へ行くにも、警察や検察、裁判所に行くにも、時間とお金がなければ移動することもできません。
それでも、大事な弟のために懸命に動きました。もし、時間的、経済的に全く余裕がなければどうなるのでしょうか。
それ以前に、遺族の心に余裕がないと、なにもできません、動きたくても動けないのです。
弟と同居していた高齢の母や妹の事故直後の様子を見ていると、直後は現実を受け入れるゆとりすらなく、闘う気力などありませんでした。
それでも「危険運転で起訴されるのは当然だ」と、どこかで信じながら、1年半もの間じっと黙って検察の判断を待ち続けてきたのです。
■同じ思いをした遺族たちの強力な支援を受けて
それだけに、今年の7月、加害者を「自動車運転過失致死罪」で起訴したという報告を検察から受けたときは、本当に大きなショックを受けました。
「なぜこれが過失なの?」と、悔しい気持ちがあふれました。
でも、素人ではこれ以上の証拠を集めることはできません。遺族はこれで泣き寝入りするしかない、もう無理なのだと、一時はあきらめていたんです。
でも、私たちの場合は、事故直後から弁護士を立てていましたので、すぐに相談することができました。また、地元の「ピアサポート大分絆の会」と繋がることができ、同じ思いをされてきた交通事故のご遺族や、東名高速で娘さんを亡くされた井上さんご夫妻から「まだ間に合う!」と励ましていただいたのです。
そして、お盆の真っ最中にもかかわらず、リモートでの打ち合わせを重ね、なんとか緊急の記者会見を開くことができました。もちろん、それは私にとって、生まれて初めての記者会見でした。
あのとき私たちを全力でサポ―トし、支援してくださったご遺族の方々には本当に感謝しています。あのご協力がなかったら、ここまでのことは、まずできなかったと思います。
■署名に協力してくださった皆さまへ
8月14日に記者会見を開いた後、支援してくださったご遺族の協力を得て、署名用紙などを作成し、9月から署名活動を始めました。
ネット署名ではなく、署名用紙を各自プリントしていただき、郵送で送っていただくというかたちをとりました。
台風の中、街頭署名に出たこともありました。
そして、短期間ではありましたが、2万8000人もの方々にご協力いただくことができたのです。きっと、「時速194キロで起こした事故が、なぜ過失なのか? このままではおかしい!」という皆さんのお気持ちが、こうした動きにつながったのだと思っています。
私たち遺族がどんな人間なのか、顔も見えない中にもかかわらず、何か手伝いたいとメッセージをくださり、署名にご協力いただいた全国の皆様には、心から感謝しています。
また、各メディアの方々に繰り返し報道していただいたことも、大きな後押しになりました。普段の暮らしの中では見ることができないはずの時速194キロという速度を、映像や写真とともに報じていただいたことで、この事故の危険性が多くの方に伝わったことと思います。
次席検事はメディアに「法と証拠に基づいて訴因変更請求に至った」とコメントしているようですが、検察にはぜひ、時速194キロという速度での運転がどれだけ危険なものかを実証実験していただき、有罪になる証拠を作っていただきたいと思っています。
罪名が危険運転致死罪になりましたので、これから裁判員裁判が始まります。引き続き見守っていただければ幸いです。