Yahoo!ニュース

EU離脱後の英国は「栄光ある孤立」を再現できるか―「大英帝国」の幻影がもたらす国際秩序の「液状化」

六辻彰二国際政治学者
首相官邸近くで英国旗を掲げる離脱派(2016.6.24)(写真:ロイター/アフロ)

2016年6月23日、英国に風が吹きました。怒りと不満を親にもつ「民意」という名の風が。この風は、英国をヨーロッパ大陸の諸々のくびきから解き放つとともに、世界という奔流に彼らを放り出しました。

今回の国民投票で離脱派が勝利したことは、EUメンバーであることの利益(5億人市場への無関税輸出など)と負担(分担金や難民受け入れの割り当て)を天秤にかけて、後者の方が大きいという判断をする人が多数派だったことを意味します。離脱派はEUから離脱してもカナダのように特例的な扱いをEUに認めさせれば経済的損失は少ないと主張していましたが、相手のある話において、これはいくらなんでも虫がよすぎる想定だったと言わざるを得ません。言い換えると、「ブリュッセルのEU官僚という外部勢力」によって英国が左右されることを忌避する情念が、経済合理性を上回ったといえます。

いずれにせよ、英国の国民投票で「EU離脱」が「残留」を上回ったことは、世界全体に大きな影響を及ぼしました。なかでも経済面での関心は高く、日本でも多くの議論が聞かれます。その多くは英国だけでなく世界経済へのネガティブな影響を論じたものですが、他方で「英国の離脱に端を発するEU崩壊」というシナリオは杞憂に過ぎず、必要以上に騒ぐことはないという冷静な分析もあります。これを含めて、EU離脱後に英国が直面するであろう経済的リスクについては、エコノミスト唐鎌大輔氏の議論が傾聴に値すると思います。

その一方で、外交や安全保障に目を転じると、EU離脱派からは、「我々は大英帝国だから、自分たちのことは自分たちで賄える」という主旨の主張も聞かれます。そこには、19世紀の大英帝国が広大な植民地を従え、どの国とも同盟を組まず、「栄光ある孤立」を貫いたイメージがあるのかもしれません。しかし、離脱派が求めているような、「EU離脱によって英国がかつての大英帝国の『栄光ある孤立』を回復すること」は限りなく困難とみられます。そして、英国が風にあおられたことは、既に流動化し始めていた世界秩序を、「液状化」に近いレベルにまでもっていくインパクトを秘めています。

世界における「足場」

グループとしての結束は力になる一方、そのメンバーになることで個々の方針をある程度あきらめざるを得なくもなりがちです。EU離脱により、外交の面でも英国は独自性を大きくできるといえます。しかし、それと引き換えに、英国は世界における足場を失うことにもなったといえます。

20世紀の初頭、覇権国としての地位を米国に譲った後も、英国は歴史的な背景に基づいて、経済だけでなく外交、安全保障でも米国との緊密な関係を維持してきました。1982年に英国とアルゼンチンとの間で発生したフォークランド紛争で、米国が直接の関与を控えながらも人工衛星などからの情報の提供や兵站面で支援したことは、その象徴です。口の悪いひとの言い方を借りると、「力は強くなったが頭の弱い巨人をうまく操縦すること」で、英国は自らの存在感を大きくみせてきたといえます(これは「巨人に立ち向かうこと」で自らの存在感を大きくみせるフランスとは対照的です)。

その一方で、以前にも述べたように、第二次世界大戦後のヨーロッパ各国は常に米国と足並みを揃えてきたわけではありません。そして、英国はヨーロッパ政治において、主流になり切れない存在でもありました。EUのルーツである、1952年に発足したECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)がフランス、ドイツ(当時は西ドイツ)、イタリア、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)をメンバーとしていたことは、その象徴でした。このような環境のもと、1992年のEU発足後、英国は米国とEUの間の橋渡しや調整役となることに自らの立ち位置を見出したのです。

特に、冷戦終結後に「ヨーロッパへの復帰」を果たしたポーランドやチェコなどの中・東欧諸国の間には、ドイツへの警戒感が根強いことや、ロシアへの不信感から、米国との関係を重視する国も少なくありません。ヨーロッパでドイツに次ぐ経済規模があり、さらに米国と特別な関係をもつ英国は、これらに代表される「影響力の大きいオリジナルメンバーに抗する一派」の筆頭となることで、EU内部での存在感とともに、米国に対する発言力をも確保したのです。

もちろん、EUを離脱したとはいえ、英国はG7やNATO(北大西洋条約機構)のメンバーであり、国連安保理の常任理事国、核保有国でもあります。つまり、西側の主要国であり続けることに変わりはありません。しかし、今回のEU離脱により、従来の役回りをこれまでのように演じる機会が減ることは確かです。

EUとも米国とも距離を置く必要

その一方で、フランスやドイツの影響力が強いEUから抜け出したものの、英国にとって「米国との蜜月」を期待することも困難です

英国はこの10年間、米国との関係の見直しを進めてきました。2003年の米国主導のイラク戦争に仏独が反対したことを契機に、いわゆる大西洋同盟における亀裂が拡大。対立が深刻化するなか、英国ブレア政権は最終的に米国との協力を選び、イラク攻撃に「付き合い」ました。しかし、「イラクが大量破壊兵器を保有している」というCIAの情報が虚偽であったことが発覚し、さらに2005年7月のロンドン地下鉄爆破事件などイスラーム過激派によるテロ攻撃が激しくなるにつれ、当時のブレア首相への批判が噴出。その結果、英国は米国との関係を微調整せざるを得なくなり、アフガニスタン撤退などをめぐっても「抜け駆け」を演じてきました。

この状況下、米国に接近すれば、英国からみて「買いたたかれる」リスクが高すぎます。少なくとも、オバマ大統領は自由貿易協定の締結において、「EUから離脱した英国」をEUより優先させることはないと明言しています。米国政府からみて「(5億人市場を抱える)EUの一部である英国」の方が、「単独の英国」より、利用価値が高いと判断することは、不思議ではありません

ただし、仮に米大統領選挙でトランプ氏が当選した場合は、やや話が違ってきます。孤立主義の志向が強い「トランプ大統領」が誕生した場合、その好意が(数多くの規制をやかましく強調する)EUより、やはり独立志向の強くなった英国に向かう可能性は大きいでしょう。実際、トランプ氏は英国のEU離脱を数ヵ月前から支持してきました。しかし、その場合でも、少なくとも英国にとって交渉を有利に進めるカードを少しでも多くすること自体は必要です

大英帝国の復活?

そのなかで、EU離脱後に英国と旧英領植民地を中心に構成される「英連邦」が超巨大経済圏として誕生するという見解も生まれています。つまり、英国がEUに代わる、いわば自前の経済圏を拡大・発展させるという見方です。

英国と同様に、EUとも米国とも、そしてロシアとも距離を置こうとするトルコは、やはりかつてのオスマン帝国の領域にあたる各国と相次いで自由貿易協定を相次いで結んでおり、その自前の経済圏を創出しようとする試みは「ネオ・オスマン主義」と呼ばれます。もちろん、英国はトルコよりはるかに大きな経済規模と洗練された経済システムを備えていますが、EUとも米国とも距離を置こうとするなら、前者が後者の方向を向かう可能性は大きいとみられます。冒頭で取り上げた「栄光ある孤立」を求める声は、大英帝国のように「自前の経済圏」を前提にしたものといえます。

しかし、仮に英国が自前の経済圏の創出に向かったとしても、それが離脱派の期待通りの成果をあげられるかは疑問です

グローバル化が進み、中国をはじめとする新興国が台頭するなか、各国の生き残り競争は激化していますが、英連邦加盟国にとっても、英国との関係を何より最優先にする必要性は低下しています。それはカナダやオーストラリアといった先進国だけでなく、インドをはじめとする新興国、さらにはガーナやマラウィなどアフリカの貧困国にとっても同様です。

英国にとって、これまでも英連邦は自らの「足場」の一つでした。例えば、アフリカ向け援助においても、英国のそれは「英語圏アフリカ諸国」に集中しています(裏返しに、フランスのアフリカ向け援助は「フランス語圏アフリカ諸国」に偏っています)。しかし、アフリカ各国との貿易額、援助額、投資額のいずれにおいても、既に(他のヨーロッパ諸国と同様)英国は米国、中国に大きく後れをとっています。また、米中はアフリカ諸国産の産品に対する無関税輸入措置を2000年代初頭から導入しています

このような背景のもと、「自分たちの裏庭」であるアフリカにおける権益を守るため、2007年からEU-アフリカサミットが開かれるようになりました。つまり、英仏をはじめとする、かつての宗主国を中心とする個別のネットワークに限界が生じるなか、米中を凌ぐ経済規模を備えたEUという枠で、アフリカを囲い込む方針が生まれていたのです。いかに歴史的に関係が深いとはいえ、この状況下で英語圏アフリカ諸国が、英国との関係を何より優先させると想定することはできません

英国への依存度が高い、貧困国の英語圏アフリカ諸国ですら、そのような状況にあるとすれば、先進国や新興国に属する、その他の英連邦加盟国ならなおさらです。つまり、いずれの国にとっても選択の余地が拡大しつつあるなか、「EUの一員」でなくなった英国が、自らを中心とする経済圏を創出することは困難なタスクといえるでしょう。少なくとも、「栄光ある孤立」の再来を楽観することはできません。

世界の「液状化」

その一方で、英国離脱後のEUも、少なからず困難に直面するとみられます。

英国が抜けたことで、これに追随する動きが出ることも予測されますが、その場合先述の唐鎌氏が指摘するように、EUは英国が求めるであろう特例措置を袖にして、「見せしめ」にすることで、それらの動きを封じようとするとみられます。つまり、英国が抜けたことは、「オリジナルメンバー」にとって、EUとしての結束をこれまで以上に固める転機になるとみられます。同時に、米国と緊密な関係にある英国が抜けたことで、EUは米国との太いパイプに穴が空いたことになります。つまり、英国のEU離脱により、米国とEUはこれまで以上に足並みを揃えることが難しくなるといえるでしょう。

一方で、ブロック内の亀裂は、西側に限ったものではありません。折しも6月17日、ロシアのプーチン大統領は、旧ソ連圏の5ヵ国からなる経済ブロック「ユーラシア経済同盟」に中国やインドなどを取り込んだ「大ユーラシア経済パートナーシップ」構想を打ち出し、ヨーロッパ各国にも参加を呼びかけました

「大ユーラシア」構想はユーラシア一帯をカバーする中国の「一帯一路」構想をさらに取り込もうとするもので、中ロ間の微妙な関係を示唆します。これに象徴されるように、世界経済が不安定化するなか、大国はいずれも自らが中心となる経済圏の創出を目指す動きを加速させており、中ロの微妙な関係は、西側―中ロという二元的な対立軸にとどまらない国際政治経済の一端を浮き彫りにしています。

その一方で、サンクトペテルブルクで開催されたフォーラムに、EU加盟国からはイタリアが参加しました。これは「自前の経済圏の創出」に至らない中小のプレイヤーによる、ブロック横断的な生き残り戦略の典型例ともいえます。

英国のEU離脱によって西側ブロックのなかでの亀裂が大きくなり、西側のなかでも経済圏の分裂が進みかねない状況は、このような「ブロック横断的な生き残り戦略」をも加速させることになるでしょう。それは、すでに流動化していた国際秩序をさらに不安定にさせ、いわば「国際秩序の液状化」とさえいえる状況が生まれることを予見させます。言い換えると、英国のEU離脱は、経済圏ごとの縄張り争いと、それをまたぐ中小国の生き残りのための行動をさらに加速させる、大きな転機になるとみられるのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事