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大人の日帰りウォーキング 江戸時代に造られた史跡は今でも現役 遠出をしないで歴史や自然を学ぶ一人旅

わか子ライター
多摩川沿いの土手(東京都羽村市)

休日の朝、
空を見上げると、気持ち良い青空が広がっている。きれいだなと思い眺めていると、こんな日はどこかに出かけたくなってくる。
私は、子育てを終える頃より一人で出かける歩く旅を始めた。街歩きや街道歩き、山に行って登山やハイキング等、色々な場所に出かけて楽しんでいる。一人旅は寂しくないの?と聞かれることもあるが、1人は1人の気楽さもある。要は、自分が楽しいと感じればそれで良いと思っている。
しかし、突然朝から何処かに出かけたいと思えば、遠くに出かけるのは難しい。近くでどこかないかと思いながら、自分の頭の中を探してみる。そういえば、以前から行きたいと思う場所があった。

玉川上水(どんぐり橋:東京都福生市熊川)
玉川上水(どんぐり橋:東京都福生市熊川)

東京都には、西から東へと流れている人工の水路がある。
水路の名前は玉川上水。今から約370年前の江戸時代初期である1653年に開通し、今も水が流れている。
玉川上水が造られた理由は、人口が急増する江戸の町への水供給の為だった。

江戸幕府が成立したのは1603年。その頃の江戸の人口は、およそ10万人だったと言われている。その後、江戸の町は政治の中心地として発展し、江戸時代中期には人口が100万人を超えたと言われている。当時のパリやロンドンが100万人に及ばなかったとあるので、当時の江戸は世界最大級の都市になっていたとも言われている。
初期の江戸の町では井戸や小さな河川からの水供給しかなく、人口増加に対して十分な水供給が出来ずに飲料水や生活用水の確保が難しくなった。その為、幕府は水不足を解消するために命じたのが玉川上水の建設だった。
約43kmもの距離を流れる上水道の建設は江戸時代に造られた壮大な土木工事の1つであるが、現在のように動力を使った機械がない時代に人力を尽くして造られた人工の水路を見てみたいと思っていた。

早々に支度をして出発しよう。お弁当を作る時間は無いけれど、冷凍している炊き込みご飯をチンしようか。冷たいお茶をステンレスボトルに入れて、チンしたおにぎり2個と共にリュックに入れた。

電車を乗り継いで、1時間程だろうか。到着したのはJR青梅線の羽村駅(東京都羽村市)。電車を降りると多摩川に向かって歩いた。

関東平野にある武蔵野台地の端を大きく流れる多摩川は、東京都と神奈川県の境を流れているイメージがあるが、その水源は東京都の奥多摩の先、山梨県にある笠取山(標高1953m)にある。あまり馴染みがない山であるが、笠取山の山頂のすぐ下に小さな分水嶺がある。この場所を境にして多摩川、荒川、富士川へとそれぞれ分かれて流れていく、水の流れを分けている場所でもある。
多摩川は、支流である秋川や浅川と合流して東京湾に流れ出ているが、それらの支流が合流する場所より上流で玉川上水は分水されている。

羽村駅から15分程歩くと多摩川に造られた羽村取水堰(はむらしゅすいせき)に着いた。ここは、多摩川から玉川上水へと水を流している場所であるが、実際に見る景色は想像を遥かに超えていた。

羽村取水堰(東京都羽村市羽東3丁目)
羽村取水堰(東京都羽村市羽東3丁目)

「これは、凄い」
一人旅の私は誰に話しかける訳でもないけれど、思わず口から言葉が出てきた。

多摩川は川幅も大きく水量も多い。その多摩川をせき止めて水を引き込んでいた。川の水を取水するには当然の話かもしれないけれど、実際にこの場所で、ここに流れる多摩川の水の全てを引き込んでいた。
そして、取り込んだ水は玉川上水に流すと共に、多摩川にも水を戻している。
羽村取水堰には羽村草花丘陵自然公園が整備されているので、そちらに向かって降りていこうとすると、ちょうど、多摩川から分水されて玉川上水へと水が勢いよく流れる場所の上を橋で渡った。流れる水量の多さと、勢いよく流れ出ていく様子に力強さを感じる。両側に木々が生い茂る間を水が流れていく景色を眺めるのは気持ち良い。これが、玉川上水の始まりか。

羽村取水堰より取り込まれた多摩川の水が玉川上水へと流れていく
羽村取水堰より取り込まれた多摩川の水が玉川上水へと流れていく

羽村草花丘陵自然公園には玉川上水を作った玉川兄弟の像があり、ベンチや東屋も整備されている。公園から多摩川を眺めると、取水堰で取り込まれた水が多摩川の川底に沿って広がりながら穏やかに流れていく景色が広がり、いつまでも見ていたいと思わせるような気持のよさを感じた。

いくら上流であっても多摩川なので、もちろん川幅は広い。その広い川幅の中で、穏やかに水が流れている部分は一部であるが、大雨が降った時には川幅全体に渡り濁流となった大量の水が流れることになる。取水堰は大丈夫なのだろうかと気になる。

せっかくだから、博物館にも行ってみようか。
多摩川の対岸には羽村市郷土博物館があるので、近くにある多摩川に架かる橋へと向かう。やっぱり多摩川は大きいと思わせられる川幅であり、橋を渡るのも結構な距離がある。しかし、気持ち良い青空の下、穏やかに流れる川と里山の景色を眺めながら歩くのも悪くない。橋を渡り、案内板に従って土手沿いに歩き進んだ。

博物館に入り簡単な受付をする。
「外にある建物の見学に行かれますか?今朝、イノシシがいたらしいので気を付けてくださいね」
博物館の奥には江戸時代末期の建物なども展示されており、その場所でイノシシの目撃情報があったらしい。野生の動物は人間を見ると逃げていくようだけれど、イノシシと言えば猪突猛進のイメージがある。出来ればお会いしたくないと思うのは私だけではないと思う。

博物館には羽村市の歴史に加えて多摩川や玉川上水に関する展示も多くあった。
多摩川のような大きな川では大雨が降ると川幅全体を濁流が流れる。玉川上水へ水を取り入れるために多摩川の水を全て取り込んでいる羽村取水堰は、木材を組んで水をせき止める構造(投渡堰:なげわたしぜき)で作られており、現在も江戸時代を同じ仕組みで使われ続けている。大規模な洪水が起きると木材で組んだ部分の投渡堰を人の手で壊して水を多摩川に流し、水門が壊れるのを防いでいるとあった。

令和元年の台風19号の様子 投渡木を全て外して大量の水を逃がしている(羽村市郷土博物館展示写真)
令和元年の台風19号の様子 投渡木を全て外して大量の水を逃がしている(羽村市郷土博物館展示写真)

館内の展示を見て回った。普段あまり使っていない頭を使った為か、何だか少し疲れた。博物館を出ると、川沿いにはコンクリートで整備された川岸があるので近づいてみる。
足元を流れる多摩川の流れは穏やかで、流れる水はとても透き通っている。しゃがんで川の水に手を入れてみる。ひんやりと冷たくて気持ちが良い。川岸がこんなに気持ちが良い場所だと改めて思った。おにぎりでも食べようか。
お昼には早い時間だけれど、お腹はそれなりに空いている。そして、気持ちが良い場所での青空ランチは最高の贅沢な時間だ。

多摩川の川岸で青空ランチ
多摩川の川岸で青空ランチ

穏やかに流れる川の音、小鳥の鳴き声も心地よい。青空から降り注ぐ日差しを受けながらその場に座った。冷たいお茶を飲んで、おにぎりを食べる。自然の中で過ごす時間に癒やされ、ずっとここに居たいと思うような気分になるけれど、休憩をしたら先へと進もうか。今日は、玉川上水に沿って歩こう。

取材協力:羽村市郷土博物館(羽村市公式HP)

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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