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さらばブラタモリ 名古屋城・関ケ原など「名古屋・東海」のロケ地を振り返る

とらべるじゃーな!穴場ずらし旅、愛好家

関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。NHK番組ブラタモリが3月10日で最終回となりました(特番の可能性はあり)。

今回は、初回からロケ地を個人ブログに記録し、要所要所は実際に訪ねてきた筆者が、ブラタモリで印象に残った回をメモしました。

東海地方(愛知、岐阜、三重)でブラタモリ

愛知・岐阜・三重県では、志摩(#39)伊勢神宮(#40、#41)名古屋(#75、#76、#90)岐阜(#92)伊賀忍者・甲賀・信楽(#158、#159)白川郷(#170)関ケ原(#239)木曽三川(#240)が取り上げられています。

荒れ地だった名古屋に城下町を展開した家康

復元工事前の名古屋城
復元工事前の名古屋城

尾張のもとの中心は、清州城。織田信長が居城にしたこともあった場所です。荒れ地だった名古屋を、徳川家康が開発したとブラタモリ名古屋編の冒頭で説明されました。

現在は長期工事で閉鎖中の天守閣。ここから北側を望むと、台地の際(きわ)であることが分かります。この守りに適した立地は、大坂城、江戸城と似ています。

海側に向かう台地の先端に立地した大坂城や江戸城に対し、名古屋城は台地の北端。南側にはある有名な施設が建てられています(正解は後半)。

タモリさんは、馬出(うまだし)の跡を見学しています。これは、敵に人馬の出入りを悟られないよう、城門の前に築いた空間です。

敵とは、取りも直さず、大坂城に控える豊臣方でした。

タモリさんは、城下町も歩いています。ブラタモリではおなじみの間口が狭く、奥行きがある建物の配置です。

名古屋の城下町がユニークなのは、東西、南北にの両方に同様の通りがあること。空いたまん中は、江戸時代には、寺や神社、共有の空き地として使われていました。

現在、その一部は名古屋らしいあるビルに用いられていますが、それは何でしょうか?

材木を立てて置く場所…? 倉庫…? PC用のサーバーが置いてある…?

正解はビル型の駐車場です。上の図では、丸の内USビルに寄り添うように、立体駐車場が建てられています。

ブラタモリ名古屋編では後半に、熱田神宮を訪ねています。台地の南の際に建てられたのが、熱田神宮だったのです。

宝物殿には、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長の各武将が熱田神宮に宛てた手紙が残されています(時期を限定して公開の場合あり)。

熱田宿の貴重な面影を残す、旧旅籠の丹羽家住宅。

かつて東海道は、熱田から桑名間は渡し舟で結んでおり、熱田には240もの旅館が立ち並んでいたのです。

このほかブラタモリでは、熱田と名古屋城を結ぶ堀川も丁寧に紹介しています。テレビ塔のブラタモリバージョンの装飾も、引用で紹介しています。

【ブラタモリ名古屋 全ロケ地】名古屋城や熱田神宮を地形的に見る #75 76 90(とらべるじゃーな!)

ブラタモリ関ケ原編

写真は関ヶ原の戦いの決戦の地。徳川本隊が、高所に構えた石田三成隊を追い詰めます。

関ヶ原の戦いと言えば、松尾山に陣取った小早川秀秋の裏切り、九州男児のイメージそのままの島津義弘の敵中突破による「前進退却」など、すでに取り上げられている要素が多いのですが、変化球のブラタモリは、意外な戦いを取り上げます。

※地域名は関ケ原、戦いは関ヶ原の戦いの表記となります。

石田三成の陣地
石田三成の陣地

石田三成の右腕であり、三成にはもったいないとまで言われた島左近に対する奇襲です。断層が作った目立たない山中の道をたどって、島左近軍は側面から鉄砲で奇襲を受けたという説を紹介しています。

非常にブラタモリらしい、スポットの当て方でした。

※先日、京都市上京区の教法院(きょうぼういん)にある島左近の墓で、骨が見つかったことも話題になっています。

関ケ原は歴史好きが集まる場所のイメージですが、実に風光明媚な場所。写真は決戦の地を望む場所で、腰かけてゆっくり過ごせます。家族連れやグループでも楽しめる場所です。

関ケ原編のこのほかの紹介地は、下で確認できます。

【ブラタモリ関ケ原・全ロケ地】タモリさんが関ヶ原の戦いの舞台を探る#239(とらべるじゃーな!)

穴場ずらし旅、愛好家

関東周辺の穴場★ずらし旅スポットを紹介。日本テレビに旅の専門家として出演(2023年4月)。Yahoo!ニュースエキスパート公式旅行ライター(2023年7月企画賞)。JTB運営・地理旅行検定取得済み。東京都在住、旅行歴500泊以上。

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