コロナとの戦争に本気で備えない安倍総理は五輪返上ができない
フーテン老人世直し録(515)
水無月某日
安倍総理は3月24日に東京五輪延期を決めた時、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で、東京オリンピック・パラリンピックを開催する」と述べたが、その見通しの誤りに気付いたのか、政府は東京五輪の簡素化について検討を始めたという。
これまで規模を縮小しないと主張してきた菅官房長官も4日の記者会見で、「アスリートや観客にとって安心、安全な大会、すなわち『完全な形』で実施できるよう準備を進めていきたい」と「完全な形」の中身をトーンダウンさせた。
政府は開会式や閉会式の簡素化と選手の移動制限などを考えているようだが、それも楽観的に過ぎる見通しだとフーテンは思う。世界中からアスリートが集まりそれを応援する観客が来日するのは相当に難しい。どうしても中止せずに開催する場合、東京五輪は前例のない無観客の祭典になる可能性がある。
麻生副総理兼財務大臣は「東京オリンピックは呪われている」と発言した。日中戦争のために中止された1940年の東京五輪と、西側世界からボイコットされた1980年のモスクワ五輪を引き合いに、五輪には40年おきに呪いがかかると言ったが、それが分かっているならなぜ開催するのか理解に苦しむ。
中止にすれば東京五輪のための投資がすべて泡と消え、それを主導してきた安倍政権の政治責任が追及されると思うからか。しかし今我々の目の前にあるのは安倍総理が「戦後最大の国難」という新型コロナウイルスから国民の命を守ることである。
守る命には2つある。一つは病気で失われる命、もう一つは経済で失われる命である。おそらく病気で失われる命より経済で失われる命の被害の方が格段に大きくなる。しかもその影響は病気より長期にわたって続く可能性がある。
人類がコロナ以前の生活に戻ることはない。コロナ後の世界でどのようにして豊かさを取り戻すか。それが喫緊の課題である。安倍総理はそれを幻想の世界に求めた。「ウイルスに打ち勝った証として完全な形で東京五輪を開催する」と言ったのはそういうことだ。
この総理は現実を見ない。いつも夢見ることを言い、その夢の中に自らを置く。人類がウイルスに打ち勝つことなどありえない。感染症は人類が農業を始め自然を破壊した時から始まった。人類はウイルスと共存する方法を探すしかないのが歴史の教えである。ところがこの総理はウイルスに打ち勝つことを夢想し、東京五輪の開催が豊かさを取り戻す契機になると夢見た。
現実の世界では企業倒産と失業が蔓延する。その中でどうして不完全な東京五輪に金を回さなければならないのかフーテンは理解できない。そもそもフーテンは麻生氏より先に「東京五輪には呪いがかかっている」とブログに何度も書いてきた。
新東京国立競技場の設計変更、エンブレムの盗作問題、東京五輪組織委会長の座を巡る確執、そこから派生した石原慎太郎氏と猪瀬直樹氏に関わるスキャンダル発覚、森喜朗氏を名指しした「東京五輪はヤクザ五輪」という米国の報道、フランスが捜査する東京五輪招致買収疑惑など次々に問題が起き、国民の期待の裏に黒くどろどろしたものが渦巻いていると指摘した。
しかしその黒くどろどろしたものが表に出て騒がれることはなかった。一つには東京五輪が「アベノミクス4本目の矢」と位置付けられ、日本経済がデフレから脱却するための起爆剤と考えられたからである。従って国民の期待も大きかった。
しかし新型コロナはアベノミクスを吹き飛ばし、日本経済は再びデフレが深刻化する。さらに安倍政権が経済政策の中心にした「観光立国」もコロナによって吹き飛んだ。人間の移動が制約される世界で「観光立国」に固執することは幻想にすがる話だ。
麻生氏は1940年に中止された東京五輪を「呪い」と言ったが、コロナ禍の中で読んだ古川隆久日本大学教授の『建国神話の社会史』(中公選書)は、戦前の東京五輪招致の理由と中止に至る過程を描いて実に興味深い。安倍総理と森友学園の関係にもつながる話だ。
森友学園と安倍総理夫妻の関係は第二次安倍政権が誕生する直前に始まる。森友学園が生徒に「教育勅語」を暗唱させることに昭恵夫人が感銘を受け、協力するようになったため、総理に返り咲く前の安倍氏も訪問する約束をしたことがある。
「教育勅語」は『古事記』や『日本書紀』に書かれた建国神話を子供に事実として教え込むための道具である。しかし教える教師も実は建国神話を事実とは思わない。それでも国民を統合する目的で、議会制度や平等思想とも相容れるように衣をまとわせて教えた。
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