第一次世界大戦終結百周年式典を見て孤立主義と国際協調を考えた
フーテン老人世直し録(403)
霜月某日
フランスのマクロン大統領は11月11日に世界60か国余りの首脳に呼び掛け、第一次世界大戦終結百周年を記念して、戦争の犠牲になった人々への追悼式典をパリの凱旋門で行った。
日本からは麻生副総理が出席したが、日曜夜の時間帯であったため大きく報道されることはなく、一方、トランプ大統領が出席した米国では、CNNテレビが行事の一部始終を生中継し、中間選挙後の記者会見でトランプ大統領から罵倒されホワイトハウス記者証を取り上げられたジム・アコスタ記者が現地からレポートした。
マクロン大統領は、歴史上初の総力戦で多大な犠牲を出した第一次世界大戦の悲劇を踏まえ、その後は世界平和を求めて国際協調の動きがあったにもかかわらず、やがて各国にナショナリズムが台頭し再び世界戦争が起きたことを教訓に、自国第一主義や排他的な風潮が広まる現状に警鐘を鳴らし、国際協調の必要性を訴えた。
その訴えは主にトランプ大統領に向けられているとフーテンには思えた。第一次世界大戦はそれまで孤立主義を貫いてきた米国が参戦したことで英仏ロの連合国が独墺土の同盟国に勝利し、欧州に軍事物資を売った米国が巨額の利益を得て世界一の債権国になった。
米国のウィルソン大統領は帝国主義から植民地を解放する「民族自決」を訴え、国際協調の中心組織として「国際連盟」の結成を呼び掛けたが、国内の孤立主義者からの反対で米国の参加は議会で否決された。
そのため英仏伊日の4か国が常任理事国となる「国際連盟」は十分に機能せず、さらに米国に端を発する恐慌が世界的な倒産と失業を引き起こし、それが排他的ファシズムを生み出して第二次世界大戦となる。
米国は第二次大戦が勃発しても孤立主義を貫くが、日本軍にハワイ真珠湾を攻撃されたために参戦し、物量に物を言わせて戦争に勝利すると、ソ連と並んで戦後世界を二分する覇権国となった。
米ソの軍拡競争は互いを消耗させ、米国は戦後40年で日本に債権国の地位を奪われ、ソ連も戦後46年で解体された。ソ連なき後、米国は唯一の超大国として世界を米国の価値観で統一しようとしたが、それが世界各地で軋轢を生み、思うようにいかない。2年前に登場したトランプ大統領は、米国を国際的枠組みから脱退させ、再び孤立主義に戻ろうとしている。
トランプ大統領の唱える「自国第一主義」の源は、1823年に第5代大統領モンローが唱えた「モンロー主義」にある。それは欧州の帝国主義に対し「米国には手を出すな。その代わり欧州に対しても干渉しない」と言ういわば「米大陸縄張り宣言」だった。
欧州の帝国主義をけん制しながら米国は大陸内での領土拡張のため、先住民族の絶滅とメキシコからの領土獲得に取り掛かる。先住民の抵抗を押しのけて広大な大地を西へ開拓し、1847年までにメキシコからテキサスやカリフォルニアを獲得、そこで太平洋の先に目を向けた。
1853年のペリーによる黒船来航は、清国との貿易や捕鯨のための寄港地を確保する目的だったが、南北戦争が起きたため、そこでいったん途切れ、しかし1890年に先住民族を完全に征服すると、米国は「フロンティア消滅」を宣言し、海外の植民地化に取り掛かかった。
1897年にハワイを併合、1898年にはスペインと戦ってキューバやグアム、フィリッピンを植民地にする。もはやこの時点での米国を「モンロー主義」と呼ぶことは出来ないと思うが、それでも米国は「モンロー主義は変わらない」と言う。つまり何であれ自国の国益を最優先にすることが米国の原則なのである。
また米国の初代大統領ジョージ・ワシントンは「世界のどの国とも永久的同盟を結ばないでいくことこそ、我々の真の国策である」と述べている。国益になれば他国を助けるが、ならなければ助けない。そして同盟関係には左右されずに国益を追求するのが米国の原則ということになる。
従って日本政府が何につけ「日米の同盟関係に揺るぎはない」とか「同盟関係は盤石である」と言うのを聞くとフーテンは逆に不安になる。米国政府が考えていることと日本政府が考えていることの間に大きな隙間があるのではないかと思えるからだ。
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