全国唯一の「パワースポット突堤」を愛知県蒲郡市で発見。この堤防が90年に渡って守ってきたものとは?
地方都市で楽しく暮らすには、受け身ではなく主体的に行動する必要あり
愛知県の三河地方にある蒲郡市。かつては繊維産業で栄えたが、現在は8万人ほどの人口が徐々に減っている斜陽の地方都市だ。筆者は9年前に東京からこの町に移住した。田舎暮らしに憧れていたわけではなく、同じく三河地方で家業を継いでいる妻との力関係によるものだ。
引っ越し当初は「駅前なのに夜になると真っ暗になる。人間よりカモメのほうが多い!」と嘆いていたが、住み続けるうちに楽しみ方がわかって来た。近所のレジャー施設はパチンコ店ぐらいなので受け身では何も起こらない。心を開いて主体的に動き、ヨソ者の視点も生かして遊ぶのだ。
移住2年目からは自宅周辺で好きになった場所や店だけを勝手に紹介するフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を自主製作。周囲に呆れられながらも毎年作っていると少しずつ地域の情報が集まるようになった。「地元で生まれ育った人以外が見たほうが面白いのでは?」と感じたときは、本連載などで記事として紹介するようにしている。
名古屋駅から快速電車で約40分の立地にある蒲郡は東京都心の暮らしに飽きた人にとっての鎌倉みたいになれると主張してみたり(記事はこちら)、メスのアシカに愛され過ぎて飼育室内に閉じ込められた水族館館長の恐怖体験を聞き取ったり、従業員の家庭生活のために19時に閉店して利益の半分は給与と賞与に回すという超ホワイトな食品スーパーチェーンを紹介したり。蒲郡駅前の地下街を歩いて調べて「日本一短い地下街」だと認定したら、テレビや新聞が追随してくれてちょっとした観光名所となった。今では蒲郡で暮らしていても寂しいともつまらないとも思わなくなった自分がいる。
竹島ならぬ松島。歩いて渡れる無人島なのに観光客の姿は皆無!
「大宮さん、竹島ならぬ松島って知ってます? 堤防の中に島があるんです。はっきり言ってショボいですけど、改めて見ると面白いかもしれません」
地元出身の女性からこんな情報をもらったのは今年の夏のことだ。竹島というのは領土問題が起きている島ではなく、三河湾の奥に位置する蒲郡市の海岸から400メートルほどの橋で渡れる無人島のこと。弁天様を祭る神社もあるパワースポットとして県内では知られている。
竹の次は松なんて冗談みたいな話だが、百聞は一見に如かず。友人の車に乗せてもらって市内の西浦町にある現地に行ってみた。すると、海岸から伸びる突堤の途中に小山が出現したような奇抜な光景が広がっていた。なんだ、これ!?
聞けば、島の松林の中にはお地蔵様がいてお参りもできるらしい。堤防の入り口には確かに「松島地蔵」という標識がある。しかし、観光客の姿などは皆無で、釣り人の姿がチラホラ見えるだけ。夏はキス、秋はハゼなどが釣れるらしい。地元で生まれ育った人にとっては当たり前すぎる風景なのかもしれない。
堤防の専門家が明言。「観光ができる島を利用した突堤は見たことがない」
お地蔵様がいる天然の島を利用して作った突堤。冷静に考えると、極めて珍しい気がしてきた。全国の堤防に詳しい人に聞いてみよう。名城大学特任教授の川崎浩司さん(海岸工学)は「観光ができるような島を利用した突堤は見たことがない」と明言する。観光どころか参拝までできる「パワースポット突堤」は全国唯一だと言い切っていいのだろう。
「岩礁などを堤防の一部に使ったケースはあります。でも、それも数は多くありません。港や堤防を作るときは、波の向きや流れ方を考えて設計する必要があるからです。ここの場合、たまたま都合のいい位置に松島があったということでしょう」
波の向きと漂砂の関係で離島の背後に砂が堆積してトンボロ(陸繋島)が自然に形成され、天然の突堤を作って観光地にもなることがある。湘南海岸の江の島や宮崎県の青島が有名だ。しかし、川崎さんによれば、蒲郡市西浦町の松島にはトンボロは構造的に期待できない。港を守るには人間の手で突堤を築く必要があったのだ。
「当時のコンクリートでは耐用年数は50年ぐらいでしょう。でも、天然の島が崩れることはありません。その意味では、堤防の一部に島を利用するのは優れた発想だと言えます」
防災と観光を兼ねた堤防は素晴らしい、と絶賛してくれる川崎さん。蒲郡市民としてはほめられて嬉しいが、そもそも松島突堤はいつ頃から何を守って来たのだろうか。
石材で栄えた西浦町。総石造りだった松島突堤を13号台風と伊勢湾台風が破壊
蒲郡市博物館で借りた『西浦町の昔と今』という冊子には、愛知県直営工事によって松島突堤が完成し、倉舞港が形成されたのは昭和6年(1931年)とある。「漁船、貨物運搬船の大型化を見通し、台風時期の避難港として計画」されたものらしい。漁船はわかるけど、貨物運搬船って? 蒲郡市内でも辺境の地である西浦町で何を運んでいたのだろうか。
「石だよ。西浦には石切場があったからね。それを運ぶ船を安気に(安全に)泊めるために波の陰(防ぎ)を作った」
意外な運搬物を教えてくれるのは現役の漁師である尾崎久儀さん。その昔、西浦では漁業と並び石材産業が盛んだったのだ。松島突堤がなければ、地元ではヤマゼと言われる南西からの強風による波で船がみんな壊されてしまうらしい。
なお、松島地蔵菩薩は突堤が作られる80年ほど前である江戸時代に地元住民によって建立されたもの。小舟で行き来して参拝していたのだろう。
石材を運ぶ船を守っていたという史実を聞き、松島突堤の謎が一つ解けた。大半がコンクリート造りだが、島に上陸する直前の数メートルだけ石造りになっている。尾崎さんによれば、建設当時は地元の石材を活用した総石造りの堤防だったが、13号台風(1953年)と伊勢湾台風(1959)によって破壊されてしまったのでコンクリートで作り直した。松島突堤には自然と人間が戦った痕跡も残されているのだ。
石材、国内観光船、そしてマリンスポーツ。突堤が守るものの移り変わり
伊勢湾台風からの復興需要をピークに西浦町の石材産業は衰退した。入れ替わるように発見されたのが温泉である。温泉旅館が次々に建てられ、松島突堤が守る倉舞港も「倉舞観光港」に変貌。三河湾および伊勢湾内の島や港と西浦温泉を結ぶ船を見守るようになった。
国内観光ブームもバブル経済期もやがて過ぎ去り、倉舞港に賑わいをもたらした観光船も廃止となった。しかし、松島突堤の役割は終わらない。この港には個人所有のクルーザーやヨットが停泊する西浦マリーナがあるからだ。
大きな伊勢湾の抱かれた形の三河湾では強風が吹かない限りは大きな波は起こらない。そのためヨットやウィンドサーフィンなどのマリンスポーツが盛んだ。関係者によれば、沖合に向かって突出しながらも水深がある西浦半島付近は中型の船も泊められるので便利なのだという。
「でも、風速8メートルもあれば小さな白波は立ちます。今日もそうですね。突堤の外の海には白波が見えるでしょう。初心者があそこで遊ぶのはキツイですよ」
倉舞港を見渡しながら淡々と解説してくれるは西浦マリーナの一角を借りてSUP体験スクール「LOVEARTH」を運営している山村佳史さん。3年前、名古屋市の北に位置する岩倉市から蒲郡に引っ越した移住組の一人だ。
沖合の離島までは行けないSUP初心者。堤防内の無人島は格好の目的地になる
山村さんよれば、SUPの上級者は波にボードを、風に体を押してもらうことで進んで行ける。「ダウンウインド」という遊び方らしい。しかし、ボードの上に立つことがやっとな初心者には波風は少ないほうが好ましい。南側にはかつて石切場があった山があり、西側は松島突堤で守られた西浦マリーナは格好のスポットなのだ。東からの風が強くても突堤があるので沖まで流される心配もない。
「ビーチエントリー(砂浜からの入水)ではボードから落ちて足をつくと貝殻などで怪我をすることがあります。ここは水深がいきなり5メートルぐらいあるので、その心配はありません。初心者には、レッスンの終わりには松島までパドルを漕いでたどり着くことを目標にしてもらっています。堤防内で安全なので、ちょうどいい目的地になるんです」
ここは「西浦」というだけに沈みゆく太陽に照らされた三河湾を存分に楽しめる。この景色も山村さんが蒲郡に移住した理由の一つだ。
かつては石材を運ぶ船を波から守った松島突堤。今ではマリンスポーツを楽しむ生身の人間の役に立っている。堤防の途中にある天然の無人島を参拝やSUPの目的地にするなんて、観光用に狙っても絶対に作り出せない環境だ。
都会の真似をするのではなく、自然も含めて「すでにそこにあるもの」に新しい価値を見出す。地方で楽しく暮らすための方法論であり、移住者が担うべき役目である気もする。