端から端まで片道25歩! 日本一短い地下街で働く「看板娘」の熱い告白
「すごく居心地のいい店を見つけた~。毎日でも通っちゃうね。自分と同じ匂いのおじさんばかりが集まって来るんだ。どんな匂いかって? 人恋しい匂いだよ。話しかけたいし、話しかけられたい」
40歳独身の友人が演歌のフレーズのように絶賛する居酒屋が愛知県蒲郡市の蒲郡駅前にある。行ってみると、まず立地に驚いた。わざわざ地下を掘った意味がわからないほど短い地下街なのだ。地方都市の駅前にある小さなロータリーを頭に思い浮かべてほしい。その半分ぐらいの距離しかない。
地方都市の例にもれず、蒲郡は車社会。成人は1人1台が当たり前だ。駅前でも歩行者はまばらでタクシーを利用する人も少ない。ロータリーの先にある商店街はシャッターを下ろしている空き店舗が目立つ。そんな場所の地下に「飲食店街」があると聞き、多くの人が「地上すらこんな閑散としているのになぜ?」と疑問を感じるだろう。
席を譲り、話しかける。社会人サークルのような居酒屋
通路部分と隣接するビル(名店街ビル)の地下部分を除くと、その距離はなんと片道25歩。「日本一短い地下街」と称しても過言ではないだろう。せつなさを感じるほど短いこの地下街で、現在は5つの飲食店が営業中だ。ワイルドすぎる炭火焼きが話題の焼鳥店や、餃子が異常においしい中華料理店は、駅前在住の人以外にも広く知られている。しかし、上述の友人が激賞するのは、カウンターだけの居酒屋「ちどり」である。
勇気を出して店の入り口をくぐると、カウンターの向こうで名物ママの「せっちゃん」こと節子さんが待っている。この店に住んでいそうなほどリラックスしている常連客たちも排他的ではない。満席でも快く席を譲ってくれる。年齢層の幅も広く、オープンな社会人サークルのような雰囲気が漂う。
21時を過ぎてからは、節子さんの三番目の娘である「ともちゃん」こと与子(ともこ)さんが出勤。1杯300円の酒をどんどん飲んでいた常連客の表情がさらに明るくなる。店内には、ファンのお客が描いたという与子さんの肖像画も飾ってある。まさに看板娘なのだ。
「終戦の年に祖父が地上で始めたお店です。こないだ70周年のお祝いをお客さんにしてもらいました。祖父は研究熱心な人で、ジンギスカンなど当時は珍しかった料理を提供したり、お弁当を作って運送屋さんに売ったりして、開店と同時に大成功したそうです。いまお店を継いでいる母は、中学生時代はお嬢様だったんですよ。オーダーメイドの洋服を買ってもらったり、お琴を習わせてもらったり。でも、成功して欲をかいた祖父が欲をかいて、お金をすべて腹巻に入れて大阪に出店したのが大失敗でした。不動産屋に騙されて辺鄙な土地を買わされて、お店を始めてもお客はまったく来ない。蒲郡の店は親戚に任せていたのですが、お店の屋根からおしっこをしちゃうような変わり者で、こっちのお客もゼロになってしまいました。大阪から戻って来た祖父が怒って、その親戚の頭を鍋で殴り……。そこから我が家の貧乏生活が始まったんですよ。あれ、こんな話は聞きくたくないですか?」
はちゃめちゃなエネルギーで満ち溢れた戦後の一風景である。与子さんが「貧乏生活」を明るい表情で語れるのは、パワフルな祖父の血を濃厚に引き継いだシングルマザーの節子さんにたくましく育てられたからだろう。
「祖父と祖母は60歳のときにお店を引退しました。私はおじいちゃんおばあちゃん子ですよ。母は仕事を3つもかけもちして、6人家族を養ってくれたんです。朝は旅館で仲居さんのお手伝い、昼はトラックターミナルで荷物運び、夜はちどり。それで土地も家も買ったし、私と姉2人を大学・短大まで行かせてくれました。偉大な母です。とても真似できません」
区画整理と再開発によって取り残された「昭和からの贈り物」
与子さんによれば、駅前の区画整理によってちどりが地下街に移転したのは約50年前。当時は、線路によって街が分断されることを防ぐために駅の南北をつなぐ地下通路も作られた。繊維産業が盛んだった蒲郡の街はにぎわっており、地上だけなく地下にも通路と店舗を作ることに意味があったのだ。
その後、線路が高架になり、南口の再開発が行われた。地下通路の意味は失われ、南側への通路は閉鎖された。しかし、通路から北に続く地下街はちどりなどの人気飲食店が入っていたために存続。「蒲郡北駅前地下街」はその名残なのである。
ちどりは現在、17時~24時頃まで毎日営業している。日中は日本語講師と子ども向けの英会話講師をかけもちしている与子さんに休みはほとんどない。
「母の血が流れているので、朝から夜までびっちり働きたい性分なんです。バカな話もためになる話もいっぱいしてくれるちどりのお客さんが大好きなので、昼の仕事が忙しくても会いたくなります。たまに行けない日があると、『今日はどうだった? 誰が来た?』って母に聞いちゃいます。すごく気になるんです。ちどりに行かないと1日が終わりません」
のけぞるほどディープな立地と店構えのちどり。何十年も通い続けている常連ばかりの店かと思いがちだが、「5年ごとにお客さんが入れ替わる」のだという。繊維産業が衰退したとはいえ、愛知県は製造業が盛んな地域。他県から働きに来ている人も多く、その人たちの「憩いの場」としてもちどりは機能しているのだ。
「地元に帰ったり、家庭を持ったりして、お店にはなかなか来られなくなる人もいます。でも、一部のお客さんとはお中元やお歳暮のやり取りが続いているんですよ。母はみんなのお母さん。私もそうなりたいな、と思っています。ちどりをなくしたくない。100周年をやりたいんです」
蒲郡は、歩いて渡れる無人島や城郭のような外観のホテル、HISが再建したテーマパークなどで知られる観光地でもある。しかし、筆者は与子さんとともに「蒲郡北駅前地下街」をおすすめしたい。地下街の入り口は確かに薄暗くて古びている。「この階段、降りて大丈夫? 魔界に通じているんじゃないの?」と足がすくむかもしれないが、ここ数年で犯罪やトラブルの発生は聞いたことがない。安心して降りてほしい。
歴史によって形作られた日本最短の地下街は、再現不可能な「古き良き(悪き)昭和感」を醸し出している。30代以降の人たちは不思議な懐かしさを覚えるかもしれない。各店舗には意外なほど客が入り、活気と笑いが満ちている。最新の商業施設では絶対に得られない人間味と刺激がこの地下街にはあるのだ。