新型コロナウイルスについて政府が発表する数字をあなたは信じますか?
フーテン老人世直し録(508)
卯月某日
東京や大阪では5月6日までを「ステイ・ホーム週間」として厳しい営業規制と外出規制を敷いた。それでも「自粛」であるから違反しても罰則はない。ところが大阪府の吉村知事は「自粛」しないパチンコ店の名前を公表する措置を取った。
これに西村担当大臣や小池東京都知事も賛同し、「自粛」要請を無視する店の名前を公表する方針を打ち出す。ところが「日刊ゲンダイ」によれば、名前を公表された堺市のパチンコ店は、朝から行列ができる盛況ぶりで、通常よりも大勢の客が詰めかけたという。営業しにくくさせようと名前を公表したことが逆に宣伝効果をもたらした。
フーテンも昨日、出かける人はいないだろうと思い、静かに読書をしようと近くの公園に行ってみると、ベンチはすべて満席で、いつもの日曜日より人出が多かった。それを見て政治家たちの言葉が本当には伝わっていない、国民を説得しきれていないことを痛感した。
政治家や学者、ジャーナリストたちは口を極めて新型コロナウイルスの恐ろしさを訴え、営業自粛や外出自粛を要請する。しかも違反をすると名前を公表するぞという「脅し」もかけた。しかしその効果がそれほどではなかったことを彼らは胸に刻むべきだ。
諸外国を見ていると、例えばニュージーランドのように、国民が政治リーダーの要請に「納得」して従い、早期に規制を緩和する方向に向かった国もある。そうした国のやり方は恐怖心を煽ったり脅しをかけることをしなかったのではないか。
正面から国民と向き合い、納得がいくまで説明する。日々の動きと最新情報を刻々と伝え、透明性を何よりも重視した。その姿勢が国民に安心感を与え、リーダーの言うことを聞く気にさせた。
恐怖を与えるのではなく安心感を与えることが政治なのだ。それが我が国の政治家には残念ながらまるでない。怖いことばかりを強調し、「自粛」と称して国民に責任を押し付ける。「命令」なら為政者には責任が生まれる。「命令」する見返りを国民に与える必要もある。「自粛」は為政者が責任から逃れる道だ。
国民は暗い気持ちになり、しかも先行きが分からない。家に閉じこもればストレスが溜まって気がおかしくなる。「密」でない場所を探して伸び伸びしたくもなる。それが「ステイ・ホーム」の初日の国民の姿だったとフーテンは思う。
ところでみなさんはメディアが伝える新型コロナウイルスの数字を信用しますか? フーテンは残念ながら全く信用していない。日本政府が発表する数字を裏も取らずに垂れ流しているだけだと思うからだ。まるで戦前の大本営発表が、コロナの恐ろしさにかこつけて復活した。
感染者数はまったく意味のない数字である。検査を増やせば感染者数は増える。検査を減らせば感染者数は減る。その検査数を明らかにせず、感染者数が増えたとか減ったと報道するのはまったくナンセンスだ。フーテンはそこに国民を誘導しようとする政府の意図を感ずる。メディアは正義の味方の顔をしながらその手先になっている。
フーテンは権力中枢の動きを取材した経験がある。権力者がどういう時にどういう考えを持つかを散々見てきた。危機は権力者にとって最上の喜びだ。国民が恐怖に震えれば震えるほど、これまで出来なかったことが何でも出来る。国民には恐怖しか見えないのでもってこいだ。現在どの国の権力者も新型コロナでこれまで出来なかったことをやろうとしているはずだ。
またフーテンはテレビ・ディレクターだったから、テレビ人間が何を考えるかも知っている。新型コロナウイルスはテレビにとって視聴率を上げる金鉱脈である。新型コロナの恐ろしさを煽れば煽るほど、そして正義派ぶればぶるほど視聴率は上がる。
つまり今の状況は、権力者と権力者が国民を誘導するのに利用するメディアにとって共通の好機が訪れたのである。そのことを国民はしっかり自覚しなければならない。自覚するには意味のない感染者数に惑わされぬことだ。感染者数の背後の検査数こそ知るべき数字だが、なぜか日本はどの国よりも少ない。それを考えるべきだ。
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