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バーベキューの日本史、その前史(1)

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト

先日、とある新聞社から「米国発祥のバーベキューが日本で広まったきっかけを教えてほしい」と連絡をいただいた。ほかに「自宅の庭で楽しむアメリカ式BBQと、屋外の料理として楽しむ日本の違いが生まれた理由」「焼肉や炉端焼きとの関係」などについても説明してほしい。そんな依頼だ。

できる限りご協力したいが、正直なところ、「米国発祥のバーベキュー」は日本においては少し違う形になっていて、まだ「広まった」というほど世間の理解は進んでいないようにも思えてしまう。

というわけで、「日本におけるバーベキュー」がどう浸透してきたか、その前段階から理解を深めたい。まずは「日本のバーベキュー」が辿ってきた道を改めて追っていくことにする。

戦前の辞書に残っていた「バービキュー」という表記

国内における記録として「バーベキュー」という言葉が確認できるのは、1932(昭和7)年の『現代語大辞典』〈藤村作・千葉勉〉が初出だろうか。

バービキュー(barbeque 英)①肉を焼く鐵弓。②豚・牛・羊などの丸焼。

①の「鐵(鉄)弓」とは「鉄製の格子または串。火の上にかけ渡して魚などをあぶるのに用いる。鉄架。」(大辞林)のこと。「てっきゅう」は「鉄灸」とも書く。その器具自体を「バービキュー」と呼ぶと書かれているあたり、言葉の指し示す範囲が(少なくとも現代よりは)曖昧だったようだ。

そして読み方は「バーベキュー」ではなく「バービキュー」。実は日本にこの言葉が浸透し始めた、1960年代まではどちらの呼称も混在していた。〝be〟は実際の発音からすると「ビ」の方が近いが、ローマ字で読むと「べ」。本来の発音を知る人たちが持ち込んだ「ビ」が日本的な読み方の「べ」に変わっていく。

アルファベットの識字率が高くなるにつれて、「バービキュー」は「バーベキュー」になっていった……という解釈が正しいかはわからないが、少なくとも当初は優勢だった「バービキュー」という呼称は、1960年代以降、「バーベキュー」に置き換えられていった。そしてそれとともに「バーベキュー」は日本独自の形へとカスタマイズされていった。

ともあれ、戦前の辞書に書かれていた「バービキュー」は、直後から戦時下に入り、敵性語の雰囲気をまとってしまったからか、その後新聞などの活字メディアからはしばらく姿を消した。

〝BENIHANAの父〟が言葉の普及に果たした役割

再び「バーベキュー」の文字が人前に現れたのは、第二次大戦が終わり、高度成長期へと差し掛かる、1954(昭和29)年のこと。レストラン紅花の創業者、青木湯之助(後にアメリカの鉄板焼レストランチェーン「BENIHANA」を湯之助と共同で立ち上げることになるロッキー青木の父親)が手掛けた「バーベキュー紅花」だ。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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