<イラク>ヤズディ教徒虐殺から4年 演奏家親子の再出発(写真5枚+動画)
◆「どんな困難があっても人生は続く」
クルド人は踊りや歌が大好きだ。祝いごとがあると、音楽にあわせ踊りが始まる。男も女も小指をつなぎ、一列になって同じステップを踏む。
6年前、イラク北西部シンジャル近郊の村で、クルド系少数宗教ヤズディ教徒の結婚式に招かれたことがあった。広大な土漠に300人を超える住民が集まった。伝統の弦楽器と電子キーボードが奏でるクルドの曲に、歌手の張りのある声がスピーカーから響く。村人たちは笑顔いっぱいに踊っていた。 (玉本英子/アジアプレス)
イラクのクルド音楽の中で重要なのが、弦楽器タンブール。その名うての弾き手として、ヤズディ住民のあいだで知られてきたのが、ハムザ・クルディ・ウーロさん(46歳)だ。去年の3月、家に呼ばれて演奏を聴く機会があった。弦を巧みに操り、喜びに沸いたり、悲しみにすすり泣くような音を響かせる。その表現力に驚いた。
若い頃から売れっ子だったハムザさんは、結婚式やサロンでの演奏にひっぱりだこだった。しかし2014年8月3日、過激派組織「イスラム国」(IS)がシンジャル地域に暮らすヤズディ教徒らを襲撃する事件が起きる。1000人以上の住民が殺害され、女性や子どもの拉致も相次いだ。彼と家族は近くの山へ逃げることができたが、親戚や友人のなかには、途中でISに捕まり殺された者もいた。岩山で孤立し、一週間のあいだ炎天下のなか、水や食料もほとんどなく生死の淵をさまよった。
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その後、ハムザさん一家はクルド自治区に逃れた。避難先のシャリアはヤズディ教徒の町。だが彼は演奏の仕事を得ることができなかった。「皆が悲しみのなかにいるのに、華やかな行事などできない」との空気があったからだった。生活のために、電気工事の仕事を見つけた。
長男ハラフ君(17歳)は、父親のような演奏家になることを目指し、キーボードを練習してきた。しかしISの襲撃後、ぱったりとやめてしまったという。「楽しい音楽を弾くと、殺された友人たちに申し訳ない」。そう小さな声で言った。
日本からお客さんが来ているのだから、少しでも弾いてみないかと、ハムザさんは、部屋の隅に置いてあったキーボードを持ち出した。ハラフ君は、ほこりをかぶったカバーをめくり、少し緊張した面持ちでキーボードのスイッチを入れた。そして鍵盤ひとつひとつを確かめるように弾き始めた。他の部屋にいた母や妹たちが驚いてやってきた。その夜は久しぶりの親子共演、小さなコンサートになった。
それから半年後、私は再びシャリアの町を訪れた。息子のハラフ君は毎日の練習を重ね、父とともに、いくつもの曲を弾けるようになっていた。かつてのように結婚式の演奏に呼ばれる機会も増えてきた。故郷の楽しかった日々を思い出したと人びとから声をかけられるという。
ヤズディ虐殺から4年が過ぎた。ISはヤズディ教徒居住地域から敗退したが、引き裂かれたコミュニティや隣人関係を取り戻すのは容易ではない。クルド自治区に避難した住民のほとんどは帰還のめども立っておらず、数万を超える人たちが、すでに国外に逃れた。
「どんな困難があっても人生は続く。音楽はきっと人を幸せにすると信じている」
ハムザさんの晴れやかな表情が忘れられない。
動画(1分):ヤズディ音楽家演奏(左がハムザ氏・キーボードが息子ハラフ君)2018年イラク クルド自治区で撮影
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年6月26日付記事に加筆修正したものです)