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オリンピック東京招致の問題点―パラリンピックの立場からその課題を考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

オリンピック招致についてにわかに盛り上がっています。オリンピックが招致されれば当然パラリンピックも招致されることになりますが、そのことについて伝えるメディアはとても少ないように感じます。パラリンピックに焦点を当てて東京招致の問題点について考えてみたいと思います。

◆日本でパラリンピックは成功するか?

「個人的には招致には反対の立場をとっています。理由は、オリンピックは成功したとしても、今の日本ではロンドンのようにパラを成功させられるとは思えないからです。」と語ってくれたのは、ロンドンパラリンピック100m背泳で金メダルを獲得した全盲の競泳選手秋山里奈さん。選手だけでなく実際に現場に足を運んだ人なら誰もが、障害者スポーツに対する日本とロンドンのあまりの違いに驚いたのではないかと思います。それほどロンドンパラリンピックは紳士的でナチュラルなものでした。

「少しずつパラに関しても認知度は上がっているものの、まだまだ“純粋なスポーツ”としてパラを楽しみ、応援してくれる国民がどれくらいいるかと考えると、だいぶ少数だと思うのです。どうせ莫大なお金を使って誘致するなら素晴らしいオリンピックとパラリンピックにして欲しい、今の日本にはまだ早いのではないかというのが私の意見です。」実際、日本では障害者スポーツに対する偏見やタブーは多いように思います。詳細な取材記事に関しても掲載まで辿り着くことも難しく、ネット配信に留まるのが現状です。

里奈さんは、ロンドン直後にもこう話してくれていました。「バリアフリー化とか予算とかそういったことも勿論なのですが、まずは国内での認知度をもっともっと高め、沢山の人が会場に足を運んでくれるようになったらいいなと、ロンドンパラに参加してみてつくづく思いました。もし2020年に東京でパラが開催されたとしても、今のままでは17000人の水泳会場が予選から満員になるということは考えられません。アテネより北京、北京よりロンドンと、パラもメディアで沢山取り上げていただく機会がだいぶ多くなっていますが、それでもオリンピックのようにテレビでのライブ中継はまだありませんし、取り上げられる種目もメダルに絡む種目が多いです。日本で応援してくれていた人達から、ライブで見られないし、情報も少ないからとてもやきもきしたと言われ、次回以降に向けて、私達パラリンピアンがマスコミなどいろいろなところにもっともっと働きかけていかなければと感じました。」

◆ロンドンパラリンピックの方法

具体的にロンドンパラリンピックのどこが良かったか、取材者視点から三つをあげると、まず一つ目には、ボランティアスタッフの笑顔と声かけが自然かつしっかりしていて、もてなしの心を感じました。共にゲームを作っていくメンバーという意識が高いんですね。その楽しみつつも真剣な仕事ぶりは、会場に入るまでに観客を盛り上げることに成功していました。

二つ目、試合でのMCの盛り上げが各競技とも秀逸で、簡単な説明を挟みながら、会場と一体化しようとするライブ感がありました。演出や設えも含めて関係者・スタッフの意識の高さを感じました。

三つ目、そして何より一番大きかったのが、観客のスポーツマンシップです。オリンピックと同じように、ほとんどの競技場が連日満員の観客で、またどの国の選手でも良いプレーをすれば会場がうねるほどの拍手や声援が飛び、現地観客の他国選手へのブーイングも聞かれませんでした。里奈さんのお父さんは「今までで一番やりやすかった。北京は酷かった。」と北京とロンドンのあまりの落差に「本当に金メダルがロンドンで良かった。」と話してくれました。

◆招致のスポーツマンシップ

残念なことに、現地で取材中よく耳にしたのが日本人記者の悪評でした。あるボランティアスタッフは「まず日本人は挨拶をしない。道を聞くときに、行き先だけを告げ、説明しても分からないので結局連れて行くことになり、それで時間を大量にロスした。」と話してくれました。実際、カメラポジションの取り方や、選手のプライベートに突っ込むような失礼な質問、また聴覚に頼るため観客も静まりかえっているゴールボール会場で周囲を気にせず携帯で本社とやり取りをする新聞記者など、取材者としてのスポーツマンシップが足りなさが目立っていたように感じました。もちろん素晴らしい取材をされていた方も多いのですが、何人かの目立つ日本人取材者のために全体の評判を落としているようにも感じました。

とはいえ、それも日本人のパラリンピックに対する感覚の表れなのかも知れません。ある記者は「僕はオリンピックに行きたかったけど、若手だからパラに回されたんですよ」と肩を落としながら取材をしていました。その言葉は多くの日本のメディアの感覚を代弁しているようで、ロンドンでは恥ずかしく感じました。

原発問題や経済効果が何兆円だ、なんて話ばかりが耳に付きます。確かにそれらは大事な要素ですが、開き直ってそれをメインに考えてしまえば、そもそものオリンピックの存在意義と合致しません。スポーツマンシップが必要なのは選手やスタッフだけではありません。観客も、関連企業も、関わる全ての人に必要な感覚なのだと思います。それを育てるための覚悟と準備が日本にあるのでしょうか。意識改革をするために、七年は決して長くありません。そういう視点も同時に踏まえてはじめて、国際的にも成熟した社会を目指せるのではないでしょうか。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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