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【札幌市中央区】東橋の変遷と蛇行の歴史から感じる、苗穂付近の豊平川の暴れっぷり。

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

今日は自宅からすぐの、東橋公園の付近に来ました。

東橋付近から少し下流の、主に中央区から東区の境あたりの豊平川について、前回書いた【雁来町の人口がゼロ】に続いて取り上げます。

雁来町が人口ゼロになった理由に、地番変更や自治体合併と並んで、河川改修があったのではないか、と書きました。

雁来町の場所の堤防は1970年頃?に強化されており、その結果かつてはもしかしたら人は住んでいたかもしれない場所もゼロになったと書きました。

今回は、その少しだけ上流の苗穂地区の豊平川についてです。

まずは、身内(石狩川水系豊平川)自慢。

豊平川、水穂大橋付近
豊平川、水穂大橋付近

豊平川は、数ある石狩川(268km、河川改修以前は365km)の支流の中でも、空知川(194.5km 日本で最も長い支流)、雨竜川(155km)、夕張川(136km、昔のルートはプラス30km程度長い)、千歳川(105km)の次、当別川と同じく72.5kmの長さを持つ大河川です。

2020年、石狩川河口
2020年、石狩川河口

個人的には、石狩川はもともと河川改修前は信濃川より数キロ短いだけで(現在は3位)。

そして、かつ流域面積は利根川に次いで2位なのですが、利根川は、かつての利根川と鬼怒川を足した川であるので、本当は石狩川こそが日本1の流域面積を持つと言えるのではないかと思っています。

やはり豊富な雪と森がある北海道の河川は大きいですね。

そして豊平川は、その石狩川ファミリーの中でも、特に札幌の扇状地をダイナミックに作った、大変な急流です。

ですから、札幌が形成されて以来、何度も氾濫し、治水や流路変更をしてきました。

それは雁来町より少し上流の、苗穂付近でも同様です。

2つの側面から、豊平川の暴れぶりを見ていきます。

1.東橋のこと。

まずは、その暴れんぼう豊平川のことを考えると、苗穂付近ではすぐに思いつくのが、東橋です。

かつて長い間、東橋は少し違う場所にありました。

1930-1951の間、それ以前のたびたび流失してしまう東橋にたいして堅牢な橋を作る前提で、現在の場所(オリジナルの場所)より少し上流に仮橋をかけました。

それは札幌市役所の記録に寄りますと、36mの木造トラス橋をメインとして、そこに5つの15メートルの桁橋の組み合わせだったようです。仮橋としてはよくできていましたが、1949の洪水で大破したようです。

その後、現在の東橋の場所に戻り、知ってる方も多いでしょうが2013年に現在の形になるまで長い間工事をしていました。

古い写真と付き合わせていると、おそらくその古い仮橋がかかっていたのは、この樋門(黄色い施設)のあたりかな、と思います。

確かにこの辺りの豊平川を見ていると、明らかにひとつ上の橋の瑞穂大橋より一段土地が低く、昔はさぞかし激流だったろうなと思います。

これは2022/8/16の増水時の写真です。いとも簡単に、豊平川は河岸のサイクリングロードあたりまでは簡単に冠水しかねないのです。ましたや今ほどの土木技術がない時代、東橋を何度も壊したり移動させたりするなどするなど、豊平川はやはり激しく動いたのだと思います。

2.昔の河川跡。

ところで、樋門があるということは、ここに小さな流れ、あるいはその痕跡があるということなのですが、一体どんな川でしょうか?

私はおそらく、単に暗渠になった支流などではなく、かつての豊平川の流れの跡があるのではないかなと感じて調べてみました。

というのも、この写真の北2条通の東13のように、この辺りを観察していると、崖線と思われるものが北1東12から北2東13にかけて伸びており、そして更に東まで伸びていることを感じられるからです。

かなり時間をかけて調べた結果、いくつかの古地図によると、1928頃に豊平川はこの辺りで幅が大きくなり、流れが分岐して、今の国道275号線の場所(かつてはJRの北側を通っていた)とJR(当時は官営鉄道、のちの国鉄)の間にも流れがあったようです。

これが昔からそうだったのか、当時の大洪水によって流路が変わったのかわかりませんが、私はおそらく後者ではないかと思います。

私は、1929年春の水害がその契機なのかな?と推測しています。この洪水こそが昔の東橋(ほとんど現代と同じ場所に1890年作られたが何度も壊されている)を押し流し、川を大きく苗穂駅の方角(北)に蛇行させ鉄道に迫り、また鉄道橋の少し西側で現在の流れに近いところに戻り、また鉄道橋と上白石橋を潜ったところ(その少し後に札幌市に編入され雁来町になったところ)でまた蛇行させた(あるいはここは元々蛇行していた?)と推測します。

結果、現在の東橋のところが川が太くなってしまい、それが1930年には仮橋を上流(黄色い樋門のところ)にかけ直す理由になったのでないか、と思っています。

ただ、実はツアー中に偶然見つけたサッポロビール博物館の説明パネル(上の写真)では、1927年には、豊平川がすでに苗穂駅側に蛇行し、東橋は上流の仮橋になっているので、このあたりの年代については精査しなくてはならないでしょうね。いずれにしても昭和の初めです。

リンクフリーであっても古地図をアップするのはためらわれますが、写真撮影OKの博物館のディスプレイに映ったものを上げるのは差し支えないでしょう。証拠写真?です。

現在の雁来大橋(国道275号)より下流の豊平川が河川改修により現在の流れになったのは1941年ですし、東雁来あたりの堤防が今のようにきちんと整備されたが1970年頃?、治水に大事な豊平峡ダムができたのが1972年。それらがなかった昔の豊平川のパワーは、恐ろしいものだったのではないでしょうか?

そんな豊平川の、東橋を流すほどの強力なパワーが、この辺りの川の流れを押し広げていたのでしょうね。

その後1930年代には、この苗穂駅付近を蛇行する豊平川は現在の流れに近い形に戻され?ましたが、1945-50くらいまでは大きな川の跡の池が残され、しばらくの間は、昔の苗穂駅から現在の東橋に至る道はなく、その土地はさまざまに利用されながら、埋め立てられていったのだと思います。

国道275線のかつてのルートを知っていますか?

1970年に設定されたこの国道は、それ以前は道道11号でした。

かつて少し取り上げたことがあるのですが、北3条通として旧苗穂駅前を通過し踏切を渡って(今はクローズしている)線路の北側を進み、現在のよつ葉乳業のところで今のルートに入っていましたので、まだまだこの頃も昔の苗穂駅前から現在の東橋のあたりは、今のような状態ではなかったのかもしれません。

まだまだ奥が深そうですので、今日は、かつて豊平川は東橋の付近でも流れを変えており、旧苗穂駅前の土地には、色々な歴史が詰まっているのだ、ということをお話しして、一旦終わりとします!

★東橋★
住所: 札幌市中央区大通東13.14←→白石区菊水9条1,菊水上町1条1
★東橋の昔の仮橋★
住所: 札幌市中央区大通東12←→白石区菊水7条1,8条1
★旧苗穂駅★
住所: 札幌市中央区北3東13

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地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや日本遺産炭鉄港、日本遺産候補小樽、サッポロコンシェルジュのガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。最近、少し鉄気味。交通ネタや都市インフラに興味が行きつつあります。サイダー(シードル)大好き。ホルン(フランス式ピストン)とテナーホーン吹き。

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