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【札幌市東区】人口ゼロの町、東区雁来町に来てみた!

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

札幌市内に、人口ゼロの町があるのを知ってますか?

それは東区雁来町。

ここから、

ここまで。

すみません、真ん中にある北13条橋の撮影が抜けました。

確かに、これは絶対に人口ゼロだとわかります。

だってこの雁来町のエリアは、

★豊平川の堤防内側の河川敷。

★上白石橋から、豊平川第2水管橋まで。

★左岸(西側)のみ。

だけなのです。

なぜ?

もともと、札幌村という自治体があったことに大きく影響しています。

札幌の各区は、おおよそ中央区の中央部と北区の南部以外は、元々別な自治体としての歴史を持っていました。例えば、手稲区は西区の一部とともに1967年までは手稲町だった、などです。

そして東区の多くの部分と中央区の一部は札幌村でした。

20世紀の頭ころから、札幌村の中でも札幌区(やがて札幌市)に近いところは、そちらに徐々に移動します。何を隠そう、我が苗穂もそうです!

ざっくり言って東4丁目より東は、札幌村大字苗穂の一部でした(だから碁盤の目ではなかったのだと納得)。

1934年にはさらに現在の雁来町のエリアである札幌村大字雁来の一部も、隣接する大字苗穂の一部分(現在の東区苗穂町に相当するエリア)と共に札幌市に移動しました。そして札幌市字雁来町となりましたが、この時は今よりも少し広いエリアでした。

1955年に札幌村が全て札幌市に編入された時、その時札幌市に初めてやってきた雁来は東雁来となったのですが、その21年前にすでに札幌市に編入されていた札幌市字雁来町の名前はそのまま雁来町として変わらなかったのです。

そして、1985年あたりまでにこの地域の地番が細かく設定された際、雁来町の一部は他の名前に変更、整理統合されるなどして、現在の人がいない河川敷のみの雁来町ができました。

人口ゼロ、になったもう一つの理由?

数年前に撮影した、上白石橋。堤防や護岸がおそらく何度も変更されたり修復されたのであろう跡が見えます。

おそらく1960年代のマップを見ていると、このあたりの豊平川はまだ堤防もはっきりしていなかったり今よりはるかに低かったり、また1970年代に豊平峡ダムができる前の豊平川ですから川の力も強いので蛇行も激しかったと思います。

おそらく現在の狭くなった雁来町に相当する部分も人口ゼロではなかったのかなと思います。しかし1970年代?現在のような堤防が整理され、河川も流路の範囲が決められた時に、それまでもしかしたら誰か住んでいたかもしれない場所も河川改修で整備され、多分人口ゼロに近くなったのかな?と考えています。

今の強力な堤防の中でも、豊平川はその範囲で力一杯蛇行し、深いところと砂州をどんどん作っているのがわかります。この川が堤防とダムなし流れている時って、そうとう怖かったでしょうね。

いずれにしても雁来町が人口ゼロになった背景には、度重なる地番変更や整理と、豊平川の整備が共に関係しているようです。

自治体の合併と地番の整理、そして河川改修が生み出した奇跡の町、それが雁来町!

さて、バスで帰ります。

というわけで、雁来町を観察して、【苗穂町12丁目】バス停から中央バス【東6札苗線】に乗って帰ります。雁来町内にはバス停がありませんので笑、隣町のバス停利用です。バス停の向こうには歩道がない!

この大きな堤防の向こうが雁来町!そして今ではこのバス停と川の流れは堤防を挟んで50mくらい離れていますが、1960年代は、ここの部分では、ほぼ道の真横まで川が迫っていて堤防もほぼなかったようです。

ところで。

私は4つ目のバス停、いつもの【苗穂駅】でおりました。ちょうどJRバスの2系統も同じく着きました。かなりの人数がここで降りて、苗穂駅に向かいました。

なるほど、東苗穂や東雁来、そして北郷や菊水上町の方々がこうしたバスを鉄道の支線のように使っているのですね。そして苗穂駅がこれらの方々にとって大切な駅なのだと理解しました。今度はそこも調べてみたいです。

★雁来町★
場所: 札幌市東区 上白石橋から第2豊平水管橋の間の左岸河川敷
★苗穂町12丁目(バス停)★
場所: 札幌市東区苗穂町12-1

地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや日本遺産炭鉄港、日本遺産候補小樽、サッポロコンシェルジュのガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。最近、少し鉄気味。交通ネタや都市インフラに興味が行きつつあります。サイダー(シードル)大好き。ホルン(フランス式ピストン)とテナーホーン吹き。

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