【札幌市東区&白石区】謎多き上白石橋。鉄道橋との隙間に伸びてくる苗穂町!
上白石橋について調べていたら、この橋と鉄道橋との間の狭い隙間に、気を引かれてしまいました。
この写真は白石区サイド、つまり右岸からの写真ですが、今回のテーマは、この写真の奥に見える東区側についてです。ちなみに鉄道橋より左側は中央区です。
この【隙間】は、何区の何町なんだろう?
ここの左岸の堤防から豊平川までの河原は、どうやら東区苗穂町なのです。
道路橋と鉄道橋、堤防と川の間の不思議隙間。
どうして苗穂町が河原にはみ出てるの?と思って調べてみました。
たまたま戦後すぐの航空写真を見ると、なんと当時は国鉄函館本線、千歳線(旧路線)の他に定山渓鉄道も走っていて、鉄道橋が3本あったらしいのです。
そしてすごい偶然ですが、国土地理院の写真(明記の上リンクフリー)は、モノクロの部分は戦後すぐの撮影。カラーの方はその当時は撮影していなかったので、現わ代のものを当てはめて代用しているのです。
なんと、たまたまなのですが、80年程度の時間の差をこのラインでのみ確認できるのです。
昔の鉄道橋の幅は、今より太かったのがわかりますね。
さらに確認するために見てみましょう。
1960年代の写真では、上白石橋は1961年に掛け替えられたものが写っているのでしょうがその位置は基本変わらず、おそらく戦後すぐの写真と同様に、鉄道橋3本と上白石橋が、ピッタリくっついて並行に並んでいます。
ここに回答が隠れている気がします。
つまり上白石橋と鉄道橋の隙間には、かつて更に鉄道橋があったのです!
1971年には今度は上白石橋が現在のものになって少し白石区川の方が鉄道との幅が広くなっていたとしても、東区側(左岸)の方はほとんど以前と場所が変わっていないようです。
そしてかつて線路があった時代の街区の書き割りが特に左岸側つまり東区側に残っていて、そのまま苗穂町に残ったのではないでしょうか?
そういえば、確かにこの辺りの堤防には理由のわからない段差があるのです。もしかしたら過去の鉄橋の痕跡なのかな?今度調査します。
東区苗穂町(東苗穂ではない)には、自衛隊、雪印、福山醸造、太平洋セメントなど、かつて苗穂駅からの引き込み線があったり、また引き込み線を利用していたりしていた施設など、特に苗穂駅と関連の強いエリアでした。
この鉄道と橋と堤防と川に囲まれた隙間(人口ゼロです)にはかつて線路があったので、線路(鉄道橋)と上白石橋が整理されて隙間となっても、依然そこが苗穂町であるのは、不思議ではない気がしてきました。
つまり、この隙間の本質は、廃線跡なのではないかと。
ちなみに。
大きな通りをつなぐわけでもない上白石橋がそもそも吊り橋として誕生した理由は、1930年、この橋を渡った白石区側に、なんとかの北炭が主導して住宅を分譲して、そこに繋げたかったためにできたからなのです。そのあとこちらの素晴らしい資料によると、北炭は、定山渓鉄道の駅の設置まで要請していたのです。
この駅ができていたら、おそらく定山渓鉄道は、札幌→苗穂→上白石(仮)→東札幌→豊平、となっていたのでしょうか?
1950年、1961年にも作り替えられた上白石橋は、最終的に1971年に今の橋になりました。その中で当初の北炭の意図はほとんど見えなくなりました。
しかし、野幌まで伸びていた北炭の住宅地をその路線の先にある上白石に作りつつ、もしかしたら定山渓鉄道方面との繋がりをも意識していたとすると、路線は違いますが、後年東急が想定していた夕鉄を伸ばして定山渓鉄道とつなげる計画と、なにか共通性を感じてしまうのです。
脱線してまとまりなく終わります。
補足
この隙間が雁来町のようにも見える地図も存在しますので、いつか市役所で確認しようかな。
★今回の隙間エリア★
住所: 札幌市東区苗穂町11