【札幌市中央区、東区&白石区】「廃線跡を行く」その2 旧苗穂駅〜東札幌駅手前
前に取り上げた旧千歳線の廃線跡探索(東札幌駅〜大谷地駅)に続いて、自転車で札幌市内に残る廃線跡をトレースしてみようという企画の第2段です。
廃線跡をたどる魅力。
鉄道の廃線跡は、いわゆる産業遺産の一種ともいえます。
日本遺産「炭鉄港」や、日本遺産候補地域「北海道の心臓と呼ばれたまち小樽」そして北海道遺産「札幌苗穂地区の工場・記念館群」でもおわかりの通り、産業遺産は過去に建設された鉄道や鉱山、工場などのインフラやそれに関係した日常生活の記憶を保護保存したもので、未来志向の生活、インフラと社会の関係性を学ぶことを大きな存在の目的にしていると思います。
今回は旧苗穂駅(1910-2018)を出てから、かつての千歳線と定鉄の駅であった東札幌駅(1926-1986)に向かいます。
東札幌駅のかつての構内は広大なので、今回はその敷地に入るところまでを取り上げます。
旧千歳線と定山渓鉄道(定鉄線)
どちらの路線も、旅客だけではなく貨物運搬にも大活躍していました。
旧千歳線の建設は、苫小牧港や室蘭港を経て直接(かつては太平洋側の航海はリスクが大きかったので、北前船はほとんど日本海回りだった)東京や本州各地にアプローチしようという大きな意味がありますし、定鉄線はレアメタルや札幌の景観を形作る軟石などの運搬に大きく関わっていたのです。そうした価値からきっとまた私たちが学ぶこともあると思います。
旧千歳線は1926年に、苫小牧と苗穂(札幌)をつなぐショートカットの私鉄線として開業しました。鉄道は主に石炭や木材などの重い貨物を運ぶために存在していましたので、岩見沢が最重要ポイントでした。一方千歳線は貨物の他、旅客を運ぶための重要な路線としても重宝されました。しかし1943年に国鉄に吸収された後、高速化に対応できない線形であったので、1973年に現在のルートに変更となりました。(苗穂〜東札幌はそのあともしばらく貨物線として残りました)。これには厚別川や豊平川周辺の地盤の弱いことが大きく関係しているでしょう。現在の国道12号線や函館本線もルート選定で苦労しました。V字に紆曲しているのもそのためです。千歳線もおそらく地盤が良い場所に線路を通した結果、少し曲がった路線になったのかなと思います。
定鉄線は1918年開業、1969年閉業。白石や苗穂から東札幌を経て、豊平のメイン駅から現在の地下鉄南北線のルートに入り、温泉への行楽客や、豊羽鉱山からの鉱石や札幌軟石、木材を運ぶ路線として大活躍でした。現在の南平岸駅(昔の霊園前駅)の少し北から豊平駅の間の廃線跡は南北線には組み込まれず、現在も道路などで使用されています。また南北線真駒内駅から定山渓の間は、その大部分がサイクリングロードとして活用されています。
さあ、それではペダルを漕ぎ始めます。
旧苗穂駅。
2018年に現在の場所に移転した苗穂駅。しかし私には、現在の駅より300m東にあった1910年開業(1935年建て替え)の旧苗穂駅の記憶がたくさんあります。
残念ながら現在その駅の跡はほぼありません。駅前のD51動輪がかつての記憶を留めるのみ。古い駅舎にはかつての定鉄の線路とホーム跡が残っていましたが、今もまだあるのか判別できませんでした。
国道275号の旧道。
現在の国道275号線は、かつての道道11号線(1970年以前)です。当初は苗穂駅前を通過して、やがてすぐ東側の踏切で線路の北側に出ていました。
私の一番古いここを通過した記憶は1975年。1970年に国道になったばかりで、結構当時注目の道路だった気がします。「昔駅弁、今日の丸弁当」というラジオCMを聞いて、この沿線沿いに何件かあった弁当屋というかドライブインのようなところに寄った記憶もあります。母の実家があった遠別町に行く時に使ったのです。
しかしこのあたりは記憶違いもあるかもしれません。資料では確認しておりませんので、間違っていたらごめんなさい!
人口ゼロの雁来町。
河原一体が、誰も人が住んでいないという東区雁来町です。東雁来ではありません。
雁来はかつて札幌市と札幌村に分けられ(1934年)、その後1955年に札幌村が札幌市に編入された時、元々の札幌村エリアだった雁来が東雁来となりました。一方、元からの札幌市エリアの雁来はあちこちが市街化地域で名前が変わり、いずれにも属していない河原だけが、雁来町として取り残されたのです。忘れたんですかね。
ちょっと不思議なトラス橋。
今日は苗穂と東札幌の間からスタートする廃線の入り口に向かっているわけですが、あまりにも途中に興味があるものが多く、寄り道をしまくりです。
1971年に現在のトラス橋となった、上白石橋。
遠くから眺めると、トラス橋を鉄道が渡っているのかのようにも見えますが、近くに行ってみると自動車道であるトラス橋(上白石橋)と鉄道橋が並走しているのですね。その中間に入ってみるとなんとも心地良い時間が流れます。
北炭の残したもの?
上白石橋を渡った街角は、戦前に北炭が関与して住宅整備がされた地域だということです。当時は逆川という川などが地域を走っていたようです。
このエアポートを撮影したあたりが、駅を誘致しようとしたが実現しなかった場所と思われます。
お待たせしました、ここから本題(廃線跡)。
菊水アンダーパスをくぐり鉄路の南側へ。すぐの道に沿って盛り上がったところに、かつて苗穂から東札幌に向かっていた千歳線&定鉄線の名残を見ることができます。
三角形のフェンスに囲まれたここが、まさに現在の函館本線と千歳線&定鉄サイドを分けたところではないでしょうか?
気をつけないと見過ごして足元を取られてしまいそうな崖があります。そこに小さな川が流れていますが、これがどうやら逆川の名残ではないかなと思います。
菊水アンダーパスより東札幌サイドの区間でも千歳線&定鉄の遺構を確認できそうですが、私有地が多く、なかなか観察することはできません(ストップ不法侵入!)
しかしそこから南西に300mほど移動したところにある国道12号線にかかる陸橋(跨線橋)の下に潜り込むと、昔の鉄道が走っていたスペースはまだ原形を保っていることが確認できました。一旦12号線まで上がって反対側に回り込んでみましょう。
線路こそすでにないものの、1986年まで鉄道が走っていたと言う雰囲気は、まだ残っていますね。
そして、この千歳線の廃線跡は、サイクリングロードに。
その旧千歳線の跨線橋のすぐ南西の原っぱの中から、自転車・歩行者専用道路「白石こころーど」が始まります。
「白石こころーど」の始点から、その道に吸収されなかった方面を撮影。なんだか現在から過去を見ている気がしませんか?
中央区、東区、白石区の境界一体に、かつての札幌の鉄道や市民生活の歴史を感じる一角が、あまりそれと認識されることもなく様々な痕跡を残している事に気づいて頂けたら嬉しいです。
またしばらくしてから、この先、豊平駅跡まで行った時の記録をアップします。
■苗穂駅■
住所:札幌市中央区北3条東11丁目
JR北海道の駅情報は、こちら。
■上白石橋■
住所:札幌市東区苗穂町11丁目
札幌市の情報は、こちら。
■東札幌駅(跡)■
かつての住所:札幌市白石区菊水7条4丁目
「東札幌駅の記憶」碑:白石区東札幌3条1丁目
札幌市発行媒体のコラムは、こちら。
■白石こころーど■
(道道札幌恵庭自転車道線)
札幌市の情報は、こちら。
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★苗穂駅前のD51動輪
★廃線跡を行く その1(東札幌〜大谷地)
おことわり。文中に出てくる駅名の多くは、すでに存在しない廃駅である場合も多いのですが、「僕の中ではまだ生きている」と言うような厨二病的な理由からか、あえて旧などの表記をつけていないこともあります。苗穂のように旧駅を区別するためにつけている場合もありますが、東札幌、月寒(栄通4丁目)、大谷地(栄通19丁目)、豊平(豊平4条8丁目)などは現在の地下鉄駅やJR駅とは場所が違いますので、ご了承願います。