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シッチェス映画祭、個人的にナンバー1。映画『リンボ』で「汚れ役」の真の意味を知る

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
女優のCya Liu。演技だと思っても目を背けたくなる

「汚れ役」という形容は、この作品の主演女優Cya Liuの役にこそふさわしい。

演じる場所がすでに汚い。

雨水だけでなく体液、血液も混じりウジやゴキブリ、ドブネズミもはいずる汚水、ゴミや屑にまみれて彼女はのたうつ。映像から臭うはずのない強烈な腐敗臭が伝わってくる。

■“汚れ”で目を背けさせる女優の素晴らしさ

ゴミや汚水は上へは溜まらない。

溜まるのは下方、社会の底だ。『パラサイト 半地下の家族』でも見られた、貧富の差が高低の差に反映される構図である。

映っているものは汚いが、陰影や構図は美しくさえある
映っているものは汚いが、陰影や構図は美しくさえある

そんな汚れた舞台で、彼女はすべての暴力を受け続ける。

車にはね飛ばされ、殴られ、蹴られ、足蹴にされ、叩きつけられ、衣服を引き裂かれといった身体的暴力。蔑まれ罵倒され、尊厳を失わせる言葉の暴力。そして、すべての暴力の必然的な行き先としての性的な暴力……。

叫び、悲鳴を上げ、懇願し、涙さえ枯れる。

見ているこちらまで汚された気になる。痛みが伝わってきて目を背けたくなる。

というのも、とても演技に見えないのだ。

どうみても彼女が実際に、殴られたり蹴られたり突き倒されたり踏まれたり、車にはね飛ばされたりしているように見える。

“やっているフリ”では伝えようのない、打撃音や衝撃や振動が伝わってくる。これほどリアルにフィジカルな暴力、殴る蹴るが映像化されている作品は初めてだ。

■この作品後、「汚れ役」は安易に使えない

リアルさは素晴らしい演技、演出、立ち回り、撮影技術の成果だと思うが、彼女には傷の絶えない、精神的なケアも必要な撮影だったのではないか。「汚れ役」以上の“痛み役”でもあった、と想像する。

カラーでなくて、白黒で良かった、と誰もが安堵する強烈な映像が容赦なく襲う
カラーでなくて、白黒で良かった、と誰もが安堵する強烈な映像が容赦なく襲う

アイドルをやってきた、まだ女優でさえない女性がキャリアの転換期に映画に出て、肌を露出したり、汚い言葉を使ったり、悪役になったりしただけで、「汚れ役に挑戦」とか「体当たり演技」とかもてはやされる傾向があるが、この作品のCya Liuを見れば、同列に形容することが恥ずかしくなるはずだ。

■映画で作り物だから、安心して見て!

この作品は昨年のシッチェス映画祭で「最大のサプライズ」と言われた。私にとっても37本見た中でベスト1だった。

上映を待つ列や席でジャーナリスト同士、「何が良かった?」という会話になることがあるのだが、『リンボ』には多くの賛同者がいた。

昨年の東京国際映画祭でも上映された。一般公開が待たれる

容赦のない暴力描写には見ていられない人もいるだろう。

だが、これはドキュメンタリーではなく、映画でありフィクションであり作り物であり、あれは迫真の演技・演出なのである。撮影は過酷だっただろうが、彼女が実際に苦しんだわけではないのだ。

こう、当たり前のことを再確認しないといけないほど、俳優たちと製作陣が素晴らしかったということだ。

ちなみに、個人的ベスト1の『リンボ』に続くベスト2は『サイレント・ナイト』、ベスト3は『ザ・トリップ』だった。

2つの作品についてはここに書いた。

――先の見えない今の暗さにぴったり!映画『サイレント・ナイト』

――納得の展開、スッキリの結末。暴力的で血まみれの愛の賛歌、映画『ザ・トリップ』

主役のベテラン警官は文字通り“鼻が利く”。こちらにも匂ってくる設定が面白い
主役のベテラン警官は文字通り“鼻が利く”。こちらにも匂ってくる設定が面白い

※写真はシッチェス映画祭提供。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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