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ホッキョクグマは増えているのか―気候変動懐疑論再考

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(写真:イメージマート)

最近僕は気候変動の懐疑論・否定論をスルーしがちであると以前の記事に書きましたが、そうもいかない場面が昨年七月に発生しました。ネット上の番組で、その記事で言及した「T氏」と討論することになったのです。この問題が五分五分の論争状態にあるかのようにみえるのは避けたかったのですが、土俵が用意されてしまったら逃げるわけにもいきません。番組は昨年八月に公開され、一部はYouTubeで無料公開されています。今回、この討論そのものについて書くつもりはありませんが、この機会に久しぶりに最近の懐疑論について調べたので、その過程でわかったこと、考えたことを書きます。

恣意的なデータの解釈

T氏の発信などを手掛かりに見ていくと、最近も様々な懐疑論が元気に出回っていることがわかりました。特に、「気候危機はない」、つまり気候変動の影響はたいしたことがない、という趣旨の主張が多く出てきています。このような主張をする人を英語ではlukewarmerとよびます(lukewarmは「生温かい」の意)。その主張の特徴は、「人々が素朴に危機だと思っていることが、データを見るとそうなっていない」という形で、データ(エビデンス)を持ち出すことです。しかし、話題になっている懐疑論の多くに対しては、検索すればファクトチェックが見つかり、データの見方などについての問題点が指摘されています。

いくつか例を挙げます。「米国の森林火災面積は最近増えているといわれているが、二〇世紀初頭の方がずっと多かった」という主張があります。これはデータを見ると確かにそうなっていますが、二〇世紀初頭のデータの記録方法に問題があったことがわかっています。また、「グレートバリアリーフのサンゴ礁は増えている」という主張がありますが、これは長期的なストレスがたまたま弱まった二〇二一年に一時的な回復が起きただけだということです。

これらは「小ネタ」ですが、もっと多くの人の関心を引く、以前からある主張の一つが「ホッキョクグマは増えている」でしょう。ホッキョクグマの個体数について、主流の専門家(国際自然保護連合IUCNのホッキョクグマ専門家グループ)の見解を先に見ておくと、個体数が増えていたり安定している個体群もあるが、減っている個体群もあり、不明な個体群も多いので、全体としては個体数の増減は不明としています。温暖化による海氷の減少によりホッキョクグマの生息域が脅かされていること自体は間違いなく、個体数の増加の理由の一つは狩猟が禁止されたことと考えられます。

一方で、「ホッキョクグマは増えているに違いない」という趣旨の報告書が、英国のGlobal Warming Policy Foundation(GWPF)という機関から出ています。AFP通信のファクトチェックなどによれば、著者のスーザン・クロックフォードは、ホッキョクグマについての学術論文を書いたことはなく、主流の研究者をブログで批判している人物だそうです。GWPFは、英国サッチャー政権の財務大臣を務めたナイジェル・ローソンが二〇〇九年に設立したシンクタンクです。出資者の情報を公開することを頑なに拒否し、化石燃料業界との関係を否定していましたが、英紙ガーディアンの調査で、化石燃料業界からの出資を受けていることが明らかになっています。同様に化石燃料業界の出資を受けている米国のシンクタンクHeartland Instituteも「ホッキョクグマは増えている」という主張をSNS等で広めています。日本でこのような主張を広めているのは「T氏」です。

懐疑論はどう生み出されるのか

僕は、lukewarmerの主張を多数観察して、そのような主張をつくるコツがわかった気がしました。まず、IPCC報告書や、関連する論文、政府文書などから、「気候変動に対する人々の素朴な期待と反しそうなデータ」を見つけます。この際、本文をよく読めば、そのデータが意外な結果を示している理由や注釈が書いてあるかもしれませんが、それは無視してください。「人々の期待に沿うようなデータ」も当然たくさんありますが、それらも無視して、「期待に反しそうな部分」だけを抜き出します。この手法は「チェリーピッキング」とよばれます。

次に、このデータを基に、「世間では〇〇だと言われているが、データを見るとそうなっていない!」と主張しましょう。この際、本当に「世間で〇〇だと言われている」か、具体的に誰がそう言っているか、などを気にしてはいけません。実際には誰もそう言っていなくてもいいのです。主張を聞いた人が、「確かに世間ではそう言われている気がする」と思えばよいのですから。たとえば、「台風は増えていると言われているが、データを見るとそうなっていない!」という主張がありますが、「台風は増えている」という報道や解説は検索してもほとんど見当たりません。このように、実際には言われていないことに反論する手法は「藁人形論法」とよばれます。

さて、そのように主張すると、主流の専門家から「専門分野の理論に基づくと、その解釈はおかしい」とか「過去のデータでは確かにそうだが、将来は期待通りになると予測される」といった反論が出てきますが、ここで怯んではいけません。「理論や将来予測なんて間違っているかもしれないじゃないか。データがすべてだ!」と言い張りましょう。実は、あなたの主張も、あなたがデータを勝手に解釈したものですが、その解釈が聴衆の素朴な直観に近ければ、聴衆は専門家の難解な説明よりもあなたの素朴な解釈を「データが語ること」と勘違いして支持してくれるかもしれないですから。

以上が、僕が見出した、懐疑論のつくり方のコツです。こんなふうにすれば、懐疑的な主張はいくらでも量産することができそうです。

「オバマの科学者」の懐疑論

ところで、気候変動の科学をめぐって、最近話題になったスティーブン・クーニン氏の”Unsettled: What climate science tells us, what it doesn't, and why it matters”(邦訳:「気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?」)という本があります。クーニン氏は米国オバマ政権のエネルギー省において科学担当の次官を務めた高名な科学者です。その人物が、気候変動の科学の問題点と、それがいかに社会に隠されてきたかを赤裸々に告発したというのがこの本です。僕は、英語圏の書評をいくつか読み、クーニン氏の講演をYouTubeで観ました。書評は予想されるとおり、保守派からは喝采、リベラル派からはブーイングの嵐でした。本も買いましたが、書評を読んだら読む気がしなくなり、最後まで読めていません。

そういうわけで、僕のこの本の評価は暫定的なものであり、リベラル派の書評の影響を受けていますが、そのことをお断りしたうえで、僕が理解したことを共有します。まず、僕がYouTubeで見たクーニン氏の講演の主催は、前述したGWPFです。その時点で、クーニン氏のポジションがよくわかります。そして、講演で主張されている内容の大部分は、前述した「懐疑論の作り方のコツ」に沿ったものであるように見えました。

しかしポイントは、そのように気候変動懐疑論に同調的なクーニン氏が、なぜリベラルな民主党のオバマ政権の科学者だったのかということです。これについては、次のような説明があります。

クーニン氏を次官に指名したのは、ノーベル賞物理学者でもあるエネルギー長官のスティーブン・チュー氏です。クーニン氏の前職は英国の石油メジャーBPの科学者でしたが、チュー氏はBPから研究予算を得ておりクーニン氏をよく知っていました。チュー氏は長官に就任するにあたり、エネルギー省が同じような考えの人材に偏るのはよくないと考え、あえて、他人と違う意見を言うクーニン氏を指名したと述懐しています。つまり、クーニン氏はオバマ政権の価値観を体現した人物なのではなく、もともと「逆張り役」として採用されたということです。ちなみに、クーニン氏の上司であったチュー氏は、もちろん主流の気候科学を支持しており、クーニン氏が本で書いている内容を肯定していません。

懐疑論者の戦術

さて、このように懐疑論について調べていると、二〇〇三年に米国でリークされた、一つのメモに行き当たりました。メモは、当時のブッシュ政権に対して、共和党のコンサルタントであるフランク・ルンツが助言した内容です。そこには、保守派が環境問題について論じる際の戦略が書かれています。それは、「科学的な確実性の欠如を、議論の主要な争点にし続ける必要がある」ことです。そのことが、保守派が環境対策を先送りにし、それに対して国民の理解を得るために注力すべきコミュニケーション戦略として、明示されているのです。クーニン氏の本の”Unsettled”というタイトルは、見事にこの助言に符合します。

ほかにも、「自主的なイノベーションが規制より望ましいこと」、「中国などすべての国が参加しなければ米国は参加すべきでないこと」を強調せよと助言されており、これらが彼らの基本戦略であることがわかります。GWPF、クーニン氏、T氏などの主張は、きわめて忠実にこれらの戦略に整合しているようにみえます。

以上見てきたように、気候変動問題をめぐる「科学論争にみえるもの」のかなりの部分は、規制を先送りにすることを目的とした一部の産業界や、それに同調する人たちが仕掛けている「イメージ戦争」である、と僕は確信しています。このような僕の主張自体が陰謀論的に聞こえるリスクがあるため、言うのがはばかられる気持ちもありますが、あえてはっきりと言っておきます。このことが「論争」の根底にあることを、人々は知る必要があります。

(初出:岩波『世界』2022年12月号「気候再生のために」)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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