<シリア>中国・新疆出身のウイグル人IS戦闘員「私の心は死んでしまった」(写真7枚)
◆中国の弾圧逃れトルコへ、その後シリア入り
過激派組織「イスラム国」(IS)には多くの国から外国人戦闘員が加わった。欧米人だけでなく、アジア系も少なくない。シリア北東部にある拘置所には、シリア民主軍(SDF)が拘束した元戦闘員ら900人が収容されている。(玉本英子/アジアプレス)
昨年10月、拘置所を訪ねた。自動小銃を携えた看守が面会室に連れてきたのは中国・ウルムチ出身のウイグル人(35)だった。
彼は私を見るなり、顔をこわばらせた。中国当局の捜査官と思ったらしい。パスポートや記者証を見せて日本の記者であることを説明すると、取材には応じるが顔だけは撮らないで、と英語で話した。IS内部での呼び名、アブ・バクルとだけ名乗った。
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彼の故郷、中国西端の新疆ウイグル自治区は人口約2200万人。その半数近くがウイグル人で大半はイスラム教徒。独立運動や反政府的な動きを警戒する中国政府は宗教抑圧や迫害を続けてきた。
「弟の家は理由もなく何度も家宅捜索された。このままでは自分も逮捕されると感じた」
2014年8月、彼は妻と幼い子どもたちを連れて、ベトナム経由でトルコに入った。だが生活は苦しかった。皿洗いや掃除の仕事で一日2000円程度を稼ぐのがやっとだった。
そんなとき同郷の知り合いが連絡してきた。
「月給1000ドル(約10万円)の仕事がある。家や食費はタダ」。
場所はシリアのIS支配地域。シリア国境そばの町で外国人30人と合流し、案内人の手引きでフェンスを越えた。軍事キャンプで数か月の戦闘訓練を受け、シリア・イラク国境の町カイムに家を与えられた。しかし家族手当も含めてもらえたのは月に2万円ほど。妻はなぜこんなところに連れてきたのかと嘆いた。
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不満を漏らすと密告されるかもしれず、同胞のウイグル人にも何も話せない。さらに地元シリア人の住民も戦闘員の彼と距離を置き、ずっと孤独だったという。
空爆が激しくなるなか、トルコへの脱出をアレンジする地下業者を探す。それをIS治安機関が察知、2か月間、拘置された。「中国かトルコのスパイだろ」と、殴る蹴るの拷問を受けた。
釈放後、有志連合の空爆で手を負傷、バイク修理でなんとか生活をつないだ。住んでいた街に戦火が迫り2015年末、家族とともにSDFに投降。妻と子供は別のキャンプに収容されている。
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インタビューを終えると、私の取材ノートを見せてほしいと言ってきた。字を見て「あぁ、日本語だ」とホッとした表情で言った。そして再度「顔だけは出さないで。もし公表されたら、故郷の母親や家族が殺される」と求めた。
ISの元戦闘員として中国に送還されたら、彼も家族も厳しい処罰を受ける。ゆえにすべてを正直に語ったとは思わない。ISに加わった外国人の背景は様々で、思想に共鳴した戦闘員もいれば、家族を養うためにシリア入りした者もいる。悲しいのは、中国の弾圧を逃れてきたウイグル人が、今度はシリアで地元住民や異教徒を抑圧する側になり、ときにISからもスパイと疑われたことだ。
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「中国でもシリアでも、ずっと怯えてきた。私の心はもう死んでしまった」
アブ・バクルは、力なく言葉を吐いた。この拘置所から出ることができるなら、どこか安全な地で家族だけでひっそり暮らすのが唯一の願いという。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年06月25日付記事に加筆したものです)