<シリア>IS戦闘員のインドネシア人妻「宣伝映像にだまされた」(写真7枚)
◆「以前は日本のアニメが好きな普通の学生でした」
シリアやイラクにまたがる地域を支配した過激派組織イスラム国(IS)。シリア民主軍(SDF)と米軍主導の有志連合の壊滅作戦で、今年3月末にはシリア国内の支配地域をほぼ失った。民主軍に捕まった戦闘員は厳重な拘置施設に送られ、妻や子供たちはキャンプに収容される。(玉本英子/アジアプレス)
シリア北東部のロジ・キャンプは、一面に数百もの白いテントが広がる。ここにはIS外国人戦闘員の妻と子供たちがいる。女性看守の案内で、テントのひとつに入った。5人が共同で使い、ベルギー人、ベトナム系フランス人と国籍も様々だ。
インドネシア人の女性(23歳)は、本名ではなくIS内部名だったウンム・ヤヒヤと名乗った。「昔はアニメに興味があって、日本に行ってみたいと思っていたの」と、流暢な英語で話す。ジャカルタの中流家庭に育ち、大学で経済を学んでいた。
ISが急速に台頭した時期、ネットでは宣伝映像が拡散した。戦闘シーンだけでなく、IS統治下で幸せに暮らす市民の姿がいくつも映し出された。
「本当のイスラムの国家ができたと知り、心が掻き立てられた」。
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2015年12月、家族には卒業旅行へ行くと言い残し、トルコに向かう。ネットで知り合った関係者の指示で、シリア国境近くの町でISメンバーと接触した。トルコ側の警備が厳しくなったこともあって、町に数か月潜伏。待機グループにいた英語の話せるアルジェリア人の男との結婚をISにすすめられ、彼女は受け入れた。その後、密かに国境を越え、シリア入り。夫は戦闘訓練を受けたが、足が不自由だったため、事務部門に配置された。
◆「ずっと背負っていかなくてはならない」
二人はシリア・イラク国境の町に家をあてがわれ、暮らし始める。実際の生活は、想像とはかけ離れたものだった。病院には薬もろくになく、近所の子供たちは学校に行かずに路地で遊んでいるだけ。テレビやネットも禁じられ、携帯電話もISに取り上げられた。
「宣伝映像はフェイク(偽物)だった。騙されたとわかったときには遅かった」。
インドネシア人の戦闘員と妻を家に招いたこともあったが、不満を漏らすと密告されるかもしれず、心を開くことはなかった。
心の支えは夫との間に生まれた息子だった。一方、戦況は悪化の一途をたどり、昨年5月、彼女と子供が先に脱出するが、途中で民主軍に拘束された。夫とはそれきりで、生死は分からない。後悔の日々というが、夫への愛は変わらないと話す。
キャンプに収容されて数か月後、両親への電話を許された。2年半ぶりの会話。母は驚き、嘆いたが、無事で帰って来てという言葉をかけてくれた。その日はずっと涙が止まらなかった。
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ISには40か国以上の外国人が参加した。拘束された元戦闘員や妻のなかに、いまもIS信奉者がいることから各国の政府は本国帰還に消極的で、シリアには一万人以上が収容されている。インドネシアからは500人以上がISに入ったとみられる。インドネシア政府は一部の妻らを帰国させており、彼女も親元に帰る日を願っている。
「ISはたくさんの人の運命を変えてしまい、私もその組織に加担してしまった。ずっと背負っていかなくてはならない」。
そう言って目を伏せた。
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(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年05月28日付記事に加筆修正したものです)