「トランプ・ワールド」で緊張の高まるパレスチナ:イスラエルのガザ侵攻はあるか
トランプ氏が米国大統領に就任して半月あまり。TPP離脱やNAFTA見直し、イスラーム系移民の入国規制、メキシコとの国境沿いの壁建設など、大統領選挙で打ち出した方針のうち実行に移されました。それによって世界は大きく揺れており、中ロやイスラーム系組織など米国と敵対的な勢力だけでなく、日本やオーストラリアなどの同盟国も、その一挙手一投足に神経をとがらせざるを得なくなっています。
しかし、なかにはトランプ政権の発足を「追い風」と捉えて、自らの方針を加速させる国もあり、イスラエルはその典型例といえます。
日本ではあまり報道されていませんが、先月からイスラエル軍の行動は活発化しています。1月15日、イスラエル軍はガザにあるイスラーム武装組織ハマースの施設を攻撃。そして24日には、やはりハマースの施設をイスラエル軍の戦車が攻撃しました。これに関して、イスラエル政府は「パトロール中の部隊が攻撃を受けたことの報復」と説明していますが、一方でパレスチナ人権センターは、1月26日からの1週間でイスラエル軍がジェニン難民キャンプなどで子供2名を含む13名を殺害したと報告しています。
イスラエルによるパレスチナ攻撃は今に始まったことではありません。しかし、しばらく(比較的)落ち着いていた情勢は、トランプ新政権の発足と前後して悪化しつつあります。「トランプ・ワールド」では従来以上に対立が激化しやすくなっていますが、パレスチナ、なかでもガザ地区は火の手があがりやすい土地の一つといえます。
「オール・イスラーム的」課題としてのパレスチナ問題
パレスチナ問題は、不安定な中東情勢を象徴するとともに、その震源でもあり続けてきました(パレスチナ問題の経緯に関してはこちら)。
パレスチナのヨルダン川西岸地区とガザ地区は、国連決議で「パレスチナ人のもの」と定められています。しかし、イスラエルはその全域を1967年の第三次中東戦争のさなかに占領。このうち、聖地イェルサレムを含む西岸地区はいまだにイスラエルの実効支配のもとにあります。一方、ガザ地区は2005年にパレスチナに返還されたものの、この地がハマースの根拠地になっているため、その周囲はイスラエル軍によって四六時中監視され、ヒトやモノの出入りは規制されています。その結果、最近では食料などとともに燃料の不足が深刻化しており、1日のうち21時間は電気が使えない状態が続いています。
国連決議や国際法に違反してパレスチナ人を抑圧するイスラエルの行動は、周辺のイスラーム諸国から一貫して批判されてきました。パレスチナ問題は、イスラーム世界全体が取り組むべき「オール・イスラーム的」課題に位置付けられているのです。また、ヨーロッパ各国からもイスラエル批判が出ることは珍しくなく、1月24日にEU議会はイスラエルが「組織的に非合法的な殺害を行っている」と非難する声明を発表しています。
これに対して、米国の歴代政権は、党派を超えて、パレスチナ問題において一貫してイスラエルを支持してきました。その背景には、国内のユダヤ人コミュニティの政治的・経済的な力の大きさがあります。ともあれ、湾岸戦争で米国主導の多国籍軍と敵対したイラクのサダム・フセインだけでなく、アルカイダや「イスラーム国」(IS)が米国を特に目の敵にする一つの原因は、このパレスチナ問題にあります。
ただし、イスラーム世界においても、パレスチナ問題は取り扱いが難しい問題です。公式には、どのイスラーム諸国政府もパレスチナ問題を重視し、米国やイスラエルに批判的な態度を崩しません。しかし、サウジアラビアなど大規模な産油国だけでなく、これといった産業もなく、援助への依存度が高いヨルダンなども、米国との関係を顧慮せざるを得ません。そのうえ、中東随一の軍事力をもつイスラエルとまともに敵対することは、どの国にとっても危険です。そのため、米国と長く対立してきたイランやシリアなどを除き、ほとんどのイスラーム諸国政府は、公式の立場はともかく、実際には米国やイスラエルとの対立を回避してきたのです。
しかし、各国政府のこの方針は、それぞれの安全や利益には適うものでしょうが、「イスラーム世界は一体」という、いわばイスラーム世界の「公式見解」に反することも確かです。そのため、パレスチナ問題に外交的な関わり以上のものをみせず、実質的には米国と足並みを揃える各国政府は、イスラーム過激派の敵意の対象にもなってきました。ビン・ラディンがサウジ政府を標的にしたテロを続けていたことは、その象徴です。
米国の方針転換と再転換
このような構図のもと、先月退任したオバマ氏は、歴代の米国大統領のなかで、イスラエルと距離を置いた対応をみせました。例えば、2015年7月には、歴史的なイラン核合意を実現。事実上イランに「核の平和利用」を認めるこの合意は、イスラエルからの強い反発を招きました。パレスチナ問題に関しても、オバマ氏は昨年12月、ヨルダン河西岸地区におけるイスラエルの入植活動の停止を求める国連安保理での決議に反対しなかったばかりか、その任期最後の日に、パレスチナ自治政府に2億ドルを拠出していたと伝えられています(自治政府を率いるアッバス議長はイスラーム系でなく、世俗的な国家としてのパレスチナの独立を目指している)。
オバマ氏の方針は、「敵はイスラームでなくテロリスト」と位置付けることでイスラーム世界との融和を目指す、国際協調主義に基づくものだったといえます。これは結果的に、基本的にはイスラエルを支持しながらも、それ一辺倒でない立場に繋がったのです。
ところが、トランプ大統領の就任で状況は一変。大統領選挙でトランプ氏は、反イスラーム的な言動が目立った一方、イスラエルが「首都」と位置付けるイェルサレムに米国大使館を移すと宣言。また、トランプ氏の対外政策に大きな影響力をもつ側近の一人マイケル・フリン国家安全保障担当補佐官は、イスラームを「癌」と表現し、イランへの敵視が鮮明です。これもあって、トランプ氏は歴代大統領のなかでも特にイスラエル寄りです(ただし、トランプ氏の人種差別的な発言に感化されて米国内で広がる差別や嫌がらせの対象にはユダヤ人も含まれている)。その一因としては、財務長官スティーブン・ムニューチン氏や、無役ながら娘婿で大統領選挙を取り仕切ったジャレッド・クシュナー氏をはじめ、政権内にユダヤ人が多いことがあげられます。
この背景のもと、冒頭に述べたように、イスラエル軍の活動は活発化してきたのです。イスラエルの1月20日の大統領就任式で、トランプ氏はイスラーム過激派に対して断固たる措置をとることを約束しましたが、その直後の24日、イスラエルのネタニヤフ首相はヨルダン河西岸地区に2500戸の住宅を新規に建設することを発表。安保理で停止が求められた、ユダヤ人の入植活動を加速させる方針を鮮明にしたのです。さらに同日、イスラエル国防相はガザの4分の1を占領する可能性をも示唆しました。この強気の方針が、トランプ新政権の樹立を受けてのものであることは、大方の観方の一致するところです。
イスラエルの暴走
イスラエルにすれば、イスラーム勢力の攻撃は現実の脅威で、西岸地区やガザはそれを防ぐ「緩衝地帯」としての意味をもちます。フライング気味でさえあるイスラエルの行動は、オバマ政権によって押さえつけられていた状況を、トランプ・ワールドの誕生を契機に一気に挽回するためのものといえるでしょう。
とはいえ、さすがに西岸地区への入植活動の加速には、法的・人道的な問題だけでなく、それがイスラーム勢力を刺激する懸念もあります。そのため、トルコやイランなどイスラーム圏からだけでなく、国連やEUからも批判が噴出。
ところが、批判をものともせず、イスラエル政府は1月31日、さらに3000戸の住宅を西岸地区に建設することを発表。その姿勢は、やや暴走気味とさえいえます。
トランプ政権によるイスラーム系難民の受け入れ制限に対して、サウジアラビアをはじめ、その対象とならなかった多くのイスラーム諸国からは、目立った反発の声はあがっていません。そこには、「イスラーム世界は一体」という公式見解とは別次元で、米国との関係に由来する自国の利益を優先させようとする各国政府の方針がうかがえます。
しかし、イスラエルの入植活動の活発化に関しては、話が別です。少なくとも公式には「オール・イスラーム的」課題であるパレスチナ問題で、米国の支援を受けたイスラエルが一気呵成にコトを進めるのを座してみていれば、国内のイスラーム過激派から自らも不興を買うからです。実際、3000戸の新規建設が発表された1月31日、それまで沈黙を保っていたサウジ政府は遂に「イェルサレムのユダヤ化」を非難する声明を発表しています。
ライバル関係にあるイランの核開発を認めたオバマ政権時代、サウジと米国の関係は悪化。しかし、イランを主要敵と位置付けるトランプ政権の樹立により、両者の関係改善が進み始めていた矢先でした。イスラエルを支持するあまり、友好関係を回復する可能性がある国からすら不興を買うことは、米国自身にとってのリスクでもあります。
そのため、トランプ政権がイスラエル支持のトーンを変えつつあることは、不思議ではありません。3000戸の住宅建設計画が明らかになった2日後の2月2日、米国政府はイスラエル政府に「入植拡大が和平実現に有益でない」と伝えたと発表。イスラエルの暴走を押しとどめることで、トランプ政権は強気一辺倒ではなく、現実的な対応をみせたといえます。ともあれ、米国政府の方針転換を受けて、同2日、ようやくというべきか、日本外務省もイスラエルに遺憾の意を示す談話を発表しています。その姿勢に、トランプ氏と同様の「米国第一」を見出すというと言い過ぎでしょうか。
イスラエルのガザ侵攻はあるか
いずれにせよ、西岸地区で現実路線にシフトして手綱を引いたトランプ氏が、ガザ地区をめぐってもイスラエルの行動を抑制するかは疑問です。
イスラエルにとって、西岸地区での入植活動と異なり、ガザ地区でのハマースの攻撃は、「対テロ戦争」の文脈で正当化しやすいものです。国内で高まる反イスラーム感情を受けて、イスラエルのネタニヤフ首相は、パレスチナへの強硬姿勢を強めるとみられます。だとすると、西岸での入植活動で譲歩する「見返り」を米国に求めたとしても、不思議ではありません。
一方のトランプ政権はイスラーム主義者を力で抑え込む方針で、そのなかにはガザを支配するハマースも含まれます。さらに、西岸地区での入植活動を抑えつけた以上、トランプ氏にはどこかでイスラエルの歓心を買う必要があるとみられます。
それぞれの利害関係を考えれば、ガザは両者が最も容易に折り合えるポイントとして浮上してきます。言い換えると、イスラエルが近くガザに侵攻したとしても、驚くには値しないといえます。
その場合、影響はパレスチナのみにとどまりません。
まず、ハマースを支援する国、なかでもトルコやカタールと米国の関係が悪化することは避けられません。なかでもトルコは、エルドアン政権のもとで2015年以来イスラエルとの関係改善に着手してきましたが、パレスチナ問題をめぐっては電力不足に悩むガザに燃料を送るなど、ハマースを支持する姿勢を崩していません。トルコはロシアと共同でシリア内戦終結に向けた和平交渉をリードしており、トルコとイスラエルおよび米国との関係が悪化すれば、その影響はシリア内戦にもおよぶとみられます。
さらに、先述のように、パレスチナ問題が難民の受け入れ制限より、過激派を含むイスラーム世界全体におよぼす影響力が大きいことに鑑みれば、イスラエルによるガザ侵攻がイラクやシリアで追い詰められているISの外国人戦闘員に、出身国や米国でのテロ活動を活発化させる懸念もあります。
こうしてみたとき、パレスチナ問題なかでもガザにイスラエルが侵攻するかどうかが、「米国をより安全にする」というトランプ氏の言葉を占う一つの試金石でもあるといえるでしょう。