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「阪神タイガースジュニア2016」3人のキャプテンが高校野球生活を振り返る

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
左から山本耕太(鳴門渦潮高)、寒川忠(日大三高)、春山陽登(敦賀気比高)

■「阪神タイガース2016」3人のキャプテン

 暑かった夏が終わり、少しずつ秋の気配が感じられるようになった。

 かつて小学6年時に大勢の中から選ばれ、「阪神タイガースジュニア」として注目されたメンバーたちも高校野球に明け暮れ、この夏、引退した。そこで、18人の中からキャプテンを務めた3人に、これまでを振り返ってもらった。

 敦賀気比高春山陽登はるやま あきと)選手、日大三高寒川忠さむかわ あつし)選手、鳴門渦潮高山本耕太やまもと こうた)選手だ。地理的に離れていることもあり、“リモート座談会”で話を聞いた。

寮からリモート座談会(写真提供:春山陽登)
寮からリモート座談会(写真提供:春山陽登)

■リモート座談会

――引退して、現在はどういう日々を送っていますか。

春山 今まで現役中は外出や外食もいっさいできなかったんで、今はコロナに気をつけながら、外出したりもしています。でも、外出から帰ってきたら必ずグラウンドで練習します。練習は今も毎日しています。

寒川 僕は甲子園で負けてから、8月いっぱいは家に帰してもらったんで、そこで陽登の試合を見に行ったり、甲子園の決勝を見に行ったり、地元の友だちと遊んだりしました。こっちに戻ってきてからは、東京はけっこうコロナも流行ってるんで、あんまり遊びに行くってことはできないですね。

でも、引退して一段落したんで、仲間と楽しみながら後輩のサポートをしつつ、自分の練習もしっかりやってるって感じです。

山本 僕も県大会で負けてからは、知り合いの試合を見に行ったり、夏休みは2日に1回くらいは練習して、徳島に帰ってきてからは後輩の練習に交ざったり、1人でもできるメニューをしたりしています。

とくに自分の苦手な練習をやったりしてます。守備が苦手なんで、守備の練習とかダッシュとかを多めにやってます。

寒川忠(本人提供写真)
寒川忠(本人提供写真)

――お互いにキャプテンをしていることは知っていましたか。

全員 知ってました!

――キャプテンに就任したのはいつですか。

春山 僕は春のセンバツに出て広陵高校に9―0でボロボロに負けて、それから何週間かした後に東監督に「おまえがキャプテンをしろ」って言ってもらって、そこからキャプテンになりました。

――その時期に言われて、どんなふうに受け止めたんですか。

春山 うわ~っと。自分でいいかなと。夏の甲子園に行かれへんかったら、確実にキャプテンの責任やなっていうふうには思いましたね。

山本 僕は新チームからです。去年の夏が終わってから。選ばれたとき、最初はちょっと不安だったっていうのもありましたけど、でも自分がやるしかないなと思ってやりました。ちょっとやりたかったですし。

寒川 僕は新チームから本格的にキャプテンになったんですけど、監督さんや部長さんからは1、2年生のころから同級生を引っ張るように言われてたんで。高校に入る前からキャプテンをやるつもりで仲間とは接してました。

中学でキャプテンをやらせてもらってから、やりがいがあって、集団の先頭に立ってやりたいという気持ちがあったので、高校でもと思っていました。

(注:寒川選手は中学卒業時の記事で「高校で主将をする」と宣言している⇒参照記事

山本耕太(本人提供写真)
山本耕太(本人提供写真)

――実際にキャプテンをやって、何が大変でしたか。

寒川 自分たち全員、寮生活なんですけど、指導者も一緒に寮に住んでるんです。監督さんとお風呂も一緒に入りますし、ごはんも一緒に食べますし、ずっと一緒にいるんで、そういう意味では私生活の面でもしっかりしないと叱られます。周りがちゃんとやってないと僕が叱られます。

最初のころは言っても実践してくれない選手もいて、仲間だから優しく注意してたんですけど、ちゃんとやってもらうからには強く言わないといけない。やっぱり仲間に強く言うっていうのは、最初は苦労しました。

山本 僕は、やる気があんまり見られない選手に、頑張ってやる気を出させるっていうのがけっこう苦労しました。監督とかと話したりして、監督と選手の意見を両方の間に入ってまとめたりするのがけっこう大変で、悩んだこともあったんですけど…やっぱり、まとめるっていうのが大変でした。

――やる気のない選手にやる気を出させるため、どういうことをしたんですか。

山本 自分がやってないと聞いてくれないと思うので、やっぱり行動からしっかり見せていくっていうのは一番気にかけてやっていました。コーチの方や副キャプテンに相談に乗ってもらったりしながら。

春山 うちの高校は部員が91人いるんですけど、全員を同じ方向に向かせるっていうことがキャプテンの役目だと思うんです。でも、全員が甲子園出場とか優勝とか思ってくれてたらいいんですけど、やっぱりそれだけいたら、そうはならないんです。実際、気持ちが折れているというか、やる気を失ってる選手とかもいたんですけど、そういう子に対して注意するのが大変でした。

でも、そういうところは強く言わないといけないんで、そこは正直つらかったですね。グラウンドでハッキリ言いますけど、内心はつらかったです。だけど、後で呼んでフォローもします。怒るだけやったらダメやと思うんで。

春山陽登(本人提供写真)
春山陽登(本人提供写真)

――逆にキャプテンをやっていてよかったと思えたことは、どんなことですか。

山本 僕はキャプテンをやってから大勢の前で話すことが増えて、人前で話す力がついたなっていうのが一番実感しました。

最初のころは、しゃべる前にいろいろ考えて用意したりしていたけど、何度もやっていくうちに自分がそのときに思ったことを言うようにしたら、けっこうしゃべれるようになったので、そのときに思ったことを相手にそのまま伝えることを意識するようにしました。

寒川 僕は、周りに対してしっかり考えられるようになりました。小学校、中学校のときは自分のことで精いっぱいだったんですけど、高校に入ってからは寮生活にもなりましたし、自己中心でなくなったというか、いろんな面で視野が広くなって成長した3年間だったと思います。

さっき陽登も言ってたんですけど、キャプテンとして、やっぱ嫌なことでも言わないといけないっていう立場で、それがあったから成長できたのかなって思います。

春山 キャプテンをして得たことは耕太とまったく一緒です。人前で話すことがまったくできなくて、ほんとにまったくダメやったんです。けどキャプテンになってから、どんどんテレビ取材とかも増えて、学校でも夏の大会前の激励会というか決起集会みたいなときに全校生徒の前で話す機会があって、そういう場でも苦にせず話せるようになりました。

――人前で話すといえば、県大会優勝時のキャプテンインタビューでは熱い涙がありましたね。

寒川 18年生きてきた中で、この1年間が一番長くて、きついことだらけで、何回もキャプテンを辞めたいと思ったことがあったんですけど、やっぱり周りのみんなが支えてくれたおかげでやりきれたっていうのがありました。

そして最終的に甲子園に行けたっていうので、ほんとにホッとしたというか、そういうのがいろいろあって感極まりました。

寒川忠(本人提供写真)
寒川忠(本人提供写真)

――お互いにキャプテンとして情報交換したりはありましたか。

寒川 あんまないよな。

山本 ないな、それは。

春山 あっ!YouTubeで日大三高の冬練?合宿みたいなん。

寒川 ははは(笑)

春山 あるよな?あれを僕、チラッと見て。終わったあと、泣いてたんですよね、たしか。泣いとったよな?

寒川 泣いた泣いた(笑)。

春山 あれ見て、「うわぁ、サム、頑張ってんな」と思って。あれはちょっと「オレもやらなあかんな」っていうふうな思いになりました。

――野球でのそれぞれの活躍はチェックしていましたか。

寒川 県大会とかの生中継をずっと見てて、耕太の試合も陽登の試合もジュニアのメンバー全員の生中継から刺激をもらいながら、「負けてられない」って感じで見てました。僕ら甲子園決まるのが47都道府県の中で一番遅かったんで。

春山 僕も日大三高も見てましたし、耕太のホームランも見ました。まず耕太を見た瞬間に一番思ったことは「ごっつ!」って(笑)。「こんなデカなってるん!?」と思って。だって、中1のときのセレクション以来じゃないすかね。そうやんな?

山本 そうやな(笑)。

春山 1打席しか見られなかったけど、そこでたまたまホームランを打って…。ほんで左バッターになってるよな?それもビックリしたし。ジュニアんとき、右やったやんな?

山本 今も!両打ちやねん!

春山 りょ、りょ、両打ち!?

――スイッチだけど、夏の大会ではずっと左でしたね。

山本 ははは(笑)。ちょっと夏は右が調子悪かったんで…。スイッチは続けています。

僕も「バーチャル高校野球」で見ていました。みんな強豪校なんで、なにかとすぐ見られるというか、2人とも活躍してるんで、やっぱすごいなっていうのはありました。

――ジュニアのメンバー18人すべてベンチ入りしていました。みんなの活躍はどんなふうに映りましたか。

山本 嬉しいっていうのがありましたね。やっぱりジュニアのみんなが活躍しているのは嬉しかったですね。

寒川 僕も耕太と同じで嬉しかったです。一緒に戦ってきた仲間なんで、やっぱジュニアのことが一番気になりますし、仲間が活躍すれば嬉しいですし、ほんとに刺激をもらいながら夏を過ごしていたなと思います。

春山 僕もみんなが背番号をもらってて嬉しかったですし、全員が甲子園に出られたら一番よかったんですけど…。それは残念だったんですけど、甲子園がすべてじゃないと思いますし。「バーチャル高校野球」とかで見てて、ほんとに自分も「負けてられへんな」っていう気持ちになりました。

山本耕太(本人提供写真)
山本耕太(本人提供写真)

――そんな高校野球生活の中、自分自身で伸びたと思うのはどういうところですか。

春山 やっぱりキャプテンをさせていただいて、人間性が成長できたと思います。野球のレベルにおいても全部伸びたというのは感じますね。

――人間性とは具体的にどういうところですか。

春山 リーダーとしてキャプテンシーをもってやるところとか、それこそ人前で話すこととか、みんなの先頭に立ってやるっていうところです。キャプテンをした人しかわからない気持ちとかもあって、そういうところは成長できたかなと思います。

寒川 キャプテンになってからは言葉でも行動でもみんなを引っ張れるようになったと思います。朝の練習が自主制なんで、自分が先頭に立って朝一番に練習に出ないとみんながついてこないと思ったので、同じ時間、同じ練習っていうのを継続して、背中で引っ張ることで成長できたかなと思います。

監督さんに人間性を磨いてもらって、何事にも一生懸命に取り組むたいせつさを教えてもらった、本当に貴重な3年間だったと思います。

山本 僕もやっぱり人間性っていうのは成長したと思うんですけど、やっぱり一番成長したかなと思うのは体つきです。この3年間で大きく変わったのかなと思います。

――春山選手もビックリしたその体は、どのように作り上げたんですか。

山本 ウエイトです。1年生のときはけっこう上半身を中心にやってたんですけど、下半身をやるようになってから飛距離も伸びて、それを実感してからはずっともう下半身中心にやっています。そこに食べることももちろんです。

とにかくトレーニングをしっかりして、まず体つきを変えないといけないなと思ったんで、そういうところからしっかりやりました。週3回くらい、追い込んでやりました。

春山陽登(本人提供写真)
春山陽登(本人提供写真)

――自分自身の野球でのストロングポイントを教えてください。

春山 僕はバッティングですね。勝負強いところです。常にチャンスで回ってこいって思っています。こんな性格なんで、チャンスで打ったらカッコエエんちゃうんみたいな、そんな感じでチャンスで回ってこいとしか思ってなかったですね。

やっぱり明治神宮大会やセンバツなどの大きい大会とか、練習試合でもそうですけど、プロ注目のピッチャーと対戦して、そこでホームランもけっこう打てたんで、それでバッティングが成長したと思います。甲子園でもいいピッチャーの打席に立てたのはよかったです。

寒川 僕はバッティングも守備もそんな目立って頭一つ抜けたような選手じゃないんですけど、粘り強くピッチャーに食らいついたり、守備も球際までしっかり追いつくところっていうのが自分の魅力というか、自分の自信のあるところです。

山本 僕はフルスイングです、左右どちらの打席も。強く振るってことが自分の強みかなと思います。1年生のころは結果を気にしてスイングが小さくなったりしてたんですけど、小学校も中学校も強く振るっていうのが持ち味だったのを思い出して、高2の新チームが始まってからは強く振るっていうのを意識しだしたら結果もついてきたので、それがよかったと思います。

寒川忠(本人提供写真)
寒川忠(本人提供写真)

――タイガースジュニアだったことは何か影響はありましたか。

寒川 日大三高って、いろんなところから選手が集まってるんです。なので、いざ同級生とか先輩とか仲よくなったときに「どこどこジュニアの出身?」って訊いたら「オレはジャイアンツ」とか「楽天」とかいろんな球団のジュニアの先輩、同級生、後輩がいて…。だからジュニアの話題を通じていろんな話ができました。

たとえば自分たちの代、初めて準優勝したじゃないですか。「オレらは練習試合でベイスターズに勝ったのに、なんでタイガースは準優勝できたんや」とかいじられたり(笑)。そういうのもあって、ジュニアに入ってよかったなっていうのがありますね。

(注:2016年の阪神タイガースジュニアは決勝で横浜DeNAベイスターズジュニアに敗れた)

山本 僕は高校に入ったときに先輩に「タイガースジュニアやろ」って言われて、けっこうプレッシャーもありました。徳島でほかの高校の子からもけっこう言われたりして、いろんな人に知られてるんやなぁと思って…。

やっぱりプレッシャーっていうのが一番ありました。タイガースジュニアってことで、「すごい」と思われたりするんで、それに見合った能力がほんとに自分にあるのかもわからないので、そういう意味でプレッシャーになりました。

春山 気比高校の1こ上の先輩に阪神ジュニアの方がいて、それで入寮当初、「阪神ジュニアの子やんなぁ」って言われて可愛がってもらったり、今年の6月に智辯和歌山と試合をしたときに監督の中谷さん(2016年はタイガースジュニアのコーチ)やキツ(橘本直汰選手)とか寛太(沖寛太選手)にも会えたりして、阪神ジュニアでよかったなと思いました。

山本耕太(本人提供写真)
山本耕太(本人提供写真)

――では最後に大学でどういうことをしたいか聞かせてください。

山本 僕は大学で苦手なことに取り組みたいと思っています。人と一緒のことをしてたらダメだと思うんで、上手い人に聞いたりとか、上手い人から吸収して、4年間しっかり練習を積んでプロを目指してやっていきたいと思います。

寒川 大学は4年間で、中学や高校の3年間より1年多いというのを自分の中でしっかりプラスにして、口だけの選手にならないように努力を続けて、上のレベルで野球ができるように…最終的にプロを目標に頑張っていきたいです。

春山 僕も厳しい大学に行くんですけど、そこで折れずにしっかり4年間やりきって、最終的な目標はプロ野球選手なんで、そこに行けるような選手に4年間でなりたいと思います。

春山陽登(本人提供写真)
春山陽登(本人提供写真)

 小学6年生から6年が経った。当たり前だが、3人とも大きく成長している。こうして自分の考えをしっかり言葉にして伝えることができるのは、やはりキャプテンとしてチームの先頭に立って奮闘してきたからだろう。キャプテンという重責を全うし終えた今、充実した笑顔が清々しい。

 この3人だけでなく、タイガースジュニアのメンバーたちは本当によく頑張ってきた。そして今後も頑張り続けるだろう。彼らのこれからを楽しみにしたい。

(トップの写真はそれぞれ本人提供)

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セレクション

メンバー

中学1年

中学卒業

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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