PC遠隔操作ウイルス事件(片山祐輔被告)から考えるウソの心理学
■嘘をつくつもりもなく嘘がつけてしまう
片山被告は嘘の天才?
「すがすがしい気持ち」=無罪主張撤回の片山被告―PC遠隔操作:時事通信 5月22日
世の中には、呼吸をするように自然にウソをつく人がいます。
■人はなぜウソをつくか
人は何かを守るためにウソをつきます。自分の罪をごまかすため、自分を大きく見せるため、自分の利益や立場を守るため、人を傷つけないため、人間関係を保つため、人はウソをつきます。
人はウソをつかなければ生きていけません。プレゼントをもらえば、いらないと思っても「ありがとうございます」と答えるものです。ただし、まともな人は、必要なだけのウソをつきます。ところが、トラブルを起こす人は、必要以上のウソをつきます。
■片山祐輔被告の犯行とウソの理由
供述を待たなければわかりませんが、片山被告はウソの中に生きていたような気がします。
彼は、パソコンに関しては有能だと思います。警察をだませたほどです。でも、たぶん思ったような人生は送れていなかったのでしょう。そんな彼にとって、インターネットのバーチャルな世界、ウソの世界は、自由に動ける場所だったのかもしれません。有能さを示し、プライドが保たれる場所だったのかもしれません。
本当に爆破事件を起こす気持ちなどなかったでしょう。ウソの爆破予告で騒ぎになれば、十分だったのでしょう。でも、それでは単純すぎます。自分が捕まってしまうのもいやです。彼は、PC遠隔操作を思いつきます。
自分が捕まらないだけではなく、警察をあざ笑うこともできます。これはとても楽しいゲームだったのかもしれません。その結果、現実の世界では4人が誤認逮捕され、偽りの自白までさせられる事態になりました(「人はなぜ偽りの自白をするのか」。
その後、片山被告が猫の首輪にデータを入れるなどという余計なことをしなければ、逮捕されなかったかもしれません。でも、彼は自分の計画が上手く進む中で、もっと面白いことをしようとしたのかもしれません。
しかし、身体を使った「現実」の世界では、片山被告はネットの世界ほど有能に立ち回れず、防犯カメラに映ってしまいます。
今回の偽メールも、墓穴を掘る結果になりました。これも身体を使った「現実」での行動で有能に振舞えなかった結果です。
逮捕された犯罪者は、否認のためのウソをつきます。でも彼はそれだけでは満足しなかったのでしょう。自分の思い描くウソの世界をもっとすばらしいものにするために、もっと手の込んだ方法で、確かな無罪の証拠を作り出そうとしたのかもしれません。
片山被告は、自分のことを「サイコパス」と呼んでいます。サイコパス(精神病質、反社会性パーソナリティ障害)も、平気でウソがつける人です(彼が本当にそうかどうかはわかりませんが)。
■片山祐輔被告のウソはなぜばれなかったのか
ウソをつくためには、知性が必要です。信じてもらえるだけの話を作りださなければなりませんし、自分のついたウソをすべて覚えていなければなりません。まずは、彼の知的能力の高さが、ウソをばれにくくしたのでしょう。
私たちがウソをつくとき、普通は良心の呵責(かしゃく)を感じます。ばれたらどうしようと思うと不安になります。その緊張感が、言動に変化を起こさせます。おどおどしたり、多弁になったり、無口になったり、手がよく動いたり、動かなくなったり、視線が泳いだり、逆に目を見つめたり。
その結果、いつもと何かが違うと感じ取られ、ウソがばれます。
ところが、世の中には平気でウソがつける人がいます。おそらく、片山被告もその一人だったのでしょう。ウソをつくのが平気な人は、変化が現れにくく、ポリグラフ(ウソ発見器)でもわかりににくい人もいるほどです。
彼は、ウソをつきながら、半分自分でもそのウソを信じていたのかもしれません。たとえば、お菓子を食べてしまった子が、「知らないおじさんが家に入ってきた食べた」とウソをついているうちに、自分でも半分信じてきて、本当に必死にその「真実」を訴えることがあるように。
彼はネットの世界では有能でも、リアルな現実世界でこんなことをすれば、相手や自分の身に何が起こるのか、その実感が薄いのかもしれいません。
■ウソを見抜く方法
ウソがずばりわかるサインなどは、ありません。「嘘発見器」(ポリグラフ)も、「嘘発見器」とは呼ばないで欲しいと語る専門家もいるほどです。私たちがわかるのは、「変化」です。
たとえば、犯人しか知りえない凶器の種類や、凶器を捨てた場所などを、他の言葉と並べて示します。すると、本当の凶器の種類や場所で発汗や心拍の変化が現れます。そこから、ウソを見抜くわけです。
日常生活の中で、あまり罪の意識を感じていない人や、プロの詐欺師のウソを言動のサインだけで見抜くことは、むしろできないと思ったほうが良いと思います。
たとえば、NHKスペシャルの佐村河内守氏の番組をみて、ウソだと見抜けた人は、日本に何人いたでしょう。
<佐村河内守氏会見から考える「ウソ」と「疑う技術」:私達はいつもだまされてきた>
警察官や、弁護士や、探偵や精神科医なら、見抜けたのでしょうか。私は見抜けませんでした。
専門家ですら、多くの場合はウソのサインから見抜くのではなく、話の矛盾からウソを見抜くことが多いようです。自分は賢く冷静だからウソを見抜けるなどと思わないほうが良いのでしょう。
詐欺師があなたに近づいてくるとしたら、その人は、きっとあなたの人生の中で最も信頼できる人のように見えることでしょう。
<直感の心理学:ウソや詐欺にだまされず、すてきな恋や子育てに役立て、命を守るために>
■人はウソをつく:ウソの被害にあわないために
世の中には必要なウソもあります。それは、演出のようなものです。人間関係の潤滑油とも言えるでしょう。でも、ついウソをついてしまうこともあります。悪意をもってウソをつく人もいます。私たちも狙われています。
普段の生活では、私たちは互いに信用しあって生きています。大切なことです。しかし、私たちをだます人はいます。電話の向こうの自称警察官が本当の警察かどうかはわかりません。
用心は必要です。佐村河内守氏を扱ったNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家〜』を、ウソだと知った今見ると、とてもウソっぽく感じられます。
信用することは大切ですが、疑う事も大切です。疑う前提に立てれば、直感的に怪しいと感じることもあるのです。
■「嘘つき」にならないために
社交辞令やお世辞を適度に言う人を、「嘘つき」とは言いません。必要以上のウソや人に害を与えるのが、「嘘つき」です。思いやりや、相手への気遣いのことばは、真実ではなくても、悪い意味でのウソにはなりません。それは、「良いウソ」でしょう。
人は、他人や自分を守るために適度にウソをつきますが、自分を守りすぎようと思うと、ウソをつきすぎます。ウソが習慣化している人もいます。
私たちは、本当は「ありのまま」で良いのしょう。
多少は、大きくかっこよく見せたいと思うのは自然ですが、行き過ぎはいけません。誰かと良い関係を保ちたいと願うのも当然ですが、必死になりすぎてはいけません。今のままの、ありのままの姿、自分らしい自分で良いのだと思えることが、ウソで身を滅ぼさずにすむ土台になるでしょう。
体罰など厳しいしつけをしすぎると、嘘つきの子どもが育ってしまうことがあります。失敗や悪事は絶対に許されないのではなく、正直に話して謝ればきっと許してもらえる、それでも大丈夫と思えることが、大切でしょう(「子育てのコツは、バランス!」)。
*「NHKニュースウォッチ9」(5月21日)からのビデオ取材で上記のような話をしました。放送されたのはそのちの一部ですが。
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碓井真史 著 『人間関係がうまくいく嘘の正しい使い方―ホンネとタテマエを自在にあやつる!心理法則』
『アナと雪の女王』の心理学:レリゴーと個性(ありのままの姿)の本当の意味を読み解く