Yahoo!ニュース

ロシアはなぜウクライナ東西分割に踏み切ったか――‘鉄のカーテン’の再生

六辻彰二国際政治学者
「人民共和国」を承認する大統領令に署名するプーチン大統領(2022.2.21)(写真:REX/アフロ)
  • ロシアがウクライナ東部の分離独立を承認したことで、事実上ウクライナは東西に分割された。
  • これに沿ってヨーロッパ大陸には欧米とロシアの勢力圏を分ける‘鉄のカーテン’がほぼ完成した。
  • 欧米は公式にはこれを批判しても、ウクライナ東西分割をロシアとの「落とし所」として認めざるを得ない。

 ウクライナ危機は一つの分水嶺を迎えた。プーチン大統領がウクライナ東部を「国家」として承認したことは、ウクライナが東西に分割されることを意味する。それによりヨーロッパ大陸には新たな‘鉄のカーテン’がほぼ完成したといえる。

ウクライナの東西分割

 ロシア政府は2月21日、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を国家として承認した。これらの「人民共和国」は2014年、ロシアに隣接するウクライナ東部で独立を宣言していたが、その承認が大きな問題になるのは、ウクライナを東西に分割するものだからだ

 ウクライナ東部にはもともとロシア系住民が多く、これにクリミア危機の発生した2014年から外国人戦闘員が流入してきた。その結果、一方的にウクライナからの分離独立を宣言し、ロシアの一部に編入されることを希望してきたのである。

 もっとも、これらを「国家」として承認している国はない。国際法上、ある国の一部が分離独立する場合、その国の中央政府の承認が必要であり、ウクライナ政府はこれを認めていないからだ。

 実際、ウクライナ政府はこれまでドネツクやルガンスクの親ロシア派民兵としばしば衝突しただけでなく、公共サービス停止といった制裁を課してきた。

 しかし、こうした兵糧攻めを受けた東部では、ロシアが年金支給などを行い、ロシアの通貨ルーブルも流通するなど、いわばロシアの実効支配の土台はできていた。そのうえで「人民共和国」の独立を承認したことで、ロシアはいわば東部を名実ともにウクライナからもぎ取ったことになる

「侵攻ではない」の大義

 国際法を無視した決定に関して、プーチンはさまざまな理由をあげている。曰く「ウクライナはもともと国家としての一体性をもっていない」、「1991年のソ連崩壊後、ウクライナ政府はロシアに対する全ての負債を支払うという約束を果たしてこなかった」などなど。

 しかし、こうした歴史的背景はいわば後付けであり、決定的な理由はウクライナ東部がもつ戦略的重要性にあるとみてよい。

 この地域は黒海沿岸にあり、黒海はロシア海軍が地中海に抜けるための拠点でもある。ロシアはウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加盟に反対しているが、その大きな理由の一つには黒海から地中海に至るルートを阻まれることへの警戒がある。

 つまり、ロシアがウクライナ東部を勢力圏として確定することは、海上行動のルートを確保することに大きな目的があるといえる。ロシア政府は21日、二つの「人民共和国」の独立を承認したうえで、「安定を確保するため」としてロシア軍の派遣を決定したが、これは実効支配をより強化するために他ならない。

 これはウクライナ政府にいわせれば「ロシアの軍事侵攻」だが、ロシアの論理でいえば「東部はすでにウクライナではなく、その暫定政権からのリクエストに沿って軍事協力をするまでのこと」となる。「現地の要請」は土地の切り分けが日常茶飯事だった帝国主義時代、欧米を含む列強の常套句だった。

鉄のカーテンver.2

 ウクライナの東西分割は欧米の強い非難を招いているが、実際にはこの状況が常態化する公算が高い。

 まず、ロシアがウクライナ東部より西に向けて侵攻するかには大きな疑問がある。ドネツクやルガンスクと異なり、ウクライナ西部にはロシアの介入を求める「現地の要請」はないからだ。つまり、これ以上の侵攻に大義名分をもちだすことは難しい。

 その一方で、ウクライナ東部からロシアを排除するため、欧米が軍事的アクションに向かうかも疑問だ。

 ロシアの「黒海沿岸を確保する」利益は死活的で、それに臨む意志も固い。これに対して、アメリカをはじめNATO諸国はロシアの軍事侵攻に備えて東欧一帯に部隊を展開させてきたが、実際に動きはじめたロシア軍との全面衝突を覚悟してまでウクライナ全土を保持しようとするほどの意志や利益はない。

 とすると、残る選択肢は経済制裁しかない。しかし、たとえ欧米がロシア産天然ガスなどの禁輸や投資の制限に踏み切っても、いまやロシアのビジネスパートナーは、エネルギー需要の高まる新興国を中心に世界中にいる。

 そのため、欧米の制裁はロシアに大ダメージを与えるというより、単に欧米とロシアの接点を小さくする効果しかない。それは結果的に、北はフィンランド湾から南はアゾフ海に至る、新たな境界線がほぼ完成することを意味する。それはヨーロッパ大陸に新たな‘鉄のカーテン’を引くものといえる。

住み分けに向かう世界

 鉄のカーテンは第二次世界大戦でイギリスを率いたチャーチルが大戦後の1946年、訪米した際のいわゆるフルトン演説で用いて有名になった言葉だ。チャーチルによれば、「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステに至るまで、大陸を縦断して鉄のカーテンが引かれている」。

 当時、ソ連の影響下に置かれた東欧と、アメリカの支援する西欧の間の冷戦が本格化しつつあった。イデオロギー対立と相互不信を背景に、東西間では経済、文化の交流も制限され、人の移動も厳格に規制され始めていた。

 こうしたなか、ソ連の脅威からの防波堤、「通り越せない壁」の比喩として、鉄のカーテンの語は冷戦時代の西側で定着した。そこには、ソ連との接触をできるだけ減らすことが安全につながるという考え方があった。

 これに照らすと、ウクライナの東西分割でほぼ確定した新たな鉄のカーテンは、欧米とロシアの間に「通り越せない壁」を設けるもので、ヒト、モノ、カネ、情報などが国境を超えて自由に行き交う1990年代以降のグローバル化に逆行するものでもある。

 とはいえ、欧米にとっても、ウクライナの東西分割以外の「落とし所」をロシアとの間に見出すことは難しい21日、バイデン大統領はプーチン大統領との交渉に原則合意したが、交渉の場で非難はできても、それ以上踏み込めばアメリカにとって高いコストの負担を強いられることになる。

 だからといって何もしないわけにはいかないので、アメリカはいよいよウクライナのNATO加盟を認める可能性もあるが、西半分が欧米の勢力圏として確定されることは、ロシアにしてみれば東部確保のため支払うに値する対価ともいえる。その場合、新たな鉄のカーテンに沿って欧米とロシアが住み分ける構図が定着することは容易に想像される。

 こうしてみた時、ウクライナ危機は相容れないもの同士が和解や共存を諦め、住み分けに向かう世界の象徴ともいえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事