自立した障害スポーツ団体を目指して。新生パラクライミング協会の現在地。
自立に向けての第一歩を踏み出すことになる。
日本パラクライミング協会(以下JPCA)は、11月7日(土)に『パラクライミング・ジャパンシリーズ第1戦』を神奈川県秦野市にある神奈川県立山岳スポーツセンターで開催する。
今年3月の『パラクライミング日本選手権』が新型コロナウイルスの影響で中止になったパラクライマーにとっては、日頃の取り組みの成果を試す今年初めての大会になる。
パラクライミングとは、障害のある人によるクライミング競技で、トップロープで安全を確保しながら、どの高さまで登れたかを競う。
『視覚障害』、『切断』、『神経障害』の3つの種別があり、『切断』はさらに欠損箇所に応じて上肢と下肢に分類される。両足があっても完全に動かなければ『切断』にカテゴライズされる。また、それぞれの種別内でも障害の程度に応じたクラス分けもあるが、パラスポーツにおいては、このクラス分けが極めて重要になる。
国内のパラクライミングはもともと、JMSCA(日本山岳スポーツクライミング協会)の一部門として行われてきた。しかし、スポーツクライミングが五輪実施種目となって改革を進めたJMSCAに居場所を失い、2018年1月1日に任意団体としてのJPCAが誕生した。
そして今年4月、JPCAは法人化され一般社団法人となった。パラクライミング世界選手権4連覇の小林幸一郎と、そのナビゲーターとしてコンビを組んだ鈴木直也という昨年まで副会長をつとめたふたりが共同代表に就任し、JPCAは新たな船出に漕ぎ出した。その経緯と今後の展望について小林に訊いた。
「一般社団法人化は、昨年のパラクライミング世界選手権の開催地変更がきっかけでした」
小林はそう切り出す。
パラクライミング世界選手権は元来、スポーツクライミング世界選手権と同時開催されてきた。昨夏の東京でも同時開催の予定だったが、パラクライミング世界選手権の開催地は変更になった。
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東京からフランスに変わったことで、日本代表選手たちはパラクライミング世界選手権への出場が危ぶまれたが、その窮状を知った多くの人たちからの支援によって、ほとんどの選手が出場することが叶った。
「パラクライミングが困っている状況を知ったJMSCAのスポンサーであるオリエンタルバイオ社から、『クライミングを支援している企業としては、見過ごすことはできない』と、支援の申し出を頂きました。これが後押しになりました」
一般社団法人は余剰利益を株式会社のように社員に分配できないなどの制限はあるが、自由な事業内容で営利活動ができるなどのメリットがある。これを選択した理由を次のように説明する。
「資金確保が協会にとって最大の課題なので。パラスポーツ団体に限らず、多くのスポーツ団体にとって頭を悩ませているのが資金不足です。我々にはオリエンタルバイオというスポンサーが現れましたが、それだけですべてが賄えるわけではありません。第2、第3のスポンサー獲得を目指さなければいけない。そのための一般社団法人化になります」
新生JPCAが船出するにあたって、代表としての小林がこだわったのがJMSCAとの『覚書』の締結。8月にクライミング競技の一層の普及と発展を目的にし、情報共有や国際大会派遣などを協力する覚書を交わした。
「過去を振り返って愚痴をこぼすよりは、前に向かって進んでいくために、力を借りるところは素直に借りようということです。一番は情報共有です。我々はIFSCに加盟できない協会なので、JMSCAから情報を提供してもらうしかない。そのための覚書です」
スポーツクライミングもパラクライミングも、統括する国際団体はIFSC(国際スポーツクライミング連盟)になる。ひとつのIFには、ひとつのNF(中央競技団体)という決まりのなか、国内からはすでにJMSCAがNFとしてIFSCに加盟している。このためJPCAはIFSCに加盟することができない背景がある。
「JMSCAと我々は別団体になりましたが、個人レベルで見れば垣根なく両団体に携わっているクライマーがたくさんいます。もっと多くの人たちにクライミングというものを知ってもらい、JPCAとJMSCAの両方を応援してもらえる社会にしたいなという願いも根底にはあります」
JPCAがパラクライミング競技を営むための課題が『人手不足』だ。パラクライミングはパラリンピック種目ではないため、パラリンピック競技団体よりも資金不足なのはもちろんだが、もともと人手不足なところに新型コロナ禍の影響で深刻さは増している。
「新型コロナ禍の影響もあって日常のJPCAの活動は、実質3人で回しています。『もっとこうした方がいい』『ああしたい』はあるのですが、JPCAの活動だけで食べていけるわけでもないので、手が回っていないのが実情ですね。理想はJPCAの仕事に専従してもらえる人を雇うことですが、それだけの資金はまだありません。数多くのボランタリーに支えてもらえる協会になる努力をしなければいけないと思っています」
この取材のために目の不自由な小林をサポートしてくれたのは、川端彰子さん。スポーツクライミング日本代表としてW杯ボルダリングに出場経験のある彼女は、視覚障害パラクライマーのナビゲーター(視覚障害選手に声でホールドの位置を教える役割)不足もあって、近年は視覚障害パラクライマーの練習時にナビゲーターをするなど、JPCAの仕事に幅広く携わっている。その川端さんは「パラ選手たちの意識に変化が生まれている」と明かす。
「まず自分たちでできることをやろうとなってきましたね。JPCAはパラクライミングをひとりでも多くの人に知ってもらうPR活動まで手は回っていないのですが、パラクライマーのほとんどが自発的に自分たちの競技の魅力を発信していこうとなっています。競技を一生懸命やっていれば自然と誰かに注目されるなんてことは奇跡みたいなことなので、やっぱりパラクライミングを観てくれる人がひとりでも増えるように努力するのは大切だなと思いますね」
この言葉を受けて小林が続ける。
「すべてが整った環境をパラクライマーに提供できるのがJPCAの理想ですが、現実には無理なこと。未来に向けてJPCAがスタートを切ったなかで、それぞれのパラクライマーがすべてを協会に依存するのではなく、自分でできることは自分でやろうとするスタンスは心強さを覚えます」
これまでパラクライミングの競技会は、年一回の日本選手権しかなかったが、新生JPCAになって競技会数を増やすことになった。現時点ではすでに来年3月13日に広島県福山市のエフピコアリーナふくやまで『ジャパンシリーズ第2戦(兼パラクライミング日本選手権)』の開催が決まっている。こうした取り組みの意図を小林はこう明かす。
「やっぱり競技会が年1回では認知度は広まらないし、パラクライマーにとっても試合勘を磨けない。以前から要望はありましたが、お金がかかることなので開催は簡単ではなかったのですが、オリエンタルバイオ社がスポンサーについてくださったことで可能になりました。ただ、2戦ともIFSCルールに完全に則って開催することは資金的に難しいので、11月の大会は可能な範囲で資金を削りながら工夫を凝らして大会を開催をすることにしました」
そのひとつが、クライミングウォールにすでに取り付けられているホールドを使うこと。パラクライミング大会専用のホールドを取り付けて大会を開催しようとすると、事前にホールドを外し、専用の課題をセットし、大会後に復旧作業といった具合で時間と労力がかかる。それらを省くことによって、限られた資金のなかでの大会開催に漕ぎ着けた。
「与えられた環境のなかでベストを尽くすこと。そして、課題が見つかったら、みんなの知恵を借りながら改善していく。それを積み重ねていくことでパラクライミングが社会のなかで広まり、認められ、多くの人たちに支えられるようになると思っています」
これまでは海外でのパラクライミング世界選手権などは選手個々が遠征費などを工面してきたが、JPCAは将来的にはそうしたスポーツ環境の改善も視野に入れている。もちろん、それを実現できる競技団体になるのは容易くないことも理解している。
数多の苦難を乗り越えた先にあるものをしっかりと見据えながら、彼らは11月7日に大きな一歩を踏み出していく。