【マイスター・ハイスクール】馬だけじゃない!驚きと発見の環境でイノベーターを育成(静内農業高校)
文部科学省が2021年にスタートした地域産業の担い手を育てるプロジェクト「マイスター・ハイスクール」。産官学が連携して、今までの専門高校のイメージをくつがえす最先端の人材育成を目指す。この連載では、そのモデル校に指定された全国の専門高校を取材し、取り組みと効果、課題や展望を整理し、「地域と共創するこれからの学びづくり」という視点で考えたい。(「マイスター・ハイスクール」の概要については前記事『【マイスター・ハイスクール】DX 時代の創造的エンジニアを育成する場作りとは?(熊本県立 八代工業高校)』をご覧ください)
●サラブレッドがいる学校
競走馬の産地としても有名な北海道日高郡・新ひだか町。今回取材した北海道静内農業高等学校は、全国で唯一サラブレッド(競走馬)の生産を行う公立学校としてメディアで取りあげられることも多い。2020年には、上場頭数1000頭を超える国内最大規模のサラブレッド市場「北海道サマーセール1歳」でテイエムケントオーが同校史上最高額2750万円の値をつけた。
繁殖から育成まで取り組む生産科学科馬事コースでは、毎年生徒が馬の出産にも立ち会う。学年毎にサラブレッドのライフステージに沿って学びが構成されている。1年生は農業と馬に関わる基礎を学びながら、実習として繁殖牝馬の管理や出産準備に携わる。2年生は仔馬の出産に立ち会って仔馬の育成に従事し、3年生ではセリ上場、退厩などを経験し、馬の医学や今後の配合についても考察する。もちろん、乗馬の基礎技術なども習得できる。日本中央競馬会(JRA)とも連携し、産業実務家教員として中西信吾氏(日本軽種馬協会静内種馬場・獣医師)が指導にあたっている。馬について学ぶにはこれ以上ない環境が整っているといえるだろう。
サラブレッドが話題に上りがちだが、静内農業高校は他にもたくさんの本質的な学びを実現するプロジェクトが走っている。食品科学科の牛舎に行くと、取材の前日に産まれた仔牛に会うことができた。ここでは、アイスクリームやチーズなど、原料の生産から、商品開発、加工、流通まで六次産業(前記事『【マイスター・ハイスクール】未成年がワイン造り!?若手技術者をいかに育成するか?(山梨県立農林高校)』参照)について実践的に学んでいく。生産科学科園芸コースでは、土壌管理や栽培技術はもちろん、新たなアグリビジネスや農業起業について学ぶ。生きものを中心にプロジェクトが進行していく静内農業高校では、カリキュラムや受験に併せて刻まれて進行するような予定調和の学びでは実現できない成長の機会があふれている。
このように、もとから学校が持ち合わせていた環境や実践に、マイスター・ハイスクールのビジョンと方法論が加わることで、相乗効果を上げているという静内農業高校。その取り組みの随所に、今、多くの学校現場が抱える課題を解決するヒントがあった。
●学校の閉鎖感を打ち破る情報発信
静内農業高校の実践の追い風となっているのは、間違いなく「情報発信」にあるだろう。情報発信の価値を理解し、試行錯誤する姿勢を持つ学校は少ない。情報を出すことに対する抵抗や批判もある。公立校ならなおさらである。そんな中、Yahoo!と連携して生産物をネットで販売する授業や、特産品の開発などに取り組み「ふるさと納税」の返礼品に採用されるなど、地域の特性を活かしつつ「どこにいても仕事はできる」という感覚が身につくようにプロジェクトを牽引した立役者のひとりが、2018年から2022年度まで校長を務めた佐藤裕二前校長だ。
佐藤前校長は、意図的に情報発信に力を入れてきたという。学校内の活動については私学であっても見えにくい。日本の学校のホームページは、教師も生徒も顔が見えず、情報量が圧倒的に少ないと指摘されることがある。個人情報のあつかいなどのハードルもある中で、生徒たちが今何にチャレンジしているのかをいち早く発信できていることは、静内農業高校において「情報発信」の重要性が浸透し、学校の文化となりつつあることが窺える。本記事を執筆している1週間ほどのあいだにも、ホームページの「静農トピックス」には「ハーバード大学教授による講演会」「パウンドケーキをテーマとした商品開発」「博報堂によるデジタルマーケティングやDXについての講義」「コープさっぽろに出向いて商品の陳列方法とディスプレイの工夫講座」「カチョカバロとみそ(破砕・混合・仕込み)づくり」のほか、ラジオ出演や学園祭など目を引く活動報告が目白押しだ。
情報発信に力を入れていると言っても、発信する情報がなければ話にならないのだが、静内農業高校はコンテンツに事欠かない。
●マイスター・ハイスクールとの相乗効果
静内農業高校では、もともとプロジェクト型の学習方法が浸透していたという。これは、先日取材した山梨農林高校でも感じたことだが、農業はそもそもすべての活動がプロジェクトベースで進行していく。しかも、多くのプロジェクトは学校の中で完結できる形のものが多い。これは漁に出る必要のある水産系の専門高校とは異なる環境である。また工業系と比べて複雑性の度合いが高く、環境の特性や変化に合わせ、探究しつづけながらプロジェクトを進める必要がある。しかし、今まで学校内で完結していたものに企業や大学が参画することで「進化」させることができたという。
生徒の変化について、桑名真人CEO(前北海道農政部技術支援担当局長)は、対話力の向上を挙げる。学校内で完結できることが多かったこととの相関があるかもしれないが、初対面の人としゃべるのが得意でない生徒が多い傾向にあったという。しかし、マイスター・ハイスクールのプロジェクトでは企業人との対話の機会のほかに、メディア取材も少なくない。「『おにぎりアイデアコンテスト2022』で大賞と北海道農政事務所長賞を受賞した際、知事のところに挨拶に行ったのですが、生徒が堂々としっかり話すことができ、頼もしく見ていました。発表の場面を見ていても、2年3年になっていくにつれ力強くプレゼンできるようになったと実感しています」。
変化したのは、生徒ばかりではない。むしろ、先生たちが変わったから、生徒が変わったのだという佐藤前校長は、「先生たちには、多様な価値観に触れなさいと言っています。そもそも学校は閉鎖的で、学校の常識は非常識と言われたりします。たしかに学校は、今まで一問一答的な教育をしてきましたが、そこには幅も個性もありませんでした。しかし、地域や企業と接することでまず、先生たちの考え方が変わっていきました。柔軟に考えることができるようになって、生徒の発想を評価できるようになったんです」。
●探究と主体性
今、探究型の学びが注目されている理由は、従来主流だった一問一答の「詰め込み」型の学びでは、これからの時代に対応できないことや、ウェルビーイングの観点からもポジティブな学びになりにくいという反省からである。では、詰め込みではない学びとは何か。座学や暗記中心の学びが「詰め込み」なのかと言えば、そうではない。知りたいことや覚えたいことを暗記することは詰め込みではない。重要なのは「主体性」である。
静内農業高校の先生たちは、「驚きと発見」というキーワードで授業を構築しているという。驚きが探究のはじまりだというのはプラトンやアリストテレスの時代から言及されている学びの基本である。驚くから、興味を持つ。興味を持てば知りたくなる。学習意欲を高めるために、きっかけになりそうなことや、面白そうなことの種を蒔く。マイスター・ハイスクールのプロジェクトに本気で取り組むことで、連続的に驚きと発見があり、生徒たちの変化も分かりやすいという。
東京ドーム38個分の敷地に、動植物と共に暮らしながら学ぶ。「自然」と「学校」が、「生活」と「学び」が、「座学」と「実習」が分断していない。生徒も教員も、ここで起こるすべてが自分ごとである。今多くの教育現場で、学びを自分ごととして捉えるためにはどうすればいいのか、という議論が巻き起こっている。その答えの一つが、静内農業高校の環境と実践にある。
●不確実性のなかで学ぶ
もう一点特筆すべきことがある。農業は、昨年と同じことをやっても、同じにはならない。当たり前のようだが、模範解答が存在する学習観とはまったく異なる。「不確実性の時代」というのは、アメリカの経済学者ガルブレイスの代表著作で1970年代から言われつづけているキーワードだが、生成AIが実用化し、急激な変化の渦中にある現代においても、未だに確実性を求める声が多く、学校教育もその世界観から脱却できていない。不確実な環境に身を置くことで、はじめて気づき、学べることなのかもしれない。
不確実な環境では、チームで動いたり、コラボすることの重要性も感じやすい。一つの「正解」があるのなら、それを知っている人間が動くのが合理的だが、正解がないならそれぞれの強みや個性をお互いが理解して、協力体制を作った方がいい。静内農業高校でも、マイスター・ハイスクールに指定される前は教科や科目を重視しすぎる傾向があったと桑名CEOは言う。「先生方も、科目のなかで完結しようという意識が強かったのですが、それが変わってきました。フランスからゲストが来る際、伝統的な和食を作ろう、という話になり、家庭科の先生と英語の先生がコラボして料理を作るプロジェクトができたりしました。先生たちのそういう姿を見て、生徒たちも変わってきたと思います」。
●どうやって仕組みを残すか
静内農業高校は、かなりの数の企業とコラボをしている。マイスター・ハイスクールに指定されてからは、運営委員会に北海道教育委員会委員長や新ひだか町長が名を連ねていることで、さらに協力企業が集まった。その関係を継承する仕組み作りが課題だという。関わる企業の共通点は人材不足。産業人材を企業に送ることで仕組み化したいと桑名CEOは言う。「生徒は就活をする際、企業名で判断していましたが、中身を知って実際を知ると変わることを目の当たりにしました」。
佐藤前校長は「昔は偏差値で輪切りにされて、普通科に行けない生徒が来るみたいなイメージがありましたが、最近はかなり高偏差値を持っている生徒も入学してくるようになりました。色々なレベルの生徒の満足度を上げていくことが新たな課題です」と言うが、静内農業高校の実践するプロジェクト型学習は、学力の差は関係なく、それぞれ役割を持って主体的に関わることができる土壌ができつつあるように感じた。多様な生徒が一人ひとりが自分ごととして学び、成長し、巣立っていく、環境作りとその情報発信にも注目したい。
◾関連サイト
文部科学省マイスター・ハイスクール(次世代地域産業人材育成刷新事業)
◾シリーズ記事
【マイスター・ハイスクール】DX時代の創造的エンジニアを育成する場作りとは?(熊本県立八代工業高校)
【マイスター・ハイスクール】未来をになう海洋・水産のプロを育成する職業教育とは?(新潟県立海洋高校)