【マイスター・ハイスクール】未来をになう海洋・水産のプロを育成する職業教育とは?(新潟県立海洋高校)
文部科学省が2021年にスタートした地域産業の担い手を育てるプロジェクト「マイスター・ハイスクール」。産官学が連携して、今までの専門高校のイメージをくつがえす最先端の人材育成を目指す。この連載では、そのモデル校に指定された全国の専門高校を取材し、取り組みと効果、課題や展望を整理し、「地域と共創するこれからの学びづくり」という視点で考えたい。(「マイスター・ハイスクール」の概要については前記事『【マイスター・ハイスクール】DX時代の創造的エンジニアを育成する場作りとは?(熊本県立八代工業高校)』をご覧ください)
●元教員が牽引するプロジェクト
プロジェクト全体をマネジメントする「CEO」というポジションの設置がマイスター・ハイスクールの要の一つである。マイスター・ハイスクールCEOは産業界から選出されるが、新潟県立海洋高等学校(以下、海洋高校)のCEOを務める株式会社能水商店代表取締役の松本将史氏は、もともと海洋高校の教員である。
赴任中、糸魚川市の近隣河川に回帰するサケの有効利用と海洋高校の職業教育を推進するために、地元糸魚川市と同窓会である(一社)能水会、海洋高校の3者による「糸魚川市水産資源活用産学官連携事業」を構築。生徒自身が魚醤の製造販売事業を展開する「能水商店」を経営した。教員と魚醤製造販売のパラレルキャリアを歩んだのち、継続した「実物学習」の機会提供と循環するサケ資源に基づく事業拡大を両立するため、16年間勤めた海洋高校を退職、能水商店を株式会社化した。松本CEOは「生徒にどうなって欲しい、という教員的な視点はあまりなく、自分が面白いと思うことをやってきた結果です」と苦笑するが、それができるのは海洋高校の文化や授業の現場をよく知っているからこそだろう。注目すべきは越境者ならではのプロジェクト運営にある。
●形にしてマネタイズする、CEOの「突破力」
海洋高校が他のマイター・ハイスクール指定校と違うところは、指定されてからプロジェクトを始めたのではなく、すでに結果がでている状態からスタートしたところにある。2010年に食品科学科の課題研究として鮭魚醤の開発がはじまり、2013年には鮭魚醤「最後の一滴」の販売を開始。加工から販路開拓、海外での催事販売までこなす生徒の活動は、2016年にはグッドデザイン賞、2017年には「第10回海洋立国推進功労者表彰(地域振興部門)」内閣総理大臣賞も受賞している。
近隣河川に遡上したサケは、その品質から多くは廃棄されていた。「最後の一滴」は、そのサケをまるごと発酵させて製造する。「最後の一滴」プロジェクトは軌道に乗り、2019年以降、地元の能生川含め近隣5つの河川に遡上した売り先のないサケは全て買い上げることができるまでになった。これにより、海洋高校生への学習機会提供にとどまらず、サケ資源の有効利用と漁協の収益増にも寄与している。
海洋高校の産学連携実績は、サケだけではない。「最後の一滴」ができる以前から、地元漁協と連携したマコンブ養殖やヒラメ種苗生産と稚魚放流に挑戦し、数々の成果を出している(渡邊憲一著『海洋高校生たちのまちおこし』に詳しい)。すでに結果が出ているなら、ハードルは低いように聞こえるかもしれないが、別の課題があった。増田てつ志校長は一番の問題にマネタイズを挙げる。「地域にあって、特色ある教育活動が5年後10年後も継続されないと意味がないんです。しかし、プロジェクトを進めていくと資金面で問題がでてきます。生徒が地域の水産資源を使って開発した商品が売れたら、この収益を次なる彼らの学習活動に直接的に還元する。糸魚川市と(一社)同窓会と連携したことで、この問題を克服できたのが糸魚川市水産資源産学官連携事業なんですね」。
県立高校の実習施設で生産した製品の売り上げは、もちろん県の会計で処理されなければならない。「最後の一滴」の生産拠点は、学校から徒歩10分の場所にある廃業した食品工場の建屋を改装してつくられた。設置にかかる3,000万円の費用は糸魚川市が負担。さらに、特色ある教育活動によって通学域外からの入学生が増加することを見越し、学校近くの教員住宅を3,000万円かけてリフォームし女子寮を設置した。
株式会社能水商店は、創業から4年間で560万円の会社経費を生徒の学習活動(商品開発費、催事販売の生徒旅費や出店料、販促費用等)に充てていて、この半額は市の補助金の対象となっている。「生徒が開発した商品が営業マンとして一人歩きし、今では100人を超える通学域外から入学した生徒がこの地域に住んでいます。地元自治体の期待にこれからも応え続ける学校運営の視点を持たなければなりません」と松本CEOは語る。
●アントレプレナーシップを養う実習授業
元教員であり、実業家である松本CEOの取り組みは、今教育界で話題になりつつあるアントレプレナーシップ教育の中心といえる。私自身も取り組んでいるテーマの一つだが、まだまだ誤解が多く、「チャレンジ精神」や「起業家マインド」のことだと捉えられるため、保守的な進学校の校長からは「保護者は安定した就職のための進学を求めているから取り入れにくい」という声も聞く。また実際、取り入れたところでアントレプレナーシップを持った教員からでないと、アントレプレナーシップを学ぶことは難しいという構造的な問題がある。松本CEOも「民間経験なく現場を知らずに水産加工の教鞭をとっていた20代~30代前半に向き合った生徒たちに、果たして良い"教え"をしていたのか? という反省から起業に至った」というが、そういう意味でも、マイスター・ハイスクールが目指す実務家教員在りきの学びはますます重要になってくると考えられる。
私自身、教育業界しか経験がない教師によるキャリアや進路指導は難しいという現状を改善するためにパラレルキャリアを歩んできたが、専任教師にはハードルが高い。本プロジェクトのように、実務家教員やキャリアコンサルタント資格を持つ教員が増えることで改善が期待される。
●リアリティのある職業教育を求めて
OECD(経済協力開発機構)は「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲」を“エージェンシー”として重要視しているが、これは地元のリソースを活かして、産官学が連携してエコシステムを作っていこうというマイスター・ハイスクールの意義と合致する。しかし、松本CEOの評価はシビアだ。「マイスター・ハイスクールって呼ぶなら、ドイツ文化圏に根付く職業教育システムの様に、生徒が企業に雇用されてOJTで技術習得をしていくような仕組みを目指すべきと思いますが、これは日本の高等学校の全日制課程ではできません。“マイスター”という言葉を本家ドイツ並みに真面目に定義するなら、私たちの取り組みは失笑に値します」。
それでも、閉じられた学校のなかで、コストや顧客満足を意識しない授業実習が継続されていくよりは大きな変革であろう。多忙感を極める教員の資質・能力の向上は「研修」を受けて簡単に高まるものではない。また、「探究学習」のプロセスに伴走できるスキルを持つ学生がこれから逐次採用されて来るとも限らない。「先生方には、これまで通りの学校業務をこなしてもらい、新しい学習プログラムの導入に当たっての外部との連絡調整、学習成果を商品やサービスとして地域に根付かせていく仕組みの構築などをこなすのがCEOの役割なんだろうと思います」。
とはいえ、2013年にドイツのマイスター養成システム「デュアルシステム」を見てきた松本CEOの思考には、「キャリア教育」ではない「職業教育」の視点が色濃い。「“探究学習で大事なことは生徒の主体性”ってよく言いますよね。主体的な探究なんて、汗水垂らして取り組み、真にその課題が自分事になって初めて出来るのだと思います。そういう意味で、探究学習の前に圧倒的なボリュームの職業教育が必要なんです。とかく、反復する作業を子供たちにさせることを嫌う傾向がありますが、これが職業人の基本ではないですか? もちろんICTの利用も大切ですが、これは仕事に就いてからでも教えられます」。
そんな思いから、糸魚川市水産資源産学官連携事業が始まった当時は、土日もなく生徒たちと魚醤の製造販売をしていたという。取り組む生徒たちはどんどん逞しくなり、大人顔負けの営業ができる生徒が何人も生まれた。一方で、負荷が高すぎて活動から離れる生徒もいた。「昭和の根性論を持ち出す気は全くないです。これからは、週5日で完結する仕組みづくりが必要ですね。短時間でもキレのある学習機会を提供して、私たち大人が一緒に働きたい、と思える人間にして卒業させたいですね」。
●主体性を育むには「ゼロベース」でなくてもいい
私も日常的に中高生に接しているが、明確にやりたいことがある生徒はほとんどいない。そんな中で、自由にテーマを決めたり、自分事として捉えられる社会課題を見つけたりしろと言われても無理がある。主体性が乏しければ、自由はストレスになりかねない。しかし海洋高校では、地域や企業でいきいきと学んでいる生徒の姿もめずらしくない。そこには、学校教育のなかで主体性を育む上で効果的な視点と実践があった。
例えば、魚沼の雪室からウオヌマ株という乳酸菌が見つかったので、それで新潟オリジナル鱒寿司をつくってみる。あるいは養殖したチョウザメでフィッシュアンドチップスを作ってアンテナショップで販売してみる。海洋高校の教員は、まだやりたいことが見えない生徒たちに、次々にアイデアや企画を提示する。「学校内外のこれまでの取り組みのなかに、既に課題がたくさんあるので、生徒がゼロベースで課題を発見して取り組むことはほとんどないです。そこに生徒の主体性はあるのか? と問われることもありますが、プロジェクトを進める中で、生徒のアイデアや判断を試す機会をつくることが第一歩と思ってます」。
答えのない問いに立ち向かったり、知識や経験がなくても考えることができる力を重視するのは最近の教育界の傾向だが、知識・技能や経験を増やすことで柔軟さも臨機応変さも身についていく。アイデアが思いつかないのであれば、面白いと思う他人のアイデアに乗ってみて、そこで自分のできることをする。そういう経験の積み重ねが、真の主体性やアイデアを創出する力を育むはずである。
●「たまたま学校にいたプレーヤーに依存しない」仕組みづくり
先生方の学校業務はそのままで、CEOや実務家教員が外部と連携した新たな学びをつくり、その成果で地域を活性化させる。 そのためには民間の力が必要だが、連携を取り続けるのは並大抵の労力ではない。「ある先生が外部と連携して教育活動を展開していても、その先生が異動したことで活動が途絶えてしまう、というのは学校によくある話です」とCEOは言う。その学校にとって、その教育活動の継続が有益かどうかの判断は、短いスパンで交代してしまう校長ロールでは難しい。全国的には、地域の実情に詳しい「校長補佐官」を置いているような学校もあるが、そういう方法が必要だろう。
昨年、マイスター・ハイスクール事業の一環で、水産増養殖を学ぶ生徒たちがサケの発眼卵放流をした。これまでは、孵化場で4ヶ月にわたって飼育管理して稚魚を放流してきたが、この放流法は稚魚育成をせずに発眼卵を川底に埋め、野生種に近いたくましいサケを育てる。母川への回帰率向上や飼育コスト減、担い手不足解消など、さまざまな効果が期待されている。ただ、この効果が確認できるのはサケが帰って来る4年後だ。「日本で最初のサケ発眼卵放流の実装です。学習活動を持続可能な地域づくりに役立てる。このような活動を諦めず維持するためには、たまたまその学校にいたプレーヤーに依存しない仕組みが必要ですよね」。マイスター・ハイスクールの表面化しない価値がここにあるように思える。
生徒たちに、この学校に入って自分はどう変わったか話を聞いた。「ここに来るまでは責任を持つのが苦手で積極的になれなかったけれど、積極的になれた。将来は地図に残るような海の建設の仕事がしたい」「自分で分析して考える力が身についたと思う。JA へ行って食の加工・販売・管理の仕事がしたい」決して弁が立つわけではないが、たしかに自分の言葉で未来を語る生徒たちを見て、「思ったよりしっかり話せていてびっくりしました。しっかり評価しなければ」と、生徒たちを集めてくれた食品科学コース長の矢口教諭が顔をほころばせた。マイスター・ハイスクール3年目の成果にも期待が集まる。