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日本社会の再生そして新境地の展開のためには、高い「人的流動性」こそが「カギ(鍵)」だ。

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
日本社会の中心を担う企業の中心地・大手町(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 筆者は、拙記事「1980年代以降の日本の経済および企業の失敗の原因はこれだ…二冊の本の『裏メニュー』(上)」および「1980年代以降の日本の経済および企業の失敗の原因はこれだ2冊の本の『裏メニュー』(下)」において、ある2冊の本を通じて得た知見に基づいて、日本の経済や企業が現在非常に厳しい現状にある要因について論じた。そこで論じた要因として、「(日本人や日本社会の)unlearn(学ばなくなっている)」「(日本の経済や企業の)固定化や完成化」「多様性への不寛容」などを挙げた。

 そのことを受けて、本稿では、では日本はなぜそのような社会になり、日本企業はそのような組織になってしまったのかについて、考えてみたい。

 日本の社会や企業等も、猛烈なグローバル化やコロナ禍などのこれまでの延長線上の思考では問題や課題の解決のできない状況に置かれており、徐々に変わってきている。だが、飽くまでも「徐々」になのだ。他方、国際社会や海外企業は猛烈な変化あるいは進化を遂げており、日本の社会や企業等の「徐々なる変化」は相対的に「変化なし」あるいはさらに「退化」「後退」を意味することになってきているのである。

日本の企業や経済は再生できるのだろうか?
日本の企業や経済は再生できるのだろうか?写真:アフロ

 日本の経済や企業が、輝いていたといえる1970年代、80年代は、日本経済や日本企業は世界を席巻するかのような勢いがあり、日本的経営こそが、中長期的な視点もあり、ベストな仕組みであり、そのアプローチが未来永劫続かのようなイメージがあった。

 それは、今から思えば、単なる幻想であり、日本の経済や企業の現状は当然といえば当然に起きる事象であったということができる。なぜなら、もしそれが優れていればいるほど、他国や他企業はそれを学び、さらにバージョンアップしたやり方を創意工夫してくることになるのだから、それを維持するだけでは、現在の状況は当然の帰結となるのだ。

 しかも、その日本的経営は、日本人だから日本社会だから可能なのだという、日本人や日本社会の誤解もあったと考える。もしそうなのであれば、日本人や日本社会はずっと「安泰」ということになるが、然うは問屋が卸さなかったのである。

 現実には、各社会や各民族には特徴的なことや相違点等はあり、適応上の変化・修正や対応は必要だが、多くの場合、程度の差こそあれ適応は可能だ。であれば、当然に変化し続けられない社会や組織は、後塵を拝していくことになる。日本の社会や企業等の現状は正にそのこと証明している。

日本的経営とは時代のあだ花に過ぎなかったのか?
日本的経営とは時代のあだ花に過ぎなかったのか?写真:アフロ

 さて、この「日本的経営」とは、一体どんなものだろうか?

ブリタニカ国際大百科事典・小項目事典によれば、「日本的経営」とは、次のように説明されている。

 「日本の特に大企業に特徴的に現れているとされる経営の手法やシステム。俗に日本的経営の『三種の神器』とされるのは終身雇用、年功序列、企業別組合であるが、集団主義、参加的意思決定、系列間取引などさまざまな要素が含まれており、また内容は時代によって変化してきた。日本的経営は戦後しばらくは日本の後進性の現れと批判されたが、日本が高度成長をとげると一転して日本の強さの源泉と肯定的に評価されることが多くなった。しかし、その後はアメリカから『系列』取引や、リベート制、建値制など閉鎖的な商慣行が批判されたり、国内でも過労死などを生む土壌があるとして見直しの必要を指摘する声が強まった。」

 要は、日本的経営とは、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」を特徴とする経営方法である。その3つとも、終身的に一つの組織・企業に勤務することを前提としている。しかも、日本的経営が絶賛されていた当時は、社会の変化およびそれに伴う組織・企業の変化と拡大のスピードは、現在からすればかなり緩やかであり、すべてのことを内製化し、内製化した活動・機構等に対応できる人材の育成もかなり可能だったのである。

 そして、上記の説明にもあるように、日本の経済や企業が大きく成長している際(日本の場合は、高度経済成長の時期)には、社会の成長・拡大と組織の成長・拡大が連動し、1つの組織内でのダイナミズムが生まれ、個々人の成長・自己実現・栄達等の実現を生みだし、そのことがまたさらに組織ひいては社会への力を創出するという好循環が生まれていたのだ。そして、日本企業の世界的躍進と日本経済の輝かしい時代が築かれたのだ。

 その「終身的に一つの組織・企業に勤務すること」という前提は、極端ないい方をすれば、「労働市場」が企業・組織内に存在し、社会的には存在してないことを意味する。それは、いわゆる「会社(組織)」が生活や社会の中心的役割を担い、個人は「会社」に忠誠を尽くし、「会社」を中心に社会が機能していく「会社主義」を形成したのだ。

 そのような状況では、個々人も社会も「会社(組織)」の枠の中で機能することになる。そこでは、社会が拡大しているときには、「会社(組織)」も拡大し、社会と「会社(組織)」の方向性は相互補完的であり、同じ方向に向きやすく、相互のダイナミズムが連動することになる。

 ところが、社会の拡大が弱まるあるいは止まると、「会社(組織)」の拡大は止まるが、組織の慣性の法則は継続する。また世界や社会の置かれた状況が大きく変わっても、その慣性の法則が継続し、それに引きずられる「会社(組織)」は、当然に組織の論理や視点があり、徐々には変化していくが、それはどうしても「視野狭窄」に陥りがちだ。それは、社会(組織)、特に成功している「会社(組織)」は「継続の論理」に引きずられることを意味する。

 そして日本は、脆弱な社会的労働市場、つまり社会的人的流動性が低いので、会社(組織)にいる人材は、改革や変革の必要性を感じたり理解しても、仕事や収入のことを考えると、組織内の視点やルールあるいはレガシーを優先しがちになる。その結果、会社(組織)はズルズルと劣化し、日本の経済や社会自体も、低迷していくことになる。それが、今の日本の現状だ。

人的流動性の向上が今こそ必要だ。
人的流動性の向上が今こそ必要だ。提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 筆者は、これまでも日本社会の変革の周辺とはいえ関わってきた一人として、この現状を非常に残念に憂えている。何とかしたいと考えている。日本社会も日本人も、いい点がたくさんあるし、今後とも世界に大いに貢献できると考えている。そのためには、今の日本社会にも大きな変化、変革が必要だ。

 そのような変化等を生み出していく上で、今の日本社会や日本人にとって必要なのは、これまでの説明からもわかるように、日本社会における「終身雇用」的組織をなくし、社会における人的流動性を高めることなのだ。もちろん今後とも終身雇用をはじめとする日本的経営をする会社(組織)があってもいいが、日本の会社(組織)を人の出入りがより自由にできるようにする必要があるのだ。それができれば、個々人は、会社(組織)の成功体験に基づく既存のルールや前例などのレガシーを超えて、より柔軟に考え、組織の変化に向けた行動がとりやすくなるし、その変化を受け入れやすくなるはずだ。

 またそのような人的流動性の高い社会では、個々人は、特定の会社(組織)に縛られず、自身の考えや価値観を堅持しながらも、より自由にキャリヤや人生を選択できるはずだ。

 すでに一部の会社(組織)ではその方向に進みつつあるし、副業・複業などへの考え方や対応の社会的な認知度・受け入れ度が高まってきていることなどにも、日本社会自体がその方向に進みつつあることがみてとれる。

 また中央や地方の政府、行政組織でも、中途採用や任期付きの専門職的採用がかなり増えてきている。しかしながら、日本社会の人的流動性が高まるにはまだまだ不十分だ。

人的流動性の向上が、新しい日本の可能性を生み出してくれるだろう。
人的流動性の向上が、新しい日本の可能性を生み出してくれるだろう。提供:CYCLONEPROJECT/イメージマート

 これは筆者の独断と偏見だが、近代の歴史的にみても、日本社会では、あらゆる組織が官つまり行政組織をモデルに組織づくりがなされてきた(注1)。その意味からも、日本の中央官庁の組織をまず変革し、人材の出入りをより柔軟にしやすくし(注2)、それを民間の会社(組織)の対応にも波及させていってはどうだろうか(注3)。

 このようにして、日本社会の人的流動性を高め、個々人の能力や知見・経験を組織の枠を超えて活かしていけるようにし、個々人の相互間の競争やケミストリーの変化が起きるようになれば、日本社会は、官も民も今一度その社会のダイナミズムを勝ち得て、よりエキサイティングで面白いものになっていけると確信している。

 日本社会の新たなる展開と発展の「カギ(鍵)」は、「社会的流動性」である。

(注1)この淵源に一つは、「明治政府が民間産業を育成するため、所管の官営鉱山や官営工場の一部を、民間の払受け人とくに特権的政商などに払い下げた措置」(出所:小学館・日本大百科全書(ニッポニカ))である「官営事業民間払下げ」にあると考えられる。

(注2)実際、近年は中央政府の人材の流出が増えてきているといわれている。またもし、日本社会における人的流動性が高まれば、「天下り問題」や「忖度問題」などもかなり解決できると予想される。

(注3)これによって官民格差や「官」と「民」の間のコミュニケーションの向上も期待できる。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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