1980年代以降の日本の経済および企業の失敗の原因はこれだ…二冊の本の「裏メニュー」(上)
最近、偶然にも同一著者による二つの本を読んだ。1冊は、『GAFAM VS. 中国Big4』(以下、「プラットフォーマー本」と呼ぶ)であり、もう一冊は『起業の天才』(以下、「江副本」と呼ぶ)である。
著者は、大西康之氏だ。同氏は、1965(昭和40)年生れの愛知県出身。1988(昭和63)年早稲田大学法学部を卒業され、日本経済新聞社入社。1998(平成10)年、欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016(平成28)年4月に独立されている。著書に『三洋電機 井植敏の告白』『稲盛和夫 最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア佐々木正』などがある。
大西氏は、この経歴や著書などからもわかるように、経済、特に経済人の視点や活動から、社会や経済における問題・課題および新しい可能性・可能性を追求し、鋭く切り込んでいる。本記事で取りあげている2冊もその延長戦上にある。
前者(「プラットフォーマー本」)は、「データの世紀」といわれる現代における主役であるといわれる世界の主要プラットフォーマーである米国の「GAFAM」と中国の「Big 4」を取り上げている。GAFAMとは、米国のメガテックであり、巨大プラットフォーマ(注1)である「グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト」のことであり、Big4は、BAT(百度(バイドゥ)、アリババ、テンセント)に「ティックトック」のバイトダンスを加えた中国のプラットフォーマーのことである。
最近、これらの世界的巨大プラットフォームに関する記事や著書は大量に出版されているが、当該書のユニークな点は、各プラットフォーマーなどの創業者や中心人物にフォーカスして描いている点だ。つまり、各企業の活動や商品を説明・紹介しているのではなく、それらを生み出した個人やその人となりや背景を描いていることだ。そして彼らこそが、新しい経済の発展や躍進を生みだしていることがわかるのだ。
その中でも、筆者の注目を特に引いたのは、中国の今を時めく大企業創業者の多くが、日本企業や日本人特に日本の起業家・創業者(松下幸之助、本田宗一郎、井深大ら)からいかに多くを学び、現在の成功を生んできたかという記述であった。その観点から現在の日本の社会や企業の現状をみると、何ともいえない気持ちになる。それらの日本の起業家・創業者の書いた書籍や彼らに関する書籍や記事は日本でも今もそれなりに売れ、読まれていること等を考えると、彼らに対する畏敬やリスペクトは現在の日本社会でもあると考えられるが、世界経済のコンテクストにおける、日本の現在の経済や企業活動の惨憺たる現状をみると、日本社会や日本人・日本企業は、それらの中国人創業者と比較して、彼らの経験や知見・考え方から本当に学び、それらを自分達の言動や活動に適切に活かしてきたのだろうかと疑問に駆られるのだ。そして、日本の現状に対して、日本人として非常に歯がゆく、情けない気持ちを持たざるをえないのである。
後者(「江副本」)の著書は、現在株式時価総額で、国内10位で7兆円超の総合情報産業会社である「リクルート」の創業者である江副浩正氏の成功と挫折を描いている。
著者によれば、江副氏は、情報やコンピュータなどを駆使する、当時日本では誰も理解できていなかった情報産業を的確に理解し、今から考えればコンピュータなどで情報を活用するプラットフォーマーともいえる、世界的にも先駆的情報産業企業を生み育てあげていたのである。
しかし、江副氏が大活躍したリクルートの創業期から躍進期は、日本の企業・経済が、その高度成長からバブル期(昭和30年代半ば[1960年代]ごろから昭和60年代[1980年代半ば]ごろ)にあたり、「ものづくり大国」として大成功し意気揚々としていた時期であった。他方、それは、第二次世界大戦後の日本経済の構造がほぼ完成に近づき、固定化しつつある時期でもあったのである。
今から思えば、実はその完成・固定化こそが、その次の時期から現在までに至る日本の企業・経済の次なる発展を阻害し、その失敗と敗北の元凶をつくりだしたと考えることもできるのである。
その大成功は、日本の企業人・企業や経済・社会に、ある意味での慢心や過信を生んだ。成功をし続け、生き残っていくためには、時代の変化と共に、成功のための新たなる方策やアプローチを絶えず追い求めて、企業も人も変化、進化・深化していくことが必要なのだが、日本は、自身の成功のなか、たとえ世界や社会が大きく変貌しても、その変化や先を見据えて適応していくことの必要性や重要性を忘れてしまったのだ。
その点に関して、筆者がいつも思い出すことがある。
もう4、5年ぐらい前になるだろうか。筆者は、ある経済団体が主催したシンポジウムに参加した。その最後のセッションで、中国人の起業家であるパネリストが、次のような趣旨で発言していたのを今でも鮮明に覚えている。
「日本は、良い社会で、整っている。日本人はその現状に満足し、学ぶことをしなくなってしまっている。」(注2)
そうなのだ。日本は、第二次世界大戦後の経済における成功に満足し、いつしかその成功をもたらしたビジネスモデルこそ最高で、普遍的なものであり(注3)、日本のやることは「正しく」「間違いがない」「必勝のもの」「未来永劫のもの」であると過信、慢心してしまったのだ。そしてその延長線で、日本が成功した「ものづくり」のモデルこそが、経済のすべての中心であると誤解し、思い込んでしまったのだ(注4)。
そのことが、世界や社会の大きな変化への日本の企業や経済の変化・適用を妨げ、その変化を理解し適合し、新たな変化を生み出す可能性がある人材(ここでは、江副氏)を潰していったということもできるだろう。
リクルートは、現在も日本を代表する企業の一つであるが、世界的な情報産業やプラットフォーマー的な視点からすると時代的にやや先行しすぎていたがゆえに、日本社会では必ずしも十分に理解されず、世界的なプラットフォーマーの先陣にはなることはできなかったということができるといえるだろう。
…次号に続く…
(注1)プラットフォーマーとは、「企業や個人などが、特定のインターネットサイトなどの利用者を対象に、販売や広告などのビジネスを展開したり、情報発信したりする際のサービスやシステムといった基盤(プラットフォーム)を提供する事業者。事業者が、自身が提供するプラットフォーム上でビジネスなどを行うことはほとんどない。」(南 文枝 ライター/2018年) 出典:「プラットフォーマー」(「知恵蔵」[(株)朝日新聞出版発行])より一部抜粋。
(注2)そのパネリストは、「アンラーン(unlearn)」という言葉を使っていたのが、象徴的だった。
(注3)実際、当時米国を含む海外は、日本型経営を評価し、それを猛烈に学んで、自国の経済や企業を改善し、変化させていたった。本論の「プラットフォーマー本」には、特に中国人の創業者等が、日本の起業家・創業者から多くを学んでいるということが書かれていることは、本文でも述べた。
(注4)筆者は、「ものづくり」の大切さも理解している。