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イラク:「イスラーム国」は今年も麦畑に放火する

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 イラクやシリアは、現在小麦・大麦の収穫期を迎えている。主食となる穀物の収穫は、収穫や出荷のための機材や燃料の調達、作業にあたる人員の確保、出荷価格の決定、などなどの業務も伴うため、農村部では多くの労力を費やす大事業だ。これに加え、イラクやシリアでは紛争や近年の干ばつの影響で収穫高の多寡だけでなく、そもそも収穫・出荷が円滑に行われるかも問題となる。紛争当事者のどの勢力の受け入れ機関に出荷するのか、燃料や農薬が不足しているためちゃんと害虫駆除ができるのか、適正な出荷価格が設定されているのかが生産者にとって問題となるし、社会全体にとっても収穫された穀物が適正な価格や品質で消費者のもとに届くのかが重大な関心事となる。イラクとシリアでは、最悪水準だった干ばつ被害が過去1~2年の比較的順調な降雨によって若干緩和された模様だが、水源となる河川の流量と水質汚染の問題は依然として深刻な状況だ

 また、農作物の収穫期にはみんな大好き(?)「イスラーム国」が「敵方の経済に打撃を与えるため」と称し、畑に放火することを「戦果」として発表するのが常となっており、同派の活動も現地の生産者や消費者を困らせるだけの不毛な問題となっている。かくして、今期も「イスラーム国」はイラクの小麦畑を放火するために現れた。写真1は、「イスラーム国」の週刊機関誌に「戦果」として発表された小麦畑を放火する模様の画像だ。「戦果」についての記事には、放火したのはイラクの治安部隊の一つである「部族動員隊」の幹部の畑であるとか、(放火の通報などを受けて駆け付ける)イラクの治安部隊を待ち伏せて爆破した云々の記述があるのだが、収穫前の畑に放火したのは紛れもない事実であり、イラクの生産者にも消費者にも迷惑以外の何物でもない行為を「戦果」として誇っていることには何の変りもない。

写真1:2024年5月23日付『ナバウ』誌より
写真1:2024年5月23日付『ナバウ』誌より

 週刊の機関誌を眺めている限り、「イスラーム国」の活動状況は最低水準に低下した2023年と、その底へ向かって低落していた2022年の中間くらいの状態で推移している。もっとも、最近のバーミヤンでの西洋人観光客殺傷事件のように、報道露出が見込まれる対象への攻撃を強化している模様であることなど、警戒すべき点がいくつか見られる。機関誌で公表される戦果の件数が増加しつつあることも要注意事項で、戦果の増加は主にアフリカ各地の「州」戦果だ。モザンビークやサヘル地域では、地元住民を(無理やり)動員して「イスラーム国」の者が説教を垂れる「教宣」活動や、商店と市場で扱う商品とその価格に干渉する「ヒスバ」と呼ばれる宗教警察の活動についての情報が増えていることも、「イスラーム国」が領域を占拠している場所がこの世のどこかに存在していることを示す嫌な指標だ。機関誌の頁数も、2023年末ごろから週8頁で刊行されることが多くなっていたものが、過去数カ月はそれ以前の量の12頁に戻そうとする努力が続いている。頁数の増加は、戦果や教宣活動の増加(あるいは水増し)だけでなく、公式報道官の演説や週刊誌上の宗教訓話のような記事の掲載によって試みられているので、週刊誌の頁数が「順調に」回復するということは「イスラーム国」の広報活動とそれに従事する者に対する監視や取り締まりが弛緩している証拠となる。この種の著述の増加は、「イスラーム国」の構成員や関係者が(「戦果」とは関係のない)著述にゆっくり時間をかけられる上、そうした作品を週刊誌の編集部と余裕をもってやり取りできる「安全な」空間があることを意味するからだ。広報活動の活発化は、現実の世界での攻撃や「戦果」の増加と連動するものなので、「イスラーム国」の根絶を願う身からすると関係当局には何かおおごとが起こる前に予防策を講じてほしいところだ。

 では、このまま「イスラーム国」は監視と取り締まりが弛緩する中で復調するのだろうか?正直なところ、同派の復調はそう簡単なことではないと思われる。というのも、「イスラーム国」が上述のような畑の焼き討ちを「戦果」として誇るのは、同派がそれを「経済戦争」として敵を攻撃する手段だと思っているからで、「経済戦争」の攻撃対象には電力供給網も含まれている生産手段や社会資本の破壊は、これを建設したり防衛したりするよりもはるかに安価かつらくちんにすることができるので、攻撃する側にとって魅力的な行動に見えるかもしれない。しかし、この種の攻撃は、直接敵対する敵軍やほかの非国家武装主体だけでなく、一般の人民全体の生活水準を低下させる行為に他ならない。つまり、本稿の場合イラク人民にとって「イスラーム国」の「戦果」は自分たちの快適な生活を妨げるだけの迷惑行為であり、(サービスの提供や経済的な利益の誘導のような)人心掌握や求心力の向上とは対極の行動だ。となると、「イスラーム国」は今やイラク人民に何か恩恵や利得をもたらす意志や能力がなく、イラク人民に好かれようとも思っていないということだ。最近アフガニスタンのバーミヤンで発生した西洋人観光客殺傷事件も、同様の発想や傾向に沿ったものだ。「イスラーム国」が本当に地上にイスラーム統治を実現することを目的としているのなら、同派はネット上で報道機関やファンにウケるだけでなく、現実の場でそこに暮らす人民に喜ばれるような実績を積み重ねる必要がある。しかし、現時点での同派の活動はそれとは正反対の方向に進んでいるように見えるので、このまま復調したとしても、かなり低い水準で「天井」にぶつかり、低落傾向に戻るのではないだろうか。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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