イラク:「イスラーム国」は今年も畑を燃やす
過日、国際情勢や降水状況に鑑み、今期のイラクの小麦の生産が思わしくないことは既に指摘した。元々この地域で天水に頼って農業を営むことは不確実性が高い事業なのだが、これに従事する者たちも降水状況によって作付け面積が大きく変わるので、状況によっては都市部に一時的に転居し、状況が改善すれば農業に戻るという働き方も珍しくなかったそうだ。しかし、より広範囲での降水量の不足により、チグリス・ユーフラテス川のような大河とそこでの貯水・灌漑事業もあてにならなくなるようならば、農業に完全に見切りをつけた人口の移動がより深刻な問題となるだろう。その場合は、単にイラク国内での農村から都市への移動ではなく、イラクからより生活水準に恵まれた地域への人口移動が生じることも考えておかなくてはならない。とりわけ、これまでの実績に鑑みウクライナからの難民を献身的に受け入れたことになっているヨーロッパ諸国がイラクからの移民・難民を快く受け入れることは到底望めないので、深刻な問題が発生することを想定した対策はいろいろな意味で急務だ。
もちろん、イラクでは降水不足による不作の中でもなんとか収穫期を迎えることができた麦畑はそれなりにある。ところが、そんな健気な農作物とその生産者たちの苦労を一顧だにしないどころか、畑や農作物を焼き払うことを何よりの目的と喜びとしている者たちがいるのも、残念ながらイラクの現実だ。そのような者たちとは、みんな大好き(?)「イスラーム国」の者たちだ。同派は、例年イラクやアフガニスタンで「経済戦争」と称して収穫期を迎えた麦畑を焼き討ちしたり、人民に電力を供給する施設や人員を攻撃したりしてそれを「戦果」に計上している。タイトルの画像と本文中の画像は、いずれも2022年5月25日付で「イスラーム国 イラク州キルクーク」名義で出回った作品だ。ここでは、「背教ラーフィダ政府に与する民兵の農作物を焼き討ち」と称して麦畑に放火し、それを喜ぶ場面が映し出されている。
例年「イスラーム国」が各地で繰り返す敵方の社会基盤を破壊する行為だが、これにはどのような意味があるだろうか?敵方の経済に打撃を与え、社会を動揺させるという効果が期待できるという戦術的な意味があるかもしれない。人民の生活水準を下げ、政府への支持を減退させる効果が期待できるかもしれない。また、このような「作戦」は当然ながら壊す方が警備したり壊された施設を修理したりする方よりも有利なので、「イスラーム国」にとっては安全かつ安価に「戦果」を上げられる作戦とみなされるのかもしれない。しかしながら、落ち着いて考えてみれば「イスラーム国」が生産設備の破壊に精を出している場所は、いずれも同派にとっては征服・統治すべき場所である。つまり、もし「イスラーム国」が本当に何かの政体だというのならば、統治する土地の経営や人民の生活水準の向上のついて多少は構想じみた情報を発信してほしい所だが、そうした著述をまったく見かけなくなって久しい。また、「イスラーム国」がムスリム人民を統治して繁栄や幸福をもたらすつもりならば、ここ数年のイラクの気象状況に鑑み、河川の上流に位置するトルコやイランに「もっとイラク向けに水を放水せよ」と脅迫したり、実際に攻撃したりする方がよほど「それらしい」と思うのは筆者だけだろうか。ちなみに、「イスラーム国」はイラク・シリアで広域を占拠していた時分から、農業や電力などの生産分野では既存の施設の運用や改修を「実績」と主張するだけでより大局的な経営や計画について一言も話してくれない。同派の誇っていた「官僚機構」も、あくまで広報活動を運営する、戦闘部隊を運用する、収奪や外部からの支援で得たお金を構成員に配布する、分野の話であり、人民の生活水準の維持・向上とは無関係な存在だったということだ。
現在は、美麗な広報や広大な占拠地域という、視聴者を幻惑して「イスラーム国」の性質や実態を見誤らせる材料が削ぎ落された状態にあり、今同派がしていることこそが、「イスラーム国」とその支持者やファンが本来持っていた性質を示すものと言えるだろう。例え宗教的な理由により非妥協的な敵対者とみなす相手のものであっても、今破壊した生産設備は将来「イスラーム国」が征服すべき場所にあるものだ。壊すことしか考えない「イスラーム国」による「統治」の復活を夢想する者はもういないだろうし、焼き尽くされた荒野に戦闘員だけがいる、という姿以外に「イスラーム国」の将来は見えてこない。